第16話 タムの結婚(1)

 マジック・ケーヴを発見してから九度目の冬を泥棒たちは迎えていた。レイサの父、ライス・フルークの行方は依然としてわからぬまま。レイサのためにやれるだけのことはやろうと狂奔きょうほんしたタム・ゼブラスソーン一家だったが、怒りに駆られるまま行ったドルゴンズ庭園襲撃以降、休戦状態となり、現在、武闘派であり頭脳派としても名乗りをあげだしたナンバー・ツー、コナリアン・ヂュオを中心に、マジック・ケーヴを使った新しい商売に勤しむようになった。それは軌道に乗り、彼らに豊かな報酬をもたらしていた。



「タムさんが、結婚!?」

 洞窟のテラコッタ色の天井に、ガット・ピペリの声が響いた。いつものメンバー(コナリアン・ヂュオ、ガット・ピペリ、アミアンス、巨漢の男・コフィン)が雁首を揃えて、いつもの場所──〈第二コンコース〉にて、ガットが持ち帰った昼食の焼きそばを広げようとしていたときであった。

「そうなんだよ」とアミアンスが、自分もついさっき仕入れたばかりの情報をガットに教えた。「タム様、昨日台湾から戻ってきたらしくて。整形手術を受けに行っていたそうだよ」

「整形!」

 棒立ちのままあんぐり口を開けているガットの手から手提げ袋を奪って、コナリアンが気怠げな声を出す。「タムがレイサに惚れてることぐらい、全員知ってると思ってたけどな」

「そ、それはもちろん! でも、結婚みたいな社会制度を利用するのはスパイぐらいだと思ってたからさ」

 コナリアンは渋い表情を保ったまま。「おまえらは生粋の泥棒だから社会からいち抜けてるんだろうが、タムは元々そうじゃないからな。……おい、これ、〈かもしか亭〉じゃないか。贅沢だけは一人前かよ」

 アミアンスと、すでによだれを垂らしかけているコフィンも包みを開いて、麺の上に鎮座する豪勢な具に目が釘付けとなる。肉に海鮮に、色とりどりの野菜たち。

「おおーっ、こりゃクリスマスのテーブルにも出せそうだ!」

「おれたちずっと無休だったからよ」ガットは仲間の反応に満更でもないと肩をすくめる。「これくらいの贅沢はいいと思うんだ」

 車座になり、まだ湯気がちらほらしているところへ箸が躍りだす。

 コナリアンが麺を咀嚼しながら説明を継いだ。「福田江ふくだえまもる──あいつのおかげで大庭主だいていしゅ襲撃は楽にやれたが、予想以上におれたちの足を引っ張ってくれることがわかった。今でもかなりマジック・ケーヴに執着してやがるし、怪しいヘボ探偵の影、ルカラシーがレイサに送った手紙、おしゃべりな介護士のおばさん……いろいろ厄介なモンが浮上してきた。福田江のおっさんはこのままおれたちが見張るしかない。自宅の盗聴器も回収してきたよ。タムはレイサと一緒に、死ぬまでおっさんの面倒を見るってさ。とんだ善人魂だ。例のパトロンのじいさんから新しい戸籍とマンションも用意してもらって、そこが〝おままごと〟の舞台だ。今度の名前はヴィルヒリオ・フォンス。顔も結構な男前になっちまってるから、もうあの独創的な女装は見ずに済む」

「結婚祝い、なんか贈らないとね。フォンス夫妻の門出に」アミアンスは殻付きのエビをぱりぱり噛みながら言った。

「それならレイサの父親の遺骨がいいだろうな」

「お、おい」コナリアンの毒のある提案にアミアンスは恐々とする。

「そっか、タムさんとレイサさんが夫婦に……」としんみり噛みしめるガットに対し、「ただの傷の舐め合いであり、新しい別の〈檻〉ができただけだ」とコナリアンはメルヘンを認めない。

「しかし二人の場合、愛があって、まったくの偽装ってわけではない」

「はっ、愛ね」

 コナリアンはあっという間に焼きそばを食べ終わり、からの容器を片しだす。「マンションは葡萄ぶどうづか市の高級住宅街。塀も高くプライバシーもしっかりしていて、愛を育むのに理想的ってか? とはいえ、レイサは新婚生活みたいなものをじっくり味わえるわけでもないだろう。これから来る日も来る日も福田江のおっさんの世話。そして警察に一生追われる身の亭主を陰で支えることになる。なので〈第一コンコース〉の通路をマンションの管理事務室と繋いだよ。レイサと福田江のおっさんが羽を伸ばせるよう、〈人が誰もいない草原〉ってのをタムがマジック・ケーヴに頼んで用意した。今、三人はそこにいるから、じゃまはするんじゃねえぞ? まあ、マンションの方はおまえたちもたまに顔を出してやるといいさ。レイサに手料理でもごちそうしてもらえ」

「マンションと繋いであるって、大丈夫なのか?」とガットが心配する。「ほかの住人は?」

「なにもかもラメレオ氏の意のままに」コナリアンはタムのパトロンをそう褒めたたえた。「ただのマンションじゃないってことさ。合鍵もおれが預かってある」

 コナリアンは座ったまま上体を倒し、背後に並ぶ四つの穴を見やった。マジック・ケーヴが我が体内に潜む者の想いを受けて、望みの場所までの道を創りあげる力はいつものごとくだ。東味亜ひがしみあ国内であれば、どこへでも行けると泥棒たちは思っている。〈人が誰もいない草原〉という文字が、タムによる力強い筆跡で短冊に記され、入口の壁の凹凸に引っかけてあった。そんな都合のいい場所が存在するのか? とコナリアンは呆れたけれども、見捨てられた私有地といったところか。山だろうと冷蔵庫の中身だろうと、自分の所有物を良性の腫瘍のように放置しておく者はいるにはいるのだ。

 手入れされていない荒れた山にぽっかりと空いた草地はたしかに、喬木きょうぼくが巧妙に隠している患部のようだった。静寂を破るのは素性の知れぬ鳥の不気味な声のみ。しかし不思議とまったくの無害を誇るような穏やかさがあった。そういうものに包まれてほんのひとときでも同化したい、という気持ちが彼らを統べていたし、そこにいるとき、タムら三人は冬の空気のように透明になりかけた。


 レイサは精神的ショックと別れを告げたように長かった髪を少しカットし、明るめのメイクに変えていた。着古した黒のジーンズと藍色のセーターの上に、タムからプレゼントされたウォーターグリーンのダウンジャケットを羽織っていた。草をさくさくと踏んで、ふと首を持ちあげる。

「あら、あんなところに──」

 草の上に身を横たえていたタムがその声に反応し、片目を眩しそうに開く。「んぅ?」

「虹よね? きっと。光が何色かに分かれてるから。でも、すごく短くて、アーチになりきれていない。小さく切り分けたバームクーヘンみたいよ」

 彼らを見下ろす樹冠の背後に澄み切った青い空。見つめたままのレイサと、口蓋だけ向けるタム。あくびを繰りだす。

「あー、久しぶりに昼寝した。バームクーヘンなんてしばらく食ってないな。……そういや施設にいたとき、レンガみたいに固いパンケーキを持ってみんなで丘に登ったよな? 憶えてるか? ノナゴン・ガーデンだったか、そのときも虹を見つけたやつがいて、それでもうっすら消えかけていて、虹だ、いや虹じゃない……って大騒ぎになった。虹を見たら良いことが起こるなんてことをおれたちはばかみたいに信じていて、違うって言い張るやつが腹立たしくてな」

「ゲンヤって名前だったわよね?」レイサはくすくす笑いながら言った。「すべてにおいて懐疑的な子だったじゃない? 怪獣も幽霊もそんなものはいないんだって強気に言って、それでケンカになって……懐かしいわ。父は施設に来ると、ムン君のことをしきりに褒めてたの。あの子はすごく賢いって。でも、あなたのことも『しっかりした子だ』って言ってたっけ」

「残念だ」タムは上半身を起こした。「花婿候補として二番手だったなんて」

「私だっていつも褒められてはいなかったわ。かわいくもないし、勉強も苦手だったし」とレイサはそこで話を区切って、少し離れた場所で梢を屋根にして停泊する車椅子へと歩いていく。 

 スケッチブックを抱えて熱心に描画している福田江の首に、ハンドルにかけておいたカフェ・オ・レ色のストールを巻いてやる。

「護さん、寒くない?」

「寒くない」と福田江はレイサを見上げて答える。

 ときどきぼんやりすること以外はなんの支障もなく過ごしているこの老夫。自分と絶縁状態だった息子が突然似ても似つかぬ人物となって現れ女装をしていても気にもせず、また顔を大幅に変えて「レイサ(元介護士)と結婚する。あんたも一緒に暮らそう」と言いだしてもひたすらノーリアクションであった。それだけ判断がつかなくなってきているのかもしれないが。皺だらけの手の隙間から覗く鉛筆の線だけは、これからという未来がある若者が描いたみたいに非常に闊達かったつだとレイサは感心する。

「ほんとに、いくら描いても飽きないのね?」レイサの脳裏になにかがちらついて、表情が少し翳る。

「そろそろマンションに戻るか」タムは立ちあがった。

 タムの顔面は「これから」の意欲に満ちていた。一番幅を利かせていた鼻はほっそりとなり、皺もシミもたるみも追い払われていた。その新しい顔でレイサへ歩み寄り、手を伸ばし肩に触れる。

「新年を迎える前に親父さんを見つけてやりたかったが、もうちょっと待ってくれ」

「私は大丈夫よ。お願いだから、探すのは今はやめておいて」レイサは福田江の車椅子を押した。タイヤが草を巻き込む。「マジック・ケーヴが父がこの世にいることを証明してくれた。魚人ぎょじん地区の、どこかにいるのよね? 私と同じ東味亜にいる──それがわかっただけでも救いよ。今は、確定的な、なにかがなくてもいい。手術をしたからって安心はできないでしょう? 神酒みきさんや警察が来るかもしれないし」

「神酒! あいつは口ばっかりの痛い男だ」自分の鼻背を指でちょいちょいと掻いて、タムは顔をしかめた。「大庭主を裏切ったのも自分の身の安全のためだろうし、あいつはあいつでマジック・ケーヴに食指が動いたに違いないんだ。それなのに大庭調査会のメンバーを辞めたり福田江の心配をしたり、挙げ句、レイサの父親を探すと言ったり……。罪悪感と戦っているんだろうが、それだって結局、自分のためだ。ルカラシーと同じ腑抜け野郎め」

 

 二人は木々や地面の凹凸を躱して歩き、別の山の斜面に行き当たる。マジック・ケーヴの入口の印として置いておいた三角に尖った石に視線を落とす。福田江はというと、彼にしか視えない金色の光に眩しそうに目を細めた。

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