自作を愛せない人の悲しさ

 アマチュア小説書きで、懇意にさせてもらっている人が一人いる。

 もともとは某小説投稿サイトで偶然知り合ったのだが、今では年に数回飲みに行く仲になっている。好みの小説や漫画など、『面白い』と思うことの方向性が似ていて、彼と話していると時間を忘れるほど楽しい。

 彼は僕の小説をとても評価してくれていて、それは嬉しいのだが、反面自らの創作物に対しては非常にネガティブである。

 僕は彼の小説が好きなので、ほとんど会うたびごとに「君の作品は面白いんだからもっと自信持ちなよ」と言っているのだが、彼にとってなかなかそれは難しいようだ。

 

 僕は、自分の小説が好きである。

 過去に書いた小説を思わず読みふけってしまうことがままあるほどに。

 これは傲慢というわけでもなくて──僕の創作スタンスは基本的に、「自己満足」なのである。僕は常日頃から「自分の好みに100パーセント合致した小説は自分で書く以外に出会う方法がない」と思っている。人は皆違う環境で生まれ育ち、考え方もそれぞれ違うのだから、本当に混じりっけなしの100パーセントの満足を他者の作品から得ることはできないのではないか、という考え方だ。

 だから、僕は自分の小説を「最高に面白い」と思うが、それは「僕自身が評価しているから」に過ぎない。自分の好きな要素を詰め込んでいるから、自分が読んで楽しいのは当たり前というわけだ。

 

 しかし、まあたぶん、僕のこういう考え方自体も僕にとってしか正解ではないのだろう。共感してくださる方も中にはいるかもしれないが、100パーセントまったく同じ共感であるとは思えない。

 なぜなら、先述したように人の感性は十人十色で、一人として全く同じ考え方の人間はいないからである。

 だから、自分の小説に自信を持てない友人を間違っているなどというつもりは毛頭ないのだが──やはり僕から見れば、自分の作品を卑下するということは悲しく映るのだ。

 その小説は、自分が「書きたい!」と思ったものに満ち溢れた、自分にとってかけがえのない宝物であるはずなのに。

 それなのに、「うまく書けなかった」「下手だ」「駄目だ」という自己言及をするのは──印象の悪い言い方だが、まるで我が子を虐待する親のように悲しい光景だ。

 

 彼は「自分なんかよりもっとうまい人は山ほどいるから」ともよく言う。

 それはそうなのだろう。僕も、僕自身の実力を考えた時、ごく普通にそう思う。何しろ僕たちはアマチュアなのだし──よしんばプロだったとしても、偉大な先達はいくらでもいる。どれだけ上を見てもきりがない世界であることは確かだ。

 でも。

 こと「自己満足」という視点に立つかぎり、他者と比べる物差しは全く不要である。

 他人の評価がどうであろうと、作者は自作を愛することができる。

 僕はそう思うのだが、他の人はどうなのだろう。

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