神酒の失踪(2)──マジック・ケーヴ、コナリアンとガス・ラフローの出会い

 鍾乳洞は相変わらず、天井から生温かな明かりを降り注ぎ、岩壁の凹凸に幽玄な陰影を与えていた。電気など通っていないはずだから、岩石自体が発光している──のだろう。この世にこんな仕組みの洞窟が存在するなんて、本当に信じられないことだ──。


 ドルゴンズ庭園で執事による会見が行われたひと月前。サムソン神酒みきは恐る恐る足を進めていた。目の前をつらら石やらカーテン状の鍾乳石が垂れ下がっているとか、床面がでこぼこしている、ということもない、ただ石のトンネルというような通路がまっすぐ伸びている。

 ここは泥棒たちのテリトリーだった。その事実が彼の神経を波立たせ、脅かしていた。今やタム・ゼブラスソーンとその一味と言えば、東味亜ひがしみあ国中、知らない者はいない。彼らと関わった自分を激しく悔いていた。第二十番大庭だいていの元庭主・福田江ふくだえまもるとのつき合い上、その出会いは避けられなかったことだったのかもしれないけれど。


 長いトンネルが終わり、広い空間に出た。中央に巨大樹のような胴回りの石柱があり、それを取り囲むようにカーブする岩壁に新たな通路を示す大きな穴がいくつか並んでいる。その手前、石柱の付け根から波状に横に伸びる堆積物の上に腰をおろして待っていたのは、臙脂えんじ色のトレーニング・ウェアに身を包んだスキンヘッドの小男。彼が神酒を呼びだした相手、コナリアン・ヂュオだった。

「おお、サムソン。来たか」耳障りなざらざらした声が湿っぽい岩壁に反響する。

「一体、なんだと言うんだ」目の前に立っただけで、彼ら特有の忌まわしい気を受けて、神酒はぐったり疲れてしまう。「おまえたち、今度はなにをはじめる気だ? まだ僕になにか用があるのか。いいかげん、解放してくれ……」

「ぁあん? 随分嫌ってくれるじゃねーか。こっちはおまえが喜びそうなとっておきのプレゼントを用意して待ってたのに。気分が台無しだぜ」

 コナリアンはスッと立ちあがると、頭を壁の穴へと振って、「ついてこい」と無言で示した。すばしっこい動きで洞口どうこうをくぐっていくので、神酒は重苦しさを振り払い、慌てて背中を追う。

 再び長いトンネルだ。コナリアンは歩調を緩め、薄気味悪い微笑みをよこした。

「おれとタムは、このマジック・ケーヴを自由自在に使いこなせる段まで来ている。きっとおまえ、驚くだろうぜ」

「なにを企んでいる?」神酒は聞きたくもないと思ったが、ここまで来れば聞かずに済むことはないだろう。

 やがて目の前が眩しい光に埋め尽くされた。外界からの光だ。トンネルの終わり、出口が迫ってきているのだ。

 待ち受けていた景色の先に、土壁を主体とした無骨な大屋敷が見えた。手前は広々とした駐車場と庭。その敷地の中にトンネルは繋がっているらしい。

「こ、ここは……」

 神酒に再びニヤリ笑いを浴びせるコナリアン。「携帯端末のGPS機能で調べたところ、穹沙きゅうさ市の地獄番ケルベロス地区にある個人経営の道場兼宿泊施設らしい。あまり声を張りあげるなよ。人が近くにいるとまずい。……これを見ろ」

 コナリアンは、一本一本がごつごつとし、また生命力がぎっしり詰まった蛾の幼虫であるかのような指をゆっくりと開く。先端にが結びつけられた紙片が現れた。七夕飾りに使われる短冊だ。そこには歪んだ汚い文字で「アピアンがある場所」と書かれていた。

 無言のまま目だけ見開く神酒。

「ハッ、張り合いのない喜び方だな。おまえが探している〝アピアン〟をマジック・ケーヴが見つけてくれたんだぜ? もっと感動してもいいと思うがね。まあ、プレゼントの意味はわかったね?」

「まさか……」

 固まっている神酒を拳で小突くコナリアン。「サムソン、もうちょっと素早く頭が回ればおまえをもっと評価してやってもいいんだがな。マジック・ケーヴはおれたちの望みの場所へ連れて行ってくれるじゃないか。アピアンがある場所へ行けたとしても不思議じゃない」

「ほ、本当に」神酒はぎこちなく首を動かして、外の景色を再度確認する。「ここにアピアンがあるっていうのか?」

「道場の裏手の山の中腹に、砂地が表れていてな。多分そこだろう。客を装って訪ねてみたらどうだ?」コナリアンは悪党らしい、シシシシ……という下卑げひた笑いを歯の隙間から洩らす。「広い砂漠を当てずっぽうに探すよりはるかに楽だろうぜ。これは褒美だ、サムソン。おまえにはいろいろ世話になったからな」

 コナリアンは洞壁へ手を伸ばし、岩の凹凸を愛撫する。「おれがタムに頼んでみたのよ。おまえが必死こいて探しているアピアンをマジック・ケーヴに探してもらってもいいだろうかってな。こいつは本当に優秀な『仲間』だぜ。こいつさえいれば、おれたちは無敵だ」

 法悦に浸る男とは反対に、神酒はうなだれ、その場にしゃがみ込んだ。



 * * *



 マジック・ケーヴは、地球の謎や神秘に打たれた一部の冒険家、オカルティストたちの間のみで信じられていた〝架空の〟鍾乳洞だと思われていた。どことも知れない空間にひっそり存在し、その出入口は見た目ではわからない。そして一番の特徴は、内部に潜り込んだ人間の「願望」に反応する──望みの目的地までの通路を出現させる──まさに洞窟というものだった。

 タムの仲間たちは、人気漫画の有名アイテムを浮かべて、「どこでもドアならぬどこでも洞窟だな」などと言って笑ったこともあった。


 そんな不思議な洞窟のあるじぜんとして、タム・ゼブラスソーンと共に運命の「舵取り」を行っているコナリアン・ヂュオは、中央都・翼人よくじん地区で使役しえき動物のハンドラーであった両親の下に生まれた三男坊で、とある流派の拳法を十代半ばで体得し、その運動神経は「翼の生えたひょうのよう」と言われるほどだった。しかし酷薄そうな顔つきである上コミュニケーション能力にも欠けていたため、兄弟子たちとトラブルを起こし道場を追われ、やがてうらぶれた生活を送るはめになる。

 ある日のこと、虎人こじん地区の山道を、金になる薬草を探しながらぶらぶら歩いていたところ、草の隙間から覗く岩肌の一部分、幅・高さとも一メートル半ほどの範囲が金色に発光していることに気づいた。特殊な鉱石でもあるのかと近づいて手を伸ばしてみたところ、指先が吸い込まれるのを見た。夢でも見ているのだろうかと自分を疑い、何度も目を凝らしたが、夢ではなかった。

 そこがマジック・ケーヴの洞口どうこうだったのである。指先が消える辺り、金色の光の中へ、何度も何度も震える手を伸ばし、引っ掻くように上下に動かしてみた。やがて震えの止まった手は、小石を掴んで投げ入れてみたり、木の枝を差し込んだりした。そこにあるはずの硬い岩石は存在していないようだった。空気がある、と言ったらいいような感じで、抵抗なく物質を受け入れることを知ると、やがて腕だけでなく、体全体を投じてみる気になった。予想どおり、スッと内部へ入り込むことに成功した。そこには驚くことに、ほのかな明かりをたたえた鍾乳洞が広がっていたのである。「人目を避けた不思議な洞窟」がコナリアンに微笑みと新たな生活を与えた。


 タム・ゼブラスソーンと名乗ることになる男との出会いは、ある酒場だった。コナリアンはそのころ、始終やさしげな明かりを灯して、快適な鍾乳洞を完全に住居としていて、街では退廃した区画にある商店の用心棒や金持ちの娘のボディーガードをしたり薬草や花を売ったりして日銭を稼いでいた。独りが気楽なコナリアンには何不自由ない暮らしだったが、ただ一つ、洞窟内のなにかが体に合わないのか、鼻や耳の奥を除いてほとんどすべての体毛が抜け落ちてしまった(そのような肉体反応が起こったのはコナリアンだけであった。福田江護もケーヴ内で深手を負ったと言ってもいいが、後の出来事であるし、ここでは割愛する)。頭はつるっぱげになったし、眉毛も睫毛まつげも微々たるものになった。他人は余計に近づかなくなった。居心地のいいその酒場でも、彼の定席は店の裏手の蓋つきゴミ箱の上。顔見知りとなったオーナーから適当な酒を買うと裏口からこっそり出ていき、汚物の臭いを肴にちびちび飲むような毎日を送っていた。


 その酒場の常連だった、ガス・ラフロー。出会った当時は二十四、五歳だったろう。生まれてすぐに路地裏に放りだされ、児童養護施設で育ち、プロレスラーのような体格と豪快な話しぶりが特徴だった。粗野な態度とは裏腹に意外にも悪事とは縁がなさそうであった。頭も悪くなく人にも好かれるたち。古物商としてすぐに頭角を現し、商売は驚くほどうまくいっていた。しかし、彼が友人と呼ぶ者たちは残念ながら、そうそう器用でも、才能に恵まれているわけでもなかった。

 いつもの路地で酒瓶を片手に寒風になぶられながら渺渺びょうびょうたる星を見上げていたコナリアンの耳に、憐れな声が届いた。中国マフィアに目をつけられている、なんとか身を隠せないだろうかと、否運が服を着て生きているといった者たちにはありがちな命乞いの相談だった。そこにいた、腕を組み、耳を傾けるガス。

「おれが代わりに話をつけてやろう」

 逡巡なく吐かれた俠気おとこぎ。その語調だけで、ガスがどういう人物なのか知れた気がした。

 こういうやからはとかく情が原動力で、その慈悲深さで空中からパンでもワインでも取りだせるみたいに、すべて好転させられると信じているんだな、とコナリアンは笑い飛ばしたくなった。それでも自分の知らないところで殺されかけりゃあいい、とは思わなかった。ふとした気まぐれというか、もしかするとコナリアンは、自分にはない魅力を放つガスに興味を抱いたのかもしれない。

 誰にも知られたくない、秘密の花園のはずだった。はじめて他人となにかを分け合う行為に及んだ。コナリアンは、「よかったらおれがいる洞窟に来ないか?」とガスとその仲間を誘っていた。「そこなら安全に身を隠せるぜ」。

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