第3話

 室内はクーラーのおかげで涼しい筈なのに、不思議なことに俺は背中に汗をかいていた。

 暑くてかく、上昇した体温を冷やす目的で出てくる汗じゃない。

 たとえば緊張した時に浮かび上がってしまう汗。

 そう冷や汗だ。今、俺は冷や汗をかいているのだ。

 何故か。

 それはきっとソファーに押し倒してまった(事故で)同級生が俺の顔を見上げているせいだ。

 

 「あっ......」


 「っ.....」


 俺と同級生。お互いに顔を逸らすことなく見つめ合う。

 さっきまで脇腹のつつき合いをしていたせいか、彼女の顔はほんのり朱色に染まり、少し涙目になって呼吸を何度も繰り返していた。

 距離が近いせいで、彼女のつけた甘い香水の匂いが鼻から脳に伝わり、軽くクラクラ目眩を起こす。

 彼女の吐息が肌を擦り、時折呼吸に混じって聞こえる甘くて切ない声が俺の耳に絡みついてくる。

 視覚、嗅覚、聴覚全てが同級生に支配されていく。

 ーーこれは危険だ。

 俺の脳内にハザードランプが点滅する。

 なにが危険なのかはわからない。でもこれ以上彼女を見つめていたら確実に何か大事なものが壊れてしまう。

 ーーとにかく離れないと。

 俺は同級生から離れようと体を起こす。その時だった。


 「......っ」


 クイッ。

 行かないでと引き止めるように俺の袖が引っ張られたような気がした。


 「えっ」

 間抜けな声が出る。

 思わず同級生の手に視線をうつすと、位置は元の場所にあった。

 気のせいか。そう流そうとして、俺の思考はショートした。

 さっきまで俺を見上げていた同級生が顔を隠すようにして横を向いていたのだ。おまけに顔の朱色が増して、耳までほんのり赤く色づいている。


 ーー気のせいじゃないのか?

 ショートした頭が袖クイッは起こった事実だと結論づけようとしてくる。

 しかし、ショートした頭で導き出した答えがあっている筈がない。

 どっちだ。どっちなんだ?

 俺の気のせいなのか、それとも起こったことなのか。

 もし起こった事なら、なぜ同級生はそんなことをした? なぜ引き止めるような真似を。


 ーーわからないなら試してみればいい。

 俺は唾を飲み込み、恐る恐る右手を同級生へと伸ばす。

 もし俺の気のせいだったなら、同級生はゴミを見るような目で今からすることに拒絶反応を示す筈だ。

 俺が動いたことに気づいた彼女が一瞬ピクリと身体を震わせた。

 これは拒絶反応か? しかし嫌がったような反応というよりは、寧ろ急に動いたから驚いたような反応に近いような。

 俺は彼女の肌に触れるか触れないかのところで伸ばした手を一旦止める。

 彼女は横を向いているけど、それでも俺の手が近いことはわかるはずだ。

 それなのに、なんで手を払いのけようとしない? 

 いいのか触れて? 

 彼女の横顔を再度確認するが、変わらずにそっぽを向いている。

 ーーなら。

 俺は深呼吸をして、彼女の赤い耳に触れた。


 「......っ‼︎」

 ピクンとさっきよりも大きく身体が震えた。

 彼女は俺の手を払いのけようとしない。

 つまりさっきの袖クイッはやっぱり彼女によるもの。

 引き止めた理由は、もう暫く見つめ合っていたかったのか、それともこうして触れてほしかったのか。

 どのみちこれで袖クイッの真相は明らかになった。

 だからこれでお終い。

 ーーその筈だったのに。

 俺の指は彼女の耳に触れて離れなかった。

 

 赤くなった耳は熱を帯びて、しっとりとした感触が指にすいついてくる。

 耳の裏側を指でつ、つ、つとなぞってやれば、


 「......ふぁっ」


 甘い声が彼女の口から漏れる。

 まさか耳、感じやすいのか?

 もう一度、今度は線を引くような感覚でゆっくりとなぞってみる。


 「ひゃう......」

 

 身体がピ、ピクンと揺れさっきよりも甘くて官能的な声がぷっくとした桃色の唇から漏れる。

 ーーダメだ。これ以上は本当に後戻りが出来なくなる。

 タカが外れそうな自分を必死に抑えようとして、横を向いていた彼女が俺の方に顔を向ける。

 

 

 「もう......終わり?」


 ぷつんと頭の中でなにかが切れた。


 「どうなっても知らないからな!」


 彼女の肩を強く掴み、そしてピンポーンとチャイムが鳴った。

 

 

         ⭐︎



 「......お、美味しいなこのテリマヨピザ。そっちのミックスピザはどんな味だ?」


 「......」


 「あ、あーと。ちょ、チョコ食べるか? 確かこれって新作だったよな。前から気になってたんだよな。.......あむ。うん美味い。美味いぞ。これ! お前も一つ食べてみろよ」


 「私今ピザ食べてるんだけど?」


 「お、おうそうだな。悪い」


 ーーあの後。

 チャイムの正体は俺が事前に注文していたピザの宅配だった。

 タイミングがよかったというべきか、悪かったというべきか。

 支払いを済ませて、部屋に戻る頃には同級生はソファーから起き上がり、何事もないような顔をしていた。しかしそれでも顔はほんのりとは赤くなっていたが。

 そして今。

 俺たちは届いたピザを2人して食べていた。

 部屋の空気はさっきのことを互いに引きずっているせいでちょっと気まずい。

 

 「さっきは触ったりして悪かったな」


 「は? なんのこと?」


  同級生は首をこてんと傾げる。

  いやいやいや......


 「いや、だからさっき耳に触れただろ。あんな気持ち悪いことして悪かったって」


 「耳に触ったってなに言ってんの? 私触られてないんだけど?」


 同級生にギロリと睨まれる。

 どうやらさっきのことを無かったことにしたいらしい。

 まぁ思い返してみてもあれはヤバかったもんな。そりゃ無かったことにしたいよな。

 無かったことにするのは俺も助かるが、けど本当にそれでいいのか?



         ⭐︎


 「私の帰り道こっちだから」


 夕陽を背にした同級生が、それじゃと手を振ってくる。

 どうやら彼女にとってあの出来事は完全になかったことになっているようだ。

 俺も小さく手を振り返す。とその時気づいた。同級生の耳に小さな糸くずがついていることに。

 多分あの時についたんだろう。


 「ちょっと待って」


 俺は同級生を呼び止め、耳についていた糸くずをとってやる。


 「糸くずがーーってどうした?」


 「な、なんでもないから!」


 俺が触れた耳を押さえ同級生はプルプル震えていた。

 この反応まさか。俺はつい吹き出す。


 「な、なに笑ってんのよ!」


 「いや悪い悪い。そっか。そうだよな」


 あんな衝撃な出来事忘れる事なんてできないよな。なんだか安心した。


 「アンタ今忘れてなかったことに安心したでしょ」


 だから勝手に心を読まないでくれます?

 

 「うぅぅ最悪最悪最悪! なんであんな事。あ〜もう! こうなったら」


 なにか吹っ切れたような表情をして、同級生が両手を広げジリっと近づいてくる。

 

 「お、おいどうした?」


 「大丈夫大丈夫。痛いのは一瞬だから。ね?」


 「痛みを一瞬でも感じることになにが大丈夫と!?」


 俺はたまらず駆け出す。


 「ちょっ待ちなさい。アンタを消して私も死ぬんだから!」


 「んなもん待てるか!」


 同級生から逃げながら、俺は口角を上げ笑っていた。

 そうだ。これが俺と同級生の正しい距離感だ。

 

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