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 当主を亡くしても庭の隅々まで手入れが行き届いているように、オーガスタは催しの最中、女主人として招待客の一人一人に心配りをすることができた。なかでもとりわけ気を遣っているのはセーラに対してで、自分が病からの回復の言祝ぎを一通り受け終わると、社交界では新参のセーラに頼もしい友人ができるように紹介をはじめた。

 ヘンリーはと言えば、セーラに同年代の友人候補を用意してやることでほとんどお役御免であり、あとはせいぜい会話が途切れないように話題を提供することくらいだったが、それもオーガスタがいれば万全であるので、果たすべき最低限の交流を終えると、ガーデンの隅、邸の前で遠目にセーラを見守ることにした。

 オーガスタの完璧な紹介が寄与するところは大きかったのは否めないが、セーラは自分自身の豊かな魅力によって招待客の面々に、ぜひオーガスタから紹介してもらいたいという思いにさせていた。それはまずはセーラが身に着けたティードレスのせいであり、昨今の最新流行であるパフスリーブのシルエットが美しい上等な仕立てで、一目で彼女が並みの家の令嬢でないことがわかった。

 けれどもそれよりもっと重要な理由は、なんといってもセーラの如才ない振る舞い方だった。まだ若い乙女なのに少しも緊張したり、のぼせ上ったりしたところがなく、会話では洗練された本場仕込みのエスプリが発揮され、まるでもう十年は社交界で活躍している貴婦人のような雰囲気を漂わせているのに、笑顔やティーカップを持つ仕草は若々しくて愛らしい。

 話し相手をじっと見つめるその瞳はどこまでも優しく、たいした話をしているわけでもないのにまるでそれしか聞こえないくらい夢中になっているといったふうで、どうかそのさきをお話しください、と語り掛けられている気分にすらなる。ガーデン・パーティーの出席者たちは気付いていなかったが、誰もがセーラの魅力に取り込まれ、いまや彼女を中心に会はまわっているのだった。わけても、セーラを取り囲んでいる出席者のなかでもとりわけ若い四人の女性たちは、はやくもダイヤモンド・プリンセスを信奉する侍女たちさながらだった。

 めったに姿を現さないヘンリーが出席しているということで、パーティーの最初こそ取り囲まれ騒がしくされたものの、いまはセーラの独壇場であり、ひっそりと退場してその様を見つめているヘンリーのところへ、十年来の友人であるウェルズリーがやって来た。

「ようやく引きこもりの汚名返上かと思いきや、ひとしきり挨拶が済んだら庭の隅、か。相変わらずだな、と言いたいところだが……」

 ウェルズリーはヘンリーにシャンパンを差し出すと、隣にたたずんで自分の分に口をつけた。

「ずいぶん気にかけているみたいじゃないか、ミス・クルーのことを?」

「なにを言いたいのかわからないな」

 ヘンリーは顔すら向けずに言ったが、あいにくと隠し事ができるわけではなかった。

「私に、妻のアン。それからスペンサーのところの三人姉妹とくれば、このガーデン・パーティーに君が一枚噛んでいることくらい、私にはお見通しさ」

 ウェルズリーは、ヘンリーの持つグラスに自分のそれを合わせてかるく音をたてると、「親友との再会に」と微笑んだ。

「スペンサーの三人姉妹は、どういう順番で、ジョン・スペンサーは何番目になるのだったかな?」

「アデレイド、ダイアナ、アレクサンドラの順番。上二人は既婚で、スペンサーは第二子だったはずだ」

「それだけ見事に覚えているくせに、社交界に出てこないとはな!」

 大袈裟に嘆いてみせるウェルズリーに、ヘンリーは肩をすくめた。

「君の結婚式にはちゃんと出席しただろう」

「五年も前にね。そのあとは、二年前にコートダジュールで会って、テニスをしただけだ。……お父上とは相変わらずなのかい?」

 ごくかるい口調ながらも核心をついてきたウェルズリーだったが、ヘンリーはことさら気分を害されることはなかった。

リチャード・ウェルズリーはイートンで出会って以来の仲で、最初はルームメイトであり、二人で監督生まで務めた。

 監督生に選ばれる前年、ヘンリーはよく教師に呼び出されるようになった。成績不良や素行不良のせいではない——ある意味ではそれらが理由ではあるのだが、それまでは品行方正で特に学年でトップクラスだった成績がいきなり急落したとあっては、一目でわざとだとわかる。何故かと問いただしてもいっこうにきちんとした返答は得られず、とうとう授業を欠席するようにまでなり教師陣を大いに弱らせた。

 入学当初からのルームメイトであるウェルズリーには、このヘンリーの変貌ぶりの理由をなんとなく察していた。自らが抱える身も凍るほどの孤独を忘れようと、がむしゃらに没頭してきたイートンでの生活のすべてが、監督生という名誉ある地位で形あるものになろうとするいまこのとき、それこそが孤独の原因を喜ばせるということに気付いたのである。

 ユア・グレース、貴公のご子息はたいそうイートンではご優秀だそうで?

 いえいえ、なんの取り柄もない倅ではありますが、過分に評価して頂いているようで、監督生を務めさせてもらっております。

 こんな会話を、七面鳥のように胸を膨らませながら誇らしげに公爵が言うのだと思うと、ヘンリーは悔しさのあまり夜も眠れない気分になるのだ。実際、真夜中に思い煩いの寝苦しさからヘンリーが寝返りを繰り返しているのを、ウェルズリーは知っていた。

 ある夜、ルームメイトが談話室へ出て行ったのを見計らって、ウェルズリーはベッドの下からブランデーの瓶を取り出した。部屋にこもっていたヘンリーがそれを見て呆れると、悪戯っぽく片目をつむり、この前の休暇にハロッズで買ってきたんだ、味は保証するよ、と。

 普段のヘンリーなら進められても固辞しただろうが、このときは気が立っていたし、もういっそのことイートンを自主退学でもしてやろうか、というほど思いつめていたから、すぐにブランデーの入ったグラスを受け取った。ブランデーにふさわしいグラスはなかったので、二人ともグラスを両手で包み込むようにして飲んだ。

 ウェルズリーはいつものように軽快なおしゃべりをして、授業でつまずいているところや疑問点をヘンリーに相談した。何度か授業に出なかったくらいで学科から遅れるヘンリーではないので、すらすらと答えてやると、ウェルズリーは素直な態度で感心するのだった。

 やっぱり僕には、君がいないとだめだね。

 ウェルズリーが屈託のない笑みを見せると、ヘンリーは呆れた顔をした。ヘンリーほどではないにしろ、ウェルズリーは決して愚かではない。こんなにも立て続けにわからないことを質問してくるのは珍しいことだった。どうしたんだ、と問いかけようとしたところで、先にウェルズリーが口にした。

 ところで、このまま順当に行くと、来年には僕は監督生ということらしいんだ。だけど、ご覧の通り僕はいささか頼りないところがあるから、よかったら、君に助けてもらえないかな?

 それを聞いたヘンリーは、はっと顔をあげた。見つめるウェルズリーは、なんということはない様子で笑みを浮かべ、アルコールのせいで頬を赤くしている。けれども、ヘンリーにウェルズリーの気遣いが痛いほどにわかった。気付けないはずがなかった。

 どれほど相手に好意を持ったとしても、その付き合い方にはどうしてもぎこちなさを残してしまうヘンリーに対して、ウェルズリーはのびのびと好き嫌いを表明できる朗らかさがあった。ウェルズリー家も名家旧家のうちの一つだが、ウェルズリーは次男なのでやはり相続権はなく、将来の身の振り方は慎重に考える必要があった。しかし、それほど深刻にならずにいられるのは、自身に恵まれた才覚でならどうとでもなるということと、それ以上に彼の家が彼自身のことを兄と分け隔てなく、大切な息子の一人として扱っていることだった。

 地位も身分も財産もそろった家に生まれて、なお愛情にも飢えたことがないとこんな性格に人は育つのかと、ヘンリーはたびたびウェルズリーをうらやましく思ったものだ。もっとも、羞恥心からそれをあらわにしたり、あてこすったりすることはしなかったが、人の心の機微にはひときわ鋭敏なウェルズリーから勘付かれずにいるのは難しかった。

 しかし、それだからこそヘンリーはウェルズリーと仲良くすることができるのだ。屈託のない同級生たちと心から楽しんで交流することができなくても、ウェルズリーなら触れるべきところと、一歩退くべきところをよく心得てこちらが望む間もなく、ほどよい距離をとって接してくれる。たとえば、父のためではなく、僕のために一緒に監督生をやってくれないのか、ということを、こんなふうに言ってくれる。

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