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セーラの癒しの力のおかげか、ほどなくオーガスタはもとの健康な身体を取り戻すことができた。セーラさんをはじめ、療養中お世話になった方々をお招きしてお礼をする機会を設けたいわ、と言い、実際にオーガスタは自慢の庭園でのガーデン・パーティーを開くことにした。
もちろん、カリスフォード氏のような故エドマンドの友人や、オーガスタ自身の親しい人々から様々な形でのお見舞いがあったのはたしかだが、病み上がりならひとまずは手紙の上でのお礼で間に合うはずだ。ましてやオーガスタは人付き合いこそ欠かさなかったものの、病以前から華やかな場所からは徐々に遠ざかっていた。それが一転、自宅での催しに踏み出したのは、何をおいても自分の救い主、セーラのためなのだ。
カリスフォード氏に導かれて社交界の扉をたたいたセーラ・クルーは、インドで巨万の富を築いた財産家の娘として、人々から比較的あたたかく迎えられはしたものの、その莫大な財産ゆえに不愉快な思いをさせられた。失礼を受けたとしても、セーラなら毅然とした態度で、財産は財産、私は私、ということを、まさにヘンリーにしたのと同じように、人々に証明してみせたはずだが、問題はカリスフォード氏だった。
親友の最愛なるリトル・ミセス、今となっては自分の大切なプリンセスであるセーラが、心ない人々から不当な扱いをされるのを目の当たりにするのが耐えられなかったのだ。そのためセーラは、カリスフォード氏が自身の鉱山で発掘された最も大粒で価値あるダイヤモンドを金庫に押し隠すように、社交界から遠ざけられてロンドンの一等地ピカデリーに構えた豪奢な邸宅で過ごすことを余儀なくされていた。
ほとんど信仰といえるほどセーラに心酔しているオーガスタは、カリスフォード氏の思いはもっともだと思う一方で、それが必ずしも未婚のレディにとっては望ましい結果をもたらすものではないとも、如才なく社交を続けてきた一人の婦人として考えていた。
これがすべてヘンリーの独り善がりな妄想ではないことは、いざ招待する面々を考えるにあたってオーガスタから、この人とならずっと居続けてもいい、とあなたが思うほどのご友人はどなた? ぜひお誘いしたいわ、とわざわざ尋ねてきたことからわかる。
新婚の夫人ならいざしらず、長年エドマンドの妻として様々な催しを取り仕切ってきたオーガスタなのだから、いまさら誰を招待すべきか、すべきでないかで頭を悩ませるはずがない。この問いかけから引き出したいのは、ヘンリーが心許せるだけの良識を備えた人物、それも特に若い人を招待リストに載せたいのだが適役は誰か? という情報なのだ。自分の身の回りの心映え優れた人々なら頼もしい社交の後援者になってくれるだろうが、セーラの友人となるにはいささか年を取りすぎているというわけだ。
ヘンリーは自分が参加すること前提であるこの問いに、苦笑を隠せなかった。当初の懸念通り、ロンドンがにぎやかになればなるほど、裏では偏屈だと言いながらそのくせ凝りもせずに公爵家のご令息を自分の催しに引っ張り出そうと目論む輩の招待状が、日夜何通も舞い込むようになっている。ぞんざいに扱うことができない一部の人をのぞけば、自ら断りの返事を書くのも面倒で、ほとんどすべてを側仕えの者に代筆させていた。それを重々承知のオーガスタなのにずいぶんと自信があるようではないか。
幸いというべきか、オーガスタが自分の快気祝いを名目に催しを開いたとしても、ハワード家から出席する者はいないだろう。父の公爵とエドマンドは兄弟だったが、その仲はまちがっても良好なものとは言えなかった。幼い頃、痛みを伴う鮮烈な思い出として刻み込まれた、さすが将来爵位に就く方ですこと、という公爵夫人の言葉だが、もしかしたらこれは公爵由来のことだったのかもしれない。それというのも、公爵にしてみればかつて自分こそがハワードの嫡男長子であった頃、その弟エドマンドがどれほど人品骨柄すぐれていようとも、将来の公爵は自分であって、永遠に一介のただ人であり続ける弟とは違い、常に優遇されていなければならない、と考えていてもちっとも不自然ではないからだ。
オーガスタは、公爵夫人に比べれば身分の低い家の出身だと言わざるを得ないし、目論見通り公爵となった父にとって、いよいよエドマンドは取るに足らない人間となったのだろう。最初こそ、世間にむかって上辺を取り繕うくらいの労力は払っていたものの、年月が過ぎるにつれて外聞の悪さも気にせず疎遠となり、エドマンドが亡くなる直前はほとんど絶縁といっていい状態だった。
恐らくは、と内情を見ていたヘンリーが察するに、公爵はエドマンドを軽んずると同時に、激しく意識していたのだろう。自分にとって冷酷で苛烈な性格の父でしかないことを差し引いても、公爵はそこにいるだけで人から愛されるような人ではけっしてなかった。それに対してエドマンドは、兄のような最上級の人々との社交の代わりに、自分たちと同じくらいの階級の人々と本当に心の通った交際を続けていた。公爵夫妻は体面の上では非の打ちどころのない二人として振る舞っていたが、オーガスタとエドマンドは周囲の目を気にかける必要もないほど仲睦まじかった。公爵にしてみれば、地位も名誉も財産もすべて継いだはずの自分よりも、なぜ何も持たない弟のほうがまばゆく見えるのか? と身もだえするほど激しい葛藤に駆られたに違いない。
幼いヘンリーがハワードの家で自分の居場所を見失っていたとき、手を差し伸べたのがエドマンドとオーガスタだった。二人を見て初めて、ヘンリーはあたたかい家庭というものを知ることができた。ヘンリーが叔父夫妻を頼りにすればするほど、ついぞ弟の持つことができなった我が子でさえ奪われてゆくのか、と公爵の苛立ちは募ったことだろう。
ヘンリーは何度か家にいることが耐えられなくなり、困惑する使用人に無理を言って馬車を出させてエドマンドのもとへ逃げ込んだ。そんなある夜、心がざわついて眠れずに客用寝室から降りていくと、暖炉の前の安楽椅子でエドマンドがくつろいでいた。暖炉の中で炎はやわらかに燃えて、その光に照らし出されたエドマンドの顔はいかにも慈しみ深く見えた。ヘンリーが何も言わずに駆け寄ってその膝に縋り付くと、子供の就寝時間を破ってベッドから抜け出したことを咎めもせずにエドマンドは頭を撫でてくれた。ヘンリーはすすり泣く寸前の大きく震えた息をついて、エドマンド叔父さんの子供になりたかった、とつぶやいた。それを受けて頭を撫でる手が止まったので見上げると、エドマンドはひどく悲しい目つきでヘンリーのことを見下ろしていた。それでヘンリーは悟った。険悪な仲の兄弟のうち、毛嫌いしているのは実は兄の方からだけなのだ、と。
息を引き取るその瞬間、エドマンドは終生理解し合うことのできなかった兄を思って、やるせなさを噛みしめただろうか? 憎悪を向けてくる兄の子にですらあれほど愛情を傾けた人だから、けっして愛し返してはくれないと知りながらも、自分が亡きあとの兄の生涯の幸せを祈ったかもしれない。
そんな深い愛に気付くこともないまま、公爵はとうとう忌々しい弟と見たままエドマンドを見送った。そしてその後も憎しみは絶やすことなく、寡婦のオーガスタとの交流を避け続けている。夫がそんな態度であるし、自分たちより一段劣った身分でとりたてて派手な財産もないとくれば、公爵夫人が進んで交際を望むはずもなく。だからこそ、病に倒れたと聞いたとき、ヘンリーはオーガスタのもとに駆け付けずにはいられなかったのだ。
いわば恩人というべきオーガスタの要望であり、気がかりな家族と顔を合わせる心配もないとくれば、どれほど人を避けていようともヘンリーの答えにノーはあり得ない。ましてや今回は、裏ではセーラのために有益な友人との引き合わせがたくらまれている。招待リストに載せるべき人物の紹介と、その仲介のために手ずから筆をとって手紙を書くことくらい厭うわけがなかった。オーガスタはそれをすべてお見通しなのだと思えば、苦笑のひとつもこぼれはするが。
かくして、オーガスタのガーデン・パーティーは万全の支度をもって開催された。
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