第14話 神酒の失踪(1)
ドルゴンズ庭園にて十五年の間、執事として
ガタム氏はおそらく五十代くらい。泥をかけられるのがドレスから自分に変わっても眉一つ動かさなさそうな、「不屈の巨人」といった風貌であった。のっぺりとした額の上にだけ見られる
犯人は従業員で、空から庭園に落ちてくる砂を美容目的で利用するため持ちだし、バケツに入れ水と交ぜたものを誤ってドレスに引っかけてしまった。ずっと黙っていたのは、この行為が悪意を持って行われたものと捉えられ騒ぎになり、ほかの従業員が犯人扱いされ身内で
きっとその手際で数々の
結局、タムは犯人ではなかったということか。タムはどこかでドレス事件の話を入手し、犯人不明をいいことに売名のために利用したというところか。タムはタムで今ごろになってやはり「やっていない」と覆したくなったのだとしたら、そこにもなんらかの意図があるように思えるが……。
執事に言わせるところもまったく気に入らない、と二本松は思う。従業員の不手際であり、ドルゴンズ家には落ち度はないのだ、と思わせたいのだろう。そりゃドルゴンズ庭園のここ最近の騒がれ方は目に余るものがある。それでもこの後マスコミがルカラシーやセミル氏へマイクを向けずに終わるとは思えないのに。
ガタム氏は献身色に染まった両目で臆することなくカメラを見据えて、両肩もそのまままっすぐ空へと飛び立ってしまいそうなほどぴんと左右に張ったまま、二本松の前にいた。画面からまだ去っていなかった。マスコミはそう簡単には「それはよかった、これで解決ですね」とは言ってはくれないのだ。
取材陣「その従業員は現在もドルゴンズ庭園をやめていない?」
ガタム氏「すみません、これ以上は……。使用人たちにそろそろ穏やかな日常を取り戻してほしいと思っています。今後はこの事件についてのご質問は控えていただけますでしょうか」
取材陣「美容目的で砂を持ちだした──ということは、こっそり売るつもりだったとか? 犯人は女性?」
ガタム氏「ですから、これ以上はなにもお答えできないと……」
取材陣「内部の情報がどうやってタム・ゼブラスソーンに洩れたんでしょうね?」
ガタム氏「それは私にはわかりかねます。もう……よろしいでしょうか?」
取材陣「ちょっと待って。タムはルカラシーさん宛てにメッセージを残してたんでしょう? ドレス以外にもなにかあったのでは? ガタムさんはその辺、心当たりは?」
ガタム氏「もうお答えできることはありません。かんべんしてください」
取材陣「ルカラシーさんはなんて言ってます?」
二本松は自分が取材に
その
「ドレスにうっかり砂を引っかけちゃった、か……それで七年もごたごたする名家って、すごいですよね。これ、従業員の写真?……こんな
「庭園隠者だよ。見窄らしくて当然だ」二本松は八代が疑問を抱いた男の風貌を改めて見つめながら答える。髪が長く、痩せこけた、顔に深い皺が目立つ、中年の画家。ドレス事件のごたごたでドルゴンズ庭園を去っていった従業員が三名いると言われていて、画家はそのうちの一人だ。
「庭園に棲んで、質素な世捨て人のような役を演じなきゃならないわけだよ。決して楽な仕事じゃない。まあ、十八世紀に流行したらしい庭園隠者とは違って、彼の場合は単なる庭の世話人だったろうがね。貧しい絵描きだったのをルカラシーさんに気に入られ雇われたらしい。ドレス事件が起きたとき、腰を痛めて屋敷内で休んでいて、その部屋がドレスが飾ってあった場所に近かったこと、彼が絵を描くときに使っていたバケツがドレスのそばで発見されたこともあって犯人だと疑われ、それを苦にしてやめたということだ」
「さっきの、砂を美容目的で利用しようとしたってやつで? この人が美容なんて発想をしそうにありませんよね」ほぼ駄弁である感想を披露し、勝手に渋面を作る八代。「でもバケツを勝手に使われて、しかもドレスのそばで発見されたなんて……罪をなすりつけられたってことじゃないですか? 犯人なら証拠は隠すでしょう」
「まあ、その可能性はある。実際、彼の絵の才能や、ルカラシーさんに目をかけられていることに嫉妬していた連中もいたらしいからな」八代から画家の写真を取り返して、テーブルの資料と一緒に片づけにかかる二本松。
「こっちの若いのも犯人容疑で?」八代はじゃまするように二人目の写真も拝借する。「使用人の制服を着てる……。しかし、こいつは
「見た目で決めつけるな……と言いたいところだが、まあ、そうだったらしいよ」二本松はついでに三人目の人物の写真も、八代が手を出す前に拾いあげて、彼に向けながら言う。「その若者はさっきの庭園隠者、画家の男のことを犯人じゃないか、と言いふらしたやつだ。で、逆に使用人仲間から距離を置かれ、庭園側からもクビを言い渡され、屋敷を去った。それからこっちの女性は、セミルさんの衣装係の助手で、疑われた画家の男に同情して、屋敷内の不穏な空気を嘆いていたそうで、ふてぶてしい若者がやめた後、追うようにやめていったとか。若者と恋仲だったという噂もあったらしい」
「はあ、どっちなんですか?」八代は目を見開き、二本松から写真を奪って言った。「女は画家びいきなのか若者びいきなのか……複雑ですね。なかなかかわいい……愛嬌のある顔だ。しかし衣装係だったことを考えると、ドレスが
「犯人と疑われた人間、ショックを受けた人間……内々の出来事とはいえ、その内々にかなりの数の人間がいた」二本松はコーヒーを飲み干し、疲れた息を吐きだす。「だから、盗聴などせずともドレス事件の情報は外部の者も小耳に挟むことはできたかもしれん」
「酒場で憂さ晴らしに飲んで
そのセリフは聞き捨てならない、という反応を見せる二本松。しかしどんな職業であれ、酔うこととしゃべることは免れない、と表情を戻す。「重要なのは、タムがルカラシーさんに求めた謝罪というのが、今回のようなことなのか、ということだ。ルカラシーさんは謝ってもいないしな。タムが犯人じゃないなら、七年前に屋敷に忍び込んだ事実はなかった、となる。しかしツアーの最中には犬と盗品は侵入させている──いまだ経路もわからずだ」
「うーむ。ドルゴンズ庭園、まだまだ叩けば埃が出てきそうな……。内通者が出てきてくれれば話が早いんだけど」
そのドルゴンズ邸。マスコミ会見の発案者ザッカリー・ガタム氏が、疲労困憊の
犯人は適当に「従業員である」とでっち上げればいい、とガタム氏は提案した。多くの人間がドルゴンズ家に関わり、去っていった。その中に「不届きなことをした」人物がいたとしてもおかしくはない、と誰でも思う。たとえ架空であっても……。
「タムがこれで満足するかどうかわかりませんが」とガタム氏は細心の注意を払っているような音量で吐きだした。「少しは収まるかと。またタムがなにか言ってきたら、そのときに考えましょう。タムはたしかに、ドルゴンズ家に関わった誰かと繋がっているのかもしれません。大庭主制度や
ルカラシーは木もベルベットもつやつやと光っている一人がけの椅子の中にいた。飾られている花、並べられたティー・セット、そして頼もしい執事。
「ザック、すまなかったね。こんな役目を負わせて」とルカラシーは言った。
「ルカラシー様、私はなにも……。どうか、あまり気を塞がれないようにしてください。悪が正しいというような世界を皆、受け入れはしないでしょう。そのうち平和を取り戻せます。タムは制裁を受けますよ。きっとです──」
ガタムはそよ風のように動いて、部屋を去り際、年代物のレコードプレーヤーをかけていった。品のいいジャズピアノがこぼれはじめた。傷心に染み渡るような、安らい。それに心を許す前、ルカラシーは数秒間にわたって、優秀な執事の先の言葉を
悪が正しいという世界は受け入れられはしない、悪は制裁を受ける、きっと──。
ルカラシーは目頭を手で覆うと、音楽が流れる床に
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