第5話 

  同級生(彼女)視点


 物覚えがつく前から、私には母親がいなかった。

 理由は知らない。いや、聞かなかったんだ。

 母がいない理由を聞こうとすると父は決まって不機嫌な顔になり、それが怖かったから。

 だから私はずっと母がいない理由を知らないまま成長していって。そして大人になった。

 母親がいないから苦労していた。なんて事はなかった。

 父は会社の中ではわりと偉い立場で、そのお陰で金銭面に困ることなんてなかったし、母がいないぶん私が洗濯や料理といった家事全般をする事で生活は上手くまわっていた。

 だから私は何も苦労していない。

 ただまぁ不満があるとしたら ......父はいつも帰るのが遅かった。

 仕事をしているから仕方ないことなんだけど、家には私一人しかいなくて。

 仕事だから仕方ないと割り切っていてもやっぱり寂しかった。

 誕生日もクリスマスも正月も、そして風邪をひいて寝込んでいた日も。

 私はいつも一人で、寂しかった。

 あれ、なんで私は今更こんな事を思い出してるんだろう?

 ーーああ、そうか風邪をひいたからだ。

 


           ⭐︎


 「ほらよスポドリだ。生きてるか?」


 頭上から聞き慣れた声が聞こえてくる。おつかいから彼が帰ってきたんだろう。

 ピタリと頭に冷えたスポーツドリンクが当てられ、すーと心地よい気分になる。

 私は閉じていた目蓋を開き、ビニール袋を持った目の前の男にお礼を言って、ついでに質問に答えてやる。


 「生きてるに決まってんじゃんバーカ」


 

 日曜日。

 風邪をひいてしまった私は動く気力もなく、中学から付き合いのある彼にスポーツドリンクと風邪薬を買ってもらうよう、メッセージを送った。

 日曜日を充電する日だと自論する彼だから断られると思っていたが、彼は直ぐにわかったと返信してくれて、そして現在に至る。


 「罵倒が言えるし、そうみたいだな」


 同級生はカラッと笑い、床に胡座をかいて、袋をガサガサ漁ると、ボトルのコーヒーを一口飲んだ。

 そして頬をポリポリとかいて、気まずそうに口にする。


 「悪かったな俺の風邪をうつしちまって」


 「ふふ、なにそれ。なんでアンタが気に病んでんの」


 ちょうど1週間前。暇つぶしをかねて、風邪をひいた彼を看病しにアパートへとお邪魔した。

 風邪は彼が言うようにそこでもらったんだろう。

 因みにアパートであった出来事は覚えていない。いや、ほんとに。覚えてないったら覚えてない。

 

 「いやだってな...... 俺の看病をしたせいでお前が」


 同級生はぶつぶつと謝罪だか、自分を責めているんだか、どっちかわからない言葉を口にする。

 それを見てるとイラッとしたので、私は身体を起こして言ってやった。


 「はいはいそうね。アンタの風邪がうつったのは間違いないわ。でもね」


 私はビシッと指を突きつけて、


 「帰った後はちゃんと手も洗ったし、うがいもした。ご飯もしっかりと食べて、ついでにいつもよりも早めに寝たわ。それでも風邪をひいたのはもう仕方ない事なの。だからこの話はこれでお終い。いい!」


 強めの口調でそう言うと、同級生は暫く唖然としていたが、その内ふっと笑って。わかったよと口にした。

 ふーこれで一安心。私は安堵してベットに横になる。

 怒ったせいで少し熱が上がったかもしれない。だけど言いたかったから仕方ない。

 彼にはうじうじした姿は似合わない。どこまでも馬鹿みたいな態度で、無駄に明るいのがコイツの取り柄なんだから。


 「お前いい奴だな」


 「なに? 今更気づいたの」


 「いや、ずっと前から気付いてたさ。ただ今日初めて口にして言ってみただけだ」

 

 「ふーん。そ」

 

 素っ気なく私は返すが、まぁ嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。

 バーカ。アンタのせいで熱が上がったじゃん。

 意趣返しに、そう言うアンタもいい奴だけどね。そう返してやろうかと思ったけど、余計熱が上がりそうだからやめた。

 現に言った奴が顔をほんのりと赤く染め、恥ずかしそうにしている。

 へへん。ざまぁみろ。


 「あ、そうだなんかしてほしいことがあるか? ご飯とか作ろうか?」

 

 彼は袋をガサガサ大きく漁って、誤魔化すように口にする。その様子が面白くてつい笑ってしまう。

 してほしいことか...... ある事はある。けどこれを異性に頼むのは。

 うんうん悩み、彼としたある記憶が脳内を掠める。

 そっか。私とコイツにはあの約束がある。なら躊躇う必要なんてないっか......


 「折角だし、お言葉に甘えていい?」


 「おう甘えろ甘えろ。そんで俺は何をーー」


 私をみた彼が固まった。

 まるでメデューサを見たように、それはビシりと固まった。

 それもそうだろう。だって今の私の格好は。

 着ていた服のボタンを全部外して、素肌が見える姿をしていたのだから。


 「おっ、ど、どうした? どした?」


 わかりやすく彼がアタフタする。私だって恥ずかしい。熱がさらに上昇しそうなくらい。

 でも私は怯まない。

 彼とした約束があるから。それがある限り私と彼が一線を間違えることなんてないんだから。

 

 「お願い聞いてくれるんでしょ?」


 私は彼に背を向け、服をはだける。汗を含んだ服を脱いだおかげで、少し不快さがやわらぐ。


 「汗かいちゃってさ、背中拭いてよ」


 声が震えないように私は彼にそう言った。


          ⭐︎



 「はぁはぁはぁ......」


 「ふぅー、ふぅー」


 彼が壁に手をつき、荒く呼吸する。私もベットに横たわり、腕で顔を隠すようにして、呼吸を整える。

 勿論事後の様子ではない。

 彼は私の背中を拭いて、私は彼に背を拭いてもらった。ただそれだけだ。

 まぁその時に、私が背中がちょっと敏感であられもない声が漏れたり、ちょっとした事故が起きて、彼に前を見られたりしたって事はあったけど。

 ただまぁそれだけで。他には何もない。

 

 「何もなかった。いい?」


 「お、おう。お前がそれでいいなら」


 私の提案に彼がコクコク頷き、了承する。よかったこれで解決。

 私は一息つく。ほっとしたお陰か眠くなってきた。

 

 「そろそろ帰るけど、大丈夫か?」


 眠りに格闘していると、彼がそう口にする。

 そっかもう夕方か。

 実家を離れて一人暮らししているから一人は慣れている。

 でも......風邪をひくとどうしても心細い気持ちになってしまって、もう少し一緒にいてほしいと願ってしまう。

 幼少の頃からずっと一人だったから余計にそう思ってしまうのかもしれない。

 けど......それは私の我がままだ。

 

「ん。大丈夫。ごめんね。貴重な休みを使わせちゃって」


 「なーに。いい暇つぶしになったからごめんも何もねぇよ......だっけか?」

 

 「ふふ。そうね。ありがと」


 「おうじゃあな」

 

 彼が手を振って出て行く。私は振り返さなかった。手を振ったら彼を引き止めそうになるから。

 ドアがゆっくりと閉まって行く。

 パタン。

 私は一人になった。



          ⭐︎

 俺視点   


 同級生の家にスマホを忘れた俺は、また彼女の住むアパートに来ていた。

 インターホンを鳴らしてもドアが開く様子がなかったから、試しにドアを引くと簡単に開いた。

 鍵をかけ忘れるなんて不用心だな。

 お邪魔します。

 定例台詞を口にして、俺は同級生の家にあがる。

 同級生はぐっすりと眠っていた。

 スマホは同級生が寝ているベットの下に落ちていた。

 きっとあの時に落としたんだろ。今思い返しても悶えそうになる。

 同級生は忘れろと言っていたけど簡単に忘れられるわけがない。

 彼女はどうして平気なのだろうか? 

 そう言えばこの前、約束と口にしていたが、あれと何か関係があるのだろうか。

 わからなくて。眠っている彼女を見ると、手が掛け布団からはみ出ていた。

 俺は苦笑し、彼女の手を持ってかけ布団の中に入れようとして、強く手を握られた。

 まさか起きたのか。そう思ったがどうやら違ったみたいだ。

 彼女は眠りながらポツリと口にする。


 「一人は寂しい」と。


 「そっか。そうだよな。一人は寂しいよな」


 

 俺は彼女の手を握りかえす。また強く握り返してくる。そしたら俺も強く握って。

 同級生の口角がゆっくりと上がった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る