タムの結婚(18)──同じ匂い
ルカラシーとキッパータックを閉じ込めた小屋は
しかし、実父が見つかったことでレイサの精神はひとまず落ち着きを見せていた。ガスの腕の中で、「父は山で、たった一人で命を落としたわけじゃなかった」と涙ながらに言ったことは忘れられない。もうルカラシーにもどの大庭主にも、この悲しみを包んだ円蓋に手を触れてほしくはない、関わってほしくはない(
それに、タム・ゼブラスソーン一家は泥棒であって、「殺し」などをやってはいけないのだ。自分の計画を今まで手伝ってくれたガットらに余計な罪を背負わせたくはなかった。犯罪に美学など
冬なのにジャケットの内に汗をどっさりかき、切れ切れの息で前かがみになりながら小屋の前に立った。ここまでずっと草に埋もれた道なき道を一時間以上も歩き続けてきた。こんなところに人の手で造られた物が本当に存在するのだろうかと疑ったが、やがて開けたがれ場に到着し、ゴミ捨て場に積まれた廃品のような小屋に出くわした。扉にはガットらが打ちつけたのであろう板切れと釘の封印がいくつもあった。まだやつらはこの中だ。
近づこうとして、ガスの爪先は不意に止まる。視界の端に、平らな石の上で寝ている白いS字フックが入り込んだ。ぱっと見、白蛇かと勘違いしかけて、いや違うだろうと首を振り、手で拾いあげる。
「なんだ? こりゃ」
忘れ物の登山用品──というか、生活用品? しかし、皮膚に伝わる感触が妙な感じだった。プラスチックにしては弾力がある。ゴムにしてはしっとりしている。子どものころに捕らえた蛇に感触だけそっくりであった。
ガスはとりあえず、この「不思議な物体」が気になって、上着のポケットにしまった。そのとき、足音で気づかれたのか、小屋の中で壁の乱打が開始された。
「誰か、そこにいますかー! 助けてください、閉じ込められています!」
ガスは一瞬怯んでから、声色を調整するための間を置いて言った。「待ってろ。人を呼んでくる」
ノックが鳴り止み、「お願いします!」と懇願するキッパータックの声。
体の芯がぐらつきそうになった。心臓に締めつけられるような疼痛まで感じた。ルカラシーを助けるのか。憎い相手を。このまま見捨てて消え去りたい気持ちが湧き起こった。本当はレイサのために、もっとやつを傷つけてやりたかった。あんな生ぬるいやり方ではなく、ドルゴンズ庭園を完膚なきまで叩き潰してやると誓ったはずなのに。
思考を断つため、ガスは目をぎゅっと閉じた。身を翻すと、辿ってきた勾配を足早におりていった。
ルカラシーとキッパータックは釣り道具屋の若き主人の手により救出された。主人によれば、第一発見者は三十後半くらいに見えるスーツを着た大柄な男で、突然店に現れ、山中の小屋で人の声がしたから様子を見に行ってほしいと頼んできたと言う。警察がそれをどう捉えたかは不明だが、二人はすぐに病院に運ばれ検査を受け、異常なしとわかるとドルゴンズ庭園のゲストハウスに身柄を移した。
窓の外は真っ暗になっていた。キッパータックがベッドで休んでいると、
「ヒューゴさん!」叶は両手の手提げ袋をほとんど放り投げてから、シーツに身を乗りだす。「私がタムのアジトへ行けなんて言ったばっかりに──二本松さんにも怒られたけど──危ない目に遭わせて、本当にごめんなさい」
「いいんだよ。行かなかったら通路は潰されてただろうし」
二本松もベッドの脇に立った。「今、別室で中央署の人間がルカラシーさんから話を聞いております。タムに会ったとあれば、あなたにもいろいろとお話を伺いたいところですが、あんな小屋に丸一日閉じ込められていたわけですから、しばらくはゆっくり休まれたいですよね?」
「ま、まあ、できれば……」キッパータックは申し訳なさそうに頭をかく。「でも、お手伝いさんから
「へえ、スイーツ?」と叶。「夕飯は?」
「夕飯は食べてないよ。病院で点滴もやってもらったし、僕が食欲がないって言って断ったんだ」
キッパータックは、雪蛤はアカガエルの卵管で、高級健康食品らしいよ、と教えた。「ひえー、カエル!」と驚きの声をあげる叶。
二本松は部屋の隅から椅子を二脚運んできて、一つを叶に渡す。
「あなたが電話で言っていた
キッパータックはしゅんとした。「そうですよね。……レイノルドは無事かなぁ」
ルカラシー・ドルゴンズはすでにベッドからは退出し、大広間で使用人たちに囲まれ警察官らと対峙していた。
中心には、
「……つまりあなたは、
「はっきりわからないうちから話せるわけがないでしょう」まだ疲れだけは色濃く引きずったままのルカラシー。椅子の背もたれに掛けた上着のように肩を丸めている。「私たちしか知らないはずのドレスのことをタムは取りあげた。そのときうちを辞めていった従業員は全部で三人。その中に私を恨んでいる者がいるかもしれない──でも、ただの憶測であり、ほかの庭園もいっぱい襲われていたし」
「はふ……」深いため息を送り、首を振る井。「相手は世にも不思議、マジックな洞窟ですからね。行方不明の福田江さんとレイサ・フルークさんの居場所を突き止めるしかタムを炙りだす方法はなさそう──ですが、その二人も洞窟に住んでいるとしたら、お手上げだわね」
「タムの罪は重いんですか?」
井とルカラシーの瞳がかち合う。ルカラシーが再度問う。
「もし捕まったら──」
「あなたは、ご自身の罪は重いとお考えですか?」井は毅然と言い返す。「ドレスに関する質問ですが、これは」
「私がやったことが
「関係のない人間を巻き込むのはルール違反な気がしますがね」井は再び念入りに頭を振る。「愛が絡むとやはり厄介ね。人間はその原動力があればどんなことでもやってのけようとする。そうですね?」
「愛……」
「ルカラシーさん、あなたは愛するラウラさんの名誉を守りたかったわけでしょう? たとえそれが幽霊でも」
「タムも……」とルカラシーは自分の革靴の先を見つめたままつぶやく。「あの二人は同じ匂いがした」
「え?」
「指輪はしていなかったけど。応接室に香が焚かれてあって──」
井の眼光が強まる。「タムとレイサさんがってことですか?」
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