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 ヘンリーがセーラを伴って本宅へと戻ると、途中であの浅黒い異人の召使がやってきた。

お嬢様。ミッシー・サーヒブカリスフォード・サーヒブがお呼びです。そろそろお暇しようとのことでした。ちょうど私がお呼びに向かうところでした」

「ありがとう、ラム・ダス」

「この風変わりな男は、東洋人ですか?」

 クリスフォードが尋ねると、セーラは頷いて教えた。

「ラム・ダスと言います。おじさまが、インドから連れてきたのです。私にとてもよくしてくれて、頼りになるのです」

「では、カリスフォード氏はインドに滞在したことが?」

「ええ。父と私も昔インドにいました。父とおじさまはインドで一緒にお仕事をしていたのです」

 ヘンリーはどんな仕事をしていたのかぜひ聞いてみたいと思ったが、セーラの表情がふと曇ったのを見て、その質問は差し控えることにした。ラム・ダスというインドの召使に促されるままに本宅へ入っていった。

 セーラを出迎えたカリスフォード氏の優しげな顔付きを見て、ヘンリーはこの紳士がどれほど引き取った親友の娘を慈しんでいるのかを知った。カリスフォード氏が、ていねいに別れを告げて出て行こうとしたところで、オーガスタは動けない自分の代わりにヘンリーへ見送りを頼んだ。

 普段なら、何かと理由をつけて断っていたであろうところを、もう少しこのダイヤモンド・プリンセスを見ていたいがために、ヘンリーは玄関まで彼らを見送った。

「どうです。とても素敵なお嬢さんだったでしょう」

 オーガスタは、甥が不機嫌をすっかり収めて、穏やかな表情になっているのを見て微笑んだ。

「なんというか、変わっていますね。年頃にありがちな浮ついたところが少しもなくて、まるで……」

「まさにプリンセスでしょう」

 しかるべき人物をのみそう呼ぶべきだと考えるヘンリーは賛同こそしなかったものの、セーラ・クルーの振る舞いが立派であることは認めていた。

「どういう家の出ですか。インドに住んでいたとか、ダイヤモンド・プリンセスだなんて呼ばれているようですが」

 オーガスタは座るように言い、それから女中に新しいお茶を持ってこさせた。お茶が届けられると、未亡人はそれを飲みながらゆっくりと話し始めた。

「最愛の人を失うことは、とても悲しいことよ。私にも経験があるけれど、セーラさんはなおのことお気の毒。カリスフォードさんから少し聞いただけの私でも、セーラさんとお父さまのクルー大尉はどれほど仲がよかったかよくわかりますもの。エドマンドはたしかに早くに亡くなったけれども、クルー大尉はもっと若かったからのですからね。二人ともお互いにずっと仲睦まじく暮らしていくのだと疑わなかったはずですよ。その悲しみといったら……」

「母親は? 生きていれば娘を手放しはしないでしょう」

 オーガスタは悲しそうに首を横に振った。

「ずっと昔に亡くなられているのよ。セーラさんが生まれてすぐに。それもあって、お二人はふつうの親子以上に仲良くなられたのでしょうね。セーラさんはクルー大尉の最愛の娘で、大切だった奥様の忘れ形見で、リトル・ミセスだったのよ」

「クルー大尉はなぜ亡くなったのですか?」

「任官先のインドでダイヤモンド鉱山が見つかったの。親しかったカリスフォードさんと懸命に事業を興そうとされたのだけれど、最初はうまくいかなくてずいぶん悩まれたそうで……。あちらの過酷な気候もあったのでしょうね、身体を悪くされてそのまま亡くなられたの」

「それで、ダイヤモンド・プリンセスですか」

 オーガスタは、甥の顔をじっと見つめた。深く悲しみをたたえた瞳で。

「たしかに、事業は持ち直してセーラさんには莫大な財産が遺されたわ。イギリス中を探したって、あの方ほどに裕福なお嬢さんはいらっしゃらないでしょうよ。でもね、セーラさんにとってはどうなんでしょう。ダイヤモンド鉱山よりも、大好きなお父さまがご存命のほうがどれほど嬉しいか」

 そう言ってから、オーガスタは忌々しそうな口調になった。

「そんなこととはつゆ知らず、世間の愚かな人たちは財産があるというだけで、セーラさんは幸せだとみなすのですよ。それだけならまだしも、その恩恵にあやかろうとするのです。カリスフォードさんが、そろそろ必要な時期だろうとお思いになって、セーラさんを社交界へお連れになったとき、財産狙いのいやしい青年たちが群がってきたのですよ。まるで、角砂糖に集まる蟻のように」

 それでヘンリーは腑に落ちた気分になった。リトル・ミセスに挨拶をしてらっしゃい、とオーガスタが言ったときにカリスフォード氏が顔をこわばらせたこと。それを見たオーガスタが、今までのような失礼は受けさせない、と請け合ったこと。

 上流階級に数えられる名家でも、時世の移り変わりの悲しさで家計は苦しく、体面を保てずに没落していくものは少なくない。その一方で、うまく時流をつかんで大きな財を成すものもあり、正式な身分を持たないのに贅沢な暮らしをしているものがいる。

 成り上がり、と軽蔑することは簡単だが、それが悲しい虚勢にすぎないと、実は多くの貴族が付きつけられていた。そんな家の者にとっては、資産家の財産は喉から手が出るほどほしいものだ。プリンセスのダイヤモンドとの結婚を狙って、恥も外聞もなくすり寄ろうとする輩を想像することは、ヘンリーにとって難しいことではなかった。

 新興勢力を蔑み、それに媚びへつらう名家のものを憎む心がもっとも強い人こそが、ヘンリーの父である公爵だった。

 公爵にとっては、自分の家が貴族のなかでも格別に旧家で由緒正しいことが誇りで、それが人生のすべてなのだ。家名を保つための努力ならどんなことでも惜しまない。だから、ヘンリーは万事滞りなくイートンへ進学しなければならなかったし、そこでも模範的で優秀な生徒であることすら求められた。そして今は、紳士として社交界で人々と付き合おうとしない息子を憎悪し、旅行の間じゅう絶え間なく怨嗟をしたためた手紙を送ってくるのだった。ヘンリーは何度、苦々しく思いながら封すら切らずに暖炉へくべたか知れない。

 ハワードを脅かすものは、公爵にとっては身内であろうとも許しがたいのだ。たとえそれが、妻であっても。

 公爵夫人は公爵が選んだだけあって、やはり良い家柄の令嬢だった。公爵夫人となった彼女は、たしかに公爵を愛した。しかしヘンリーに言わせれば、それはハワードの地位と名誉への愛に過ぎない。公爵夫人にとって愛されるということは、物質的な豊かさを与えられることだった。

 公爵は、結婚後まもなく、家名に華をそえる美しい夫人が、とんでもない金食い虫であることに気付いた。公爵夫人は、馬車の大きさ、馬の数、身に着ける衣裳、宝石にいたるまで、すべての人よりも優れていなければ許せなかった。公爵が浪費を咎めると、公爵夫人は鼻で笑って、公爵夫人の名に恥じないものを取り揃えることこそが威信を示す手段であり、また公爵にはその義務があると、夫の虚栄心を巧みについて黙らせてしまう。それが彼女の自慢でもあった。

 父の狂気ともいうべき執着と、母のみだらなほどの浪費、そんな両親の愚かさに気付こうともしないいつまでも幼い弟にヘンリーはいい加減うんざりしていた。できることなら、人生から家族も家の名前も消し去りたかった。それが叶わないから、代わりに国から逃げ出して旅行をしてまわっているのだ。

 ダイヤモンド・プリンセス。最愛の父を奪う代わりに、そんな望みもしない称号を与えられて、彼女は神を恨まなかったのだろうか?

 どうしてあれほどまでに毅然としていられるのだろう、とヘンリーは思いを馳せずにはいられなかった。

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