第7話『受け入れられない歪さ』
茉莉花が部屋を飛び出していったが、大黒に焦りはなかった。
というのも、茉莉花には定番の『避難場所』があるのだ。
大黒と喧嘩した時、大黒が仕事で遅くなった時、一人で寂しい時に向かう場所がある。それは隣りの部屋だ。
大黒たちの住む部屋の隣りには、大黒の大学時代からの友人が住んでいる。
彼の部屋には白い体毛の犬を飼っている。コバルトという名前で、茉莉花はよく散歩に連れて行っている。
いつも落ち込んだりすると茉莉花は隣りの部屋へ向かい、白く大きな犬の体毛に埋もれるように抱きつくのだ。
きっと、今も。
少し時間を置いて様子を見に行こう。
大黒はそんなことを思いながら、大黒はゆっくりと立ち上がり帰ってきてそのままにしていた通勤カバンを自分の部屋に置きに行き、スーツの上着をハンガーにかける。
晩ご飯はどうしようか。
いつもはスーパーに寄って食材だったり安くなった惣菜を買って帰るのだが、今日は学校からの電話に驚いて慌てて帰ってきたのだ。
ネクタイを緩めながらキッチンに向かうと、茉莉花が米を炊いていてくれたようだった。冷蔵庫の中のものでおかずを作ろうかと冷蔵庫を確認していると、玄関の方から音がする。
茉莉花が帰ってきたにしては早すぎる。
それなら恐らく隣人がやってきたのだろう。
茉莉花が、今夜はコバルトと一緒に寝る、と言い出したことも過去に何度かある。
そういうときは決まって宮が茉莉花のお泊まりセットを取りに来るのだ。
今回もそうだろう。
大黒はキッチンで待っていると、案の定、宮がやってくる。そして大黒の顔を見るなり「ひっでー顔」と歯に衣着せぬ物言いをする。
その言葉に大黒は苦笑を返す。
「うん、今回はちょっと堪えたかな」
大黒はもう十年以上の付き合いになる友人に本音を零す。
宮も、此処まで凹んでいる友人の姿に、物珍しそうな顔をする。
「何だよそれ。俺が聞いても良い話か?」
宮は茶化すように聞いてくるが、寧ろ聞いてくれる方が有難かった。
大黒自身、どうしたら良いか、考え倦ねていたから。
「茉莉花さんに言われてしまった……、僕は『お父さん』じゃないでしょ、って」
「おー……」
あまりに重々しい内容に、宮から徹底的に茶化してやろうという気持ちが一気に消え失せるのが見て取れた。
いや、いっそのこと笑い飛ばして欲しかったが……。
大黒はそんなことを思いながら、宮に学校から電話を受けたことや、家庭訪問のことを話した。
「それで、お前の感想は?」
大黒が話し終えると宮はそう尋ねる。
「そうだな……。茉莉花さんに気を使わせてしまった、かな」
「何だ、そこは『父親としてこんなにも頑張ってるのに!』って言わないのか」
「僕が父親? 烏滸がましい」
「いや実際、お前は良くやってる。父親と母親、両方こなしてるようなもんだろう」
「茉莉花さんの母親は、何処まで行っても
大黒は茉莉花の母のことを考える。
数ヶ月顔は見ていないが、今はどうしているのか。
「姫のこと、いっつも気にかけて大事にして、一般的かつ平均的な家庭の親ってもっと雑なところがあるけどな」
宮は茉莉花を姫と呼ぶ。大黒はその理由を知らないが、茉莉花は満更でもない様子だし深く追求しないことにしている。
「僕はあくまで、茉莉花さんを『お預かり』している身だからね」
「七年も育てりゃもう立派に『育て親』だと思うけどな」
宮の言葉に大黒は何とも言えない表情で首を横に振った。
大黒の様子に、長年この二人を見ていた宮は内心呆れる。
もっと緩く考えれば良いものを……。
大黒も茉莉花も、根が真面目過ぎるから、世間一般的に『普通』とは呼ばれないこの関係にどうしようもなく歪さを感じているのだ。
『そういう関係もあるよね』とは思えないのだ。
宮は内心面倒くせえなと思いながら、きょろりと部屋を見回す。
「そういや、姫は? どっかで拗ねてんのか?」
宮にそう問われて、大黒は思わず宮を見て、そして血の気がどっと引く。
「そっちに行ってないのか?」
「え」
大黒の言葉に、今度は宮も血の気が引く。
「ウチには来てない。いつの話だ?」
「十分くらい前」
大黒がそう言い切る前に、宮は玄関へと急ぐ。部屋を出ると、慌てて自分の部屋に戻るが、やはり茉莉花の姿はない。
大黒も宮の後を追いかけるように宮の部屋の前で待つが、出てきた宮の様子から彼女がいないのは明らかだった。
「十分ならまだこの辺りだろ。子供の足じゃあそう遠くは無理だ」
「茉莉花さんの足で行ける場所……学校、図書館、スーパー……よく遊ぶ友達の家」
「近いのは学校と図書館だな。俺は図書館の方行くから、お前は学校から行ってくれ」
「わかった」
二人は頷くとマンションの廊下を走り出した。
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