書きたいものを書いてりゃ幸せ。

中川大存

力点をどこに置くのか

 それこそが、問題なのである。


 のっけから偉そうな口調で失礼。自重はしないけれど。

 まあ自明と言えば自明の話なのだが、最近つとに考えていたことをそのまま吐き出してみる。

 

 Web作家として、力点をどこに置くのか。

 どこというのは、具体的には「どちら」である。つまり、「売れそうなものを書く」のか、「書きたいものを書く」のか。

 この二つが重なっている人は幸いである。売れそうなジャンル──まあカクヨムでいうとラブコメだろうか──それが元から好きで、自分も書きたいと思って書く人にはこんな悩みはないだろう。

 書きたいものを書き、そのジャンルが盛り上がる。結構なことだ。

 また、元から多くのフォロワーを抱えている人も幸せなのだろう。自分の作風にファンがついていれば、ただただ自分の好きなものを書いているだけでも評価される。少なくとも、その可能性は高い。

 悲しいのは、吹けば飛ぶような零細Web小説家で、しかも流行りのジャンルに対して興味がない場合である。この時、先ほどの問いが浮かび上がってくる。人気を得るために売れるジャンルに手を出すか、あるいはあくまでも自分の好きなものを書くのか。

 

 小説が「人に読んでもらうため」のものである以上、この悩みはきっと遥か昔から存在したのだろう。

 しかし思うに、Webという媒体の登場によって、その気になりさえすれば誰もが手軽に作品を発表できるようになった現代において、この葛藤はより顕著に、より見えやすい形で表れてくるようになったのではないかと思う。

 専用の原稿用紙やなんかの専門道具を買ってきて一文字一文字えっちらおっちらと書き込み、発表できる場を探して見つけて入り込んで発表する──そういった諸々の手間が一挙になくなった分、作品数は膨大を極めた。各種の小説投稿サイトには読み切れないほどの作品が満ち、作品完成だけでは欲求を満たせなくなる。海のような作品群の中で一歩抜きんでたい、という次なる欲求に苛まれるようになるわけである。

 加えて言うなら、Webでは人に読まれているかどうか、人に評価されているかどうかが数字として如実に表れる。人と比べて優位に立ちたいと思うのは人間の普遍的な欲求で、そうであるならば自分を殺してでも流行りに乗っかりたいと思ってしまうのもまた人情だろうと思う。

 

 力点をどこに置くか。

 作者としてのスタンスとでもいうべきこの問いについて、ただ「作品を媒体にして自分自身の承認欲求を満たしたいだけ」なのか、それとも「自分の理想とする作品を作りたい」のか、という風に分けるのは一見正解のように見えるが、残念ながらそこまで単純な話でもない。

 たとえそれが素晴らしい作品であろうとも、読者がそれを見つけることができなければ評価はされない。Webにおいてまったく評価されない、読まれない作品というのは、残酷な言い方だが「そこにあるのに、ないのと同じ」なのだ。

 愛する我が子のような作品に何とか日の目を見せてやりたい、と思う時、ある種の広告活動によってその助けにしようと思うのはごく自然である。その延長線上に、注目されやすい作品を書く、という行為は存在するわけだ。

 考えても、答えは出ない。

 

 しかし少なくとも、僕自身のスタンスとしては。

 このエッセイの通り、「書きたいものを書けりゃ幸せ」の精神でいる。

 自分が書きたくないものを書いても楽しくないし、そんなものが評価されても嬉しくない。いや、経験がないから断言はできない。もしかしたら結構嬉しいかもしれない。

 まあ、とにかく──

 書きたいものを好き勝手に書き散らしつつ、「何かの間違いで人気出ねえかなあ」とサイトの端っこに突っ立ってぼやいているのが僕だ。

 そしてそのぼやきがこの文章だ。

 ここまでお付き合いいただいた人には、心からの感謝を申し上げます。

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