第3話『関係は歪なまま』

 けたたましく鳴り響く電子音に北淀美依ほくでんみよりは慌てて起き上がり、ベッドボードに置いていた目覚まし時計のスイッチを止める。

 音が消えてよろよろと枕に頭を乗せなおすと、北淀美依は深い溜息を漏らす。

 まさかあんな不愉快な夢を見るなんて。

 あんな昔の夢。気分が悪い。

 夜に戻って寝直したい。こんな不愉快な気分で起きないといけないなんて今日一日やってらんない。


 北淀美依は布団を被り直してもう一度溜息をつくが、その瞬間布団の上から腹部辺り目掛けて何か重いものがどすりと落ちてくる。仰向けに寝ていた北淀美依の鳩尾に見事に決まり、彼女は思わず短い悲鳴を上げながら慌てて布団を捲り起き上がる。

 布団の上には二リットルの水のペットボトルが乗っていた。

 何故。そう思うよりも早く視界に入っていた人の姿に慌てて北淀美依はベッドの横を見る。


 ベッドの横には南寺静馬みなみじしずまが立っていた。

 朝からこいつの顔を見なくてはならないなんて、本当に不愉快な朝だ。

 北淀美依は舌打ちを隠すこともせずお見舞いしてやる。


「何寝ようとしてるんだよ、今日は休みじゃないぞ」

 南寺静馬はきっちりとスーツを着込み既に出勤準備が整っているが、その様子に腹が立つ。

 本来なら、何故早朝の女性の部屋に許可もなくいるのか問い質したいところだけれどその手の問答はもう何度もしている。その度に北淀美依が疲れて終わった。流石に朝からこれ以上疲れたくない。


「わかってるわよ。着替えるからさっさと出てって」

 北淀美依は南寺静馬にそう言いながら水のペットボトルに手を伸ばす。冷たい。恐らくウチの冷蔵庫に入っていたものを持ってきたのだろう。北淀美依が辟易していると、不意に南寺静馬はまだベッドに座っている彼女に近づき、彼女の顔にかかる髪を手で払うように寄せて覗き込んでくる。

 近いっ! 顔だけは文句なく良いので、北淀美依は不意打ちで近づく南寺静馬の顔に息を呑む。だけどこいつが良いのは外面だけだということは嫌というほどわかっているので慌てて身体を引いた。


「何よいきなり」

「顔色悪いな。今って生理だったか?」

「最っ低!!」

 南寺静馬のデリカシーに欠けた発言に思わず北淀美依が叫ぶと、その声量に南寺静馬は顔をしかめて下がる。彼は「五月蝿い」と北淀美依を非難するように見るがそもそもお前の発言のせいだろうと彼女も負けじと睨みつける。

「顔色が悪いですって。誰のせいだと思ってるのよ」

「今怒り心頭なのは俺のせいだと自覚してるが、顔色は寝ている時から悪かったぜ。何なら魘されてた」

 南寺静馬がそう言い放つが、その言葉に北淀美依は血の気が引く。

 こんな奴に寝顔をまじまじと見られていたことに腹立たしさと恥ずかしさがこみ上げてくる。本当に何て不愉快な朝。


 大体魘されていたのもお前のせいだろうが。


 北淀美依はちらりと南寺静馬を見る。

 その視線に当然気がついた南寺静馬は呆れた顔をする。

「何だよ、言いたいことは言ったらどうだ? 別に今更何言われても響く関係じゃないだろ。何も言わないで溜め込まれたまま、また『殺人犯』の汚名を着せられる方が迷惑だ」

 南寺静馬は冷ややかにそう言い放つ。


 それは先日まで近隣を騒がしていた婦女連続暴行殺人事件のことを指していた。

 北淀美依はその凶悪な犯行を続けた可能性を南寺静馬の中に見ていた。

 この男ならやりかねないと。

 到底潔白を信じることができず彼を疑いに疑った末、北淀美依が危うく三人目の犠牲者になりかけたのだが、何故かその辺りの記憶は全くないのだ。

 気が付けば病院だった。

 不幸なのか、幸運なのか全くわからないが。

 犯人は逃走してしまい捜査は完全に行き詰まっているという話だが、どういう理由かそれからは一人の被害者も出ていない。

 南寺静馬は、どうやら北淀美依を救出してくれたそうなのだ。

 全くを持って信じられない話だが。

 何だったらこの男は、彼女が暴行され殺される場面を観察してそうなのに。

 だから兄から南寺静馬が自分を助けたと聞かされたときは、天変地異の前触れを疑ったほどだった。


 北淀美依が思っているよりも、南寺静馬との関係は悪くないのか。

 死なれるよりは生きている方が良い、くらいには思われているということなのか。


 病院で目を覚まして一週間ほどはそういうことを思い悩んだりしたが、実際のところ二人の生活は何一つ変わることもなく、『相変わらず』な状態が続いていくので北淀美依はその内、自分たちの関係について考えるのを止めてしまった。

 とはいえ、北淀美依も一つ学習した。

 この男が原因で悩んでいることを全て自分の中に抱え込まず適度に吐き出していった方が良い、ということだ。

 暖簾に腕押しかもしれないが、打てば響くという言葉もある。

 全ての言葉がこの男に響かなくても、何かの切っ掛けになるかもしれない。

 それが先日の事件で北淀美依が得た教訓だ。


「……アンタが昔、学校の石膏像を金槌で叩き壊したときを、夢に見たのよ」


 北淀美依がそう言い放つと、南寺静馬は意外そうな顔をした。

「どうして急に」

「私に訊かれても知らない」

「ふーん」

 南寺静馬はそう言いながら首を傾げる。

 何を考えてても良いがさっさと部屋から出ていけや。

 北淀美依はそう考えながらベッドから降りて布団を整えていると、不意に南寺静馬が「そういえばあの後美依が石膏像破壊の容疑をかけられてたなあ」とぼやく。

 その言葉に北淀美依は唖然と彼を見る。


「そうだっけ?」

「覚えてない?」

「全然」

「まあ、一瞬だったし。すぐに解決したからな」

 南寺静馬はそう言いながら寝室を出て行ってしまう。

 だがしかし、残された北淀美依は彼の言葉にただただ硬直する。


 解決、とは何だ?!

 そもそもあの石膏像はお前が壊したのだろう?!

 私が疑われるのが納得いかないが、解決って何だ?!

 お前がやらかした時点で、犯人はお前しか有り得ないだろう?!

 それに私の記憶が正しければお前は別に学校側から何らかの処分を受けたなんてことはなかったぞ?!

 どういうことだ?!

 何をどう解決したっていうんだ?!


 北淀美依は声にならない声で叫び続けるが当然南寺静馬には届かない。

 ただ呆気に取られているが、ふと我に帰り、出勤時間が近づいていることに気がついて北淀美依は慌てて着替え始めた。

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