第16話 タムの結婚(1)
マジック・ケーヴを発見してから九度目の冬を泥棒たちは迎えていた。レイサの父、ライス・フルークの行方は依然としてわからぬまま。レイサのためにやれるだけのことはやろうと
「タムさんが、結婚!?」
洞窟のテラコッタ色の天井に、ガット・ピペリの声が響いた。いつものメンバー(コナリアン・ヂュオ、ガット・ピペリ、アミアンス、巨漢の男・コフィン)が雁首を揃えて、いつもの場所──〈第二コンコース〉にて、ガットが持ち帰った昼食の焼きそばを広げようとしていたときであった。
「そうなんだよ」とアミアンスが、自分もついさっき仕入れたばかりの情報をガットに教えた。「タム様、昨日台湾から戻ってきたらしくて。整形手術を受けに行っていたそうだよ」
「整形!」
棒立ちのままあんぐり口を開けているガットの手から手提げ袋を奪って、コナリアンが気怠げな声を出す。「タムがレイサに惚れてることぐらい、全員知ってると思ってたけどな」
「そ、それはもちろん! でも、結婚みたいな社会制度を利用するのはスパイぐらいだと思ってたからさ」
コナリアンは渋い表情を保ったまま。「おまえらは生粋の泥棒だから社会から
アミアンスと、すでによだれを垂らしかけているコフィンも包みを開いて、麺の上に鎮座する豪勢な具に目が釘付けとなる。肉に海鮮に、色とりどりの野菜たち。
「おおーっ、こりゃクリスマスのテーブルにも出せそうだ!」
「おれたちずっと無休だったからよ」ガットは仲間の反応に満更でもないと肩をすくめる。「これくらいの贅沢はいいと思うんだ」
車座になり、まだ湯気がちらほらしているところへ箸が躍りだす。
コナリアンが麺を咀嚼しながら説明を継いだ。「
「結婚祝い、なんか贈らないとね。フォンス夫妻の門出に」アミアンスは殻付きのエビをぱりぱり噛みながら言った。
「それならレイサの父親の遺骨がいいだろうな」
「お、おい」コナリアンの毒のある提案にアミアンスは恐々とする。
「そっか、タムさんとレイサさんが夫婦に……」としんみり噛みしめるガットに対し、「ただの傷の舐め合いであり、新しい別の〈檻〉ができただけだ」とコナリアンはメルヘンを認めない。
「しかし二人の場合、愛があって、まったくの偽装ってわけではない」
「はっ、愛ね」
コナリアンはあっという間に焼きそばを食べ終わり、からの容器を片しだす。「マンションは
「マンションと繋いであるって、大丈夫なのか?」とガットが心配する。「ほかの住人は?」
「なにもかもラメレオ氏の意のままに」コナリアンはタムのパトロンをそう褒めたたえた。「ただのマンションじゃないってことさ。合鍵もおれが預かってある」
コナリアンは座ったまま上体を倒し、背後に並ぶ四つの穴を見やった。マジック・ケーヴが我が体内に潜む者の想いを受けて、望みの場所までの道を創りあげる力はいつものごとくだ。
手入れされていない荒れた山にぽっかりと空いた草地はたしかに、
レイサは精神的ショックと別れを告げたように長かった髪を少しカットし、明るめのメイクに変えていた。着古した黒のジーンズと藍色のセーターの上に、タムからプレゼントされたウォーターグリーンのダウンジャケットを羽織っていた。草をさくさくと踏んで、ふと首を持ちあげる。
「あら、あんなところに──」
草の上に身を横たえていたタムがその声に反応し、片目を眩しそうに開く。「んぅ?」
「虹よね? きっと。光が何色かに分かれてるから。でも、すごく短くて、アーチになりきれていない。小さく切り分けたバームクーヘンみたいよ」
彼らを見下ろす樹冠の背後に澄み切った青い空。見つめたままのレイサと、口蓋だけ向けるタム。あくびを繰りだす。
「あー、久しぶりに昼寝した。バームクーヘンなんてしばらく食ってないな。……そういや施設にいたとき、レンガみたいに固いパンケーキを持ってみんなで丘に登ったよな? 憶えてるか? ノナゴン・ガーデンだったか、そのときも虹を見つけたやつがいて、それでもうっすら消えかけていて、虹だ、いや虹じゃない……って大騒ぎになった。虹を見たら良いことが起こるなんてことをおれたちはばかみたいに信じていて、違うって言い張るやつが腹立たしくてな」
「ゲンヤって名前だったわよね?」レイサはくすくす笑いながら言った。「すべてにおいて懐疑的な子だったじゃない? 怪獣も幽霊もそんなものはいないんだって強気に言って、それでケンカになって……懐かしいわ。父は施設に来ると、ムン君のことをしきりに褒めてたの。あの子はすごく賢いって。でも、あなたのことも『しっかりした子だ』って言ってたっけ」
「残念だ」タムは上半身を起こした。「花婿候補として二番手だったなんて」
「私だっていつも褒められてはいなかったわ。かわいくもないし、勉強も苦手だったし」とレイサはそこで話を区切って、少し離れた場所で梢を屋根にして停泊する車椅子へと歩いていく。
スケッチブックを抱えて熱心に描画している福田江の首に、ハンドルにかけておいたカフェ・オ・レ色のストールを巻いてやる。
「護さん、寒くない?」
「寒くない」と福田江はレイサを見上げて答える。
ときどきぼんやりすること以外はなんの支障もなく過ごしているこの老夫。自分と絶縁状態だった息子が突然似ても似つかぬ人物となって現れ女装をしていても気にもせず、また顔を大幅に変えて「レイサ(元介護士)と結婚する。あんたも一緒に暮らそう」と言いだしてもひたすらノーリアクションであった。それだけ判断がつかなくなってきているのかもしれないが。皺だらけの手の隙間から覗く鉛筆の線だけは、これからという未来がある若者が描いたみたいに非常に
「ほんとに、いくら描いても飽きないのね?」レイサの脳裏になにかがちらついて、表情が少し翳る。
「そろそろマンションに戻るか」タムは立ちあがった。
タムの顔面は「これから」の意欲に満ちていた。一番幅を利かせていた鼻はほっそりとなり、皺もシミもたるみも追い払われていた。その新しい顔でレイサへ歩み寄り、手を伸ばし肩に触れる。
「新年を迎える前に親父さんを見つけてやりたかったが、もうちょっと待ってくれ」
「私は大丈夫よ。お願いだから、探すのは今はやめておいて」レイサは福田江の車椅子を押した。タイヤが草を巻き込む。「マジック・ケーヴが父がこの世にいることを証明してくれた。
「神酒! あいつは口ばっかりの痛い男だ」自分の鼻背を指でちょいちょいと掻いて、タムは顔をしかめた。「大庭主を裏切ったのも自分の身の安全のためだろうし、あいつはあいつでマジック・ケーヴに食指が動いたに違いないんだ。それなのに大庭調査会のメンバーを辞めたり福田江の心配をしたり、挙げ句、レイサの父親を探すと言ったり……。罪悪感と戦っているんだろうが、それだって結局、自分のためだ。ルカラシーと同じ腑抜け野郎め」
二人は木々や地面の凹凸を躱して歩き、別の山の斜面に行き当たる。マジック・ケーヴの入口の印として置いておいた三角に尖った石に視線を落とす。福田江はというと、彼にしか視えない金色の光に眩しそうに目を細めた。
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