第6話『赤の他人』

 大黒朱鳥おおぐろあすかが急いで自宅マンションに帰るとリビングには同居している小学生女児・酒栄茉莉花さかえまつりかが神妙な面持ちで大黒の帰りを待ち受けていた。

 茉莉花は大黒の顔を見るなり気まずそうに「おかえりなさい、あすか君」と呟くが、視線は大黒を直視できずやや部屋中を彷徨っている。ソファーに座りクッションを抱きかかえて座る茉莉花は、既に自分が仕出かした失態について理解している様子だった。

 大黒はそんな茉莉花を見ながら、さてどう切り出したものか、と考えながらソファーではなくカーペットに正座する。


「茉莉花さん」

「……」

「先生から連絡が着たよ。今日、家庭訪問の日だったんだね」

「うん……」

「どうして教えてくれなかったのかな。先生も此処に来て、僕も麗子さんもいないからびっくりしてた」

 大黒はおおよそ一時間前にスマートフォンにかかってきた電話を思い出す。

 相手は茉莉花のクラスの担任教師からで、今日は家庭訪問のためこの部屋にやってきた第一保護者欄に名前を記載している大黒も、第二保護者欄の祖母・酒栄麗子もこの場にはいないのだから。

 いたのは茉莉花だけで、茉莉花は自分の名前の由来になったジャスミンティーを淹れて教師をもてなしたらしい。

 あまりに有無を言わせないもてなしに教師は困惑しながらも、何故誰もいないのか尋ねたが、茉莉花が連絡をし忘れていたのだといい「先生、来てくれたのにごめんなさい」と謝罪したのだという。


 この部屋に住んでいるのは、大黒と茉莉花の二人。

 二人に血の繋がりはなく、遠縁というわけでもない。

 ただ茉莉花の母と『数日の縁』があったから。

 それだけで茉莉花の母が育てることができなくなった茉莉花を引き取った。

 茉莉花の祖母も、母のことがあったせいか、茉莉花を育てる自信がないと養子縁組に茉莉花を出すことを考えていたが、大黒がそれを止めたのだ。


 何とかなると思ったし、この七年は実際何とかなってきたのだ。

 だけど小学生になって、学校に行き始めることで茉莉花の生活が変わる。

 これまでと得られる知識・情報量が違ってくる。

 クラスメイトの話す家族の姿と、自分の経験とは違いに気がついている節があった。

 それを大黒に明確に問うことはしてこなかった。

 だけど、母と今度いつ会えるのか、ということを以前に比べて母の予定を気にするようになった。

 会いたいのだろう、と大黒は思った。

 やはり子供にとって『母』という存在はそれだけ大きなものだ。

 全く関わりのない状態だったらどうだったかはわからない。

 だけど茉莉花の母は、茉莉花との関わりを全て絶っているわけではない。

 誕生日やクリスマスにはプレゼントと手紙を届けるし、年に数度か食事会も行われる。

 茉莉花への情は間違いなくあるのに、茉莉花の母は『母』であることを拒否したのだ。

 その心情については、七年経った今でも大黒の知るところではない。


 彼女に、聞ければいいのだろう。

 だけどそれは突き詰めれば茉莉花と彼女の母の問題なのだ。

『他人』である大黒が踏み込んでいいことではないのだ。


「……先生に言った通り、お知らせのプリントを見せるの忘れてただけ?」

 大黒は、いつもの、夕食時の雑談のような調子で茉莉花に問う。

 しかしながら、茉莉花の表情には緊張が張り付いていて、ソファーでクッションを抱えたまま。大黒を無視しているわけではなく、彼女の中で言葉を整頓しているように見える。

 大黒は茉莉花の準備ができるのを待つ。


「……あすか君、お仕事いそがしいって。この間のゴールデンウィークも、お休みなのにお仕事行ってたから」

「家庭訪問は大事なものだから休めたよ? それに僕が駄目でも麗子さんにお願いすれば」

「おばあちゃん、先週電話したら昨日からおじいちゃんと旅行だって」

「あー……」

 そういえば先月電話したときに、旅行の計画を立ててると話していたが、昨日からだったのか。

 大黒が麗子の予定を忘れていたことを反省する。


「それでも、言って欲しかったな。茉莉花さんのために時間は作りたいし」

 大黒がそう呟く。

 その言葉に一瞬肩を大きく揺らす。


「言えない。あすか君は、『お父さん』じゃないでしょ」


 茉莉花は小さな声で呟く。

 その声に大黒はぎょっとする。

 大黒の表情が変わるのに気がついた茉莉花は自分の発言に顔を青くする。彼女はクッションを手から落とすと「ご、ごめんなさい」としどろもどろに口走り慌てて部屋を飛び出す。

 大黒は、茉莉花から発せられた言葉が想像以上に彼にダメージを与えていることに自覚しながら肩を落として溜息をついた。

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