東味亜大庭研究ツアー(11)──残った二人
ルカラシーはうわ言を言った二人から話を聞くつもりだと告げた。
「これ、集団催眠とかじゃないでしょうね?」頬のこけた中年刑事も当惑を隠しきれず、言う。
「アテルラナは、アジア奥地に伝わる霊樹でしてね。『悪癖を抑える』、ということで知られていたみたいです。酒癖が悪く暴力を振るっていた男がこれを飲んでおとなしくなったとか、配偶者の浮気が治ったとかいう話も伝えられているようです。シャーマンのような役割の者たちは、この木には森に棲む妖精の息が吹きかけられている、と説明しているようで、それを飲み込むと人間の
「妖精の息だとか、そんな話……」
「信じなくて結構です。これは自然科学的にはただのハーブで、人体に害はない。それに、私は無理やり飲ませてもいないでしょう。『お嫌いでなければどうぞ』と申しあげました。皆さん、ご自分の意志で飲まれたのですよ」
「そんな理屈が通ればいいですが」
テーブルでは眠りから復帰した者たちが頭をあげ、きょろきょろと見回していた。あくびや伸びをしている者もいて、「結構、効くなぁ」という声もあがり、特に騒ぎになるでもなかった。
ルカラシーはイワノに二人の名前を出し、話をしたいと申しでた。訊きたいことがあるだけで、たいした話ではない、終わったらホテルまでタクシーで送らせる、代金はこちらで持つと話をつけ、ほかの者たちは先に帰ってもらうことにした。皆、少時眠ったせいかややぼんやりした感じだったが、「疲れていたのだ」ということになったようで、バスへ向かって歩きはじめた。
「井さん、どうなさいます? 一緒にお話を聞かれますか?」ルカラシーは確認してきた。
刑事たちは目顔で意思を図り、三十代絡みの若い男性刑事が進みでた。
「
ルカラシーの表情が一瞬、ぴくりと痙攣を起こす。
「ルカラシーさん、あなたも事件関係者の一人なのですから、事件に関わることで勝手なことは謹んでください」
「当然そうなのでしょうね。……あなた方はそのルールに則って行動しているまでだ」ルカラシーは肩をすくめ、自分に言い聞かせるためのように言った。
井が取りまとめる。「では、よろしいですね? 私たちはあなたの家の従業員の方にお話を伺うという仕事の続きがまだ残っていますから、お部屋は引き続きお借りいたしますよ?」
「どうぞ」ルカラシーと言った。「では檜山さんだけ、私についてきてください」
大勢の背中が戸口へと離れていく中、キッパータックは
「はい」と頷く叶。「なんの話があるのかわかりませんが、私は無実の人間ですので、すぐに終わって合流できると思います。後でレポートの書き方、教えてくださいね? なんだったら、お二人のをコピーさせてください。ちゃんと一部分変えて提出しますので」
「じゃ、後ほど、レストランで」ピッポも二人に手を振り、去っていった。
叶は隣に立っている
神酒はいわゆる景気の悪い顔──どんよりと曇った顔で、固まっていた。きっとまだ彼女に電話できないことに沈みきっているのだと叶は思った。
メンバーが全員引き払ってしまってから、叶は訊いた。
「神酒さんもルカラシーさんに呼ばれたんですね?」
「うん……」神酒はてのひらで口を覆った。「なんの話があるっていうんだろ」
「ついでにルカラシーさんに宝石を売り込んでみたらどうです?」
「じゃあ君もルカラシーに自分を売り込んでみる? あんな金持ちで美男子の独身、探そうったってそういないぜ? チャンスじゃないか」神酒はその会話のおかげか、少しだけ沈鬱を解いたようになった。
「まず相手にされないでしょうが、されたとしても幽霊がライバルになるわけでしょ? 嫌ですよ」
「キッパータック君も結構な変わり者だと思うけど? 蜘蛛を飼ってるんじゃなかったっけ?」
「あれは家族であり恋人ではないと思います」叶は真面目に答えた。
「へえー、じゃあ、君も蜘蛛と家族になるんだ」
「ちょっと、それ、どういう──」
そこへ使用人が神酒を呼びにきた。ルカラシーが一人ずつ話を聞きたいと言っているので、堺さんはここで待っていてください、と告げられた。
神酒が使用人の後ろをついていく。叶ははあ、とため息をつくと、テーブルの椅子を引いて腰かけた。
使用人たちが、先ほど供したティーカップとクッキーの皿を片づけはじめる。
小柄な男が、それぞれの皿のクッキーを一つにまとめて、山盛りになったものを叶へ差しだした。
「こちら、よろしければお召しあがりになりますか?」
「私、そんなに食いしん坊に見えます?」携帯端末を扱っていた叶は顔をあげると、クッキーの量に驚いてそう言った。
男は真剣な面持ちで早口で答えた。「私はお客様に対していかなる先入観も持っておりません。老若男女、いかなるお客様もただお客様であり、いかなる習慣、味覚をお持ちであるかに関わらず、すべてお客様はいかなるクッキーでも召しあがりになるかもしれないという考えの元にお勧めさせていただいております」
「わかりました、変なこと言ってすみません」叶は慌てて言った。「下げていただいて結構です。この後レストランで食事しますので、遠慮しておきます」
「そうですか……」男はクッキーとともに去っていった。
「はあ……」叶は再度ため息をついた。「早く帰りたい……」
神酒が通された部屋は、先ほど警察の聴取があったのと同じ宿泊客用のベッドルームらしかった。大きなベッド、ふかふかの枕、真っ白なシーツ。鏡台にライティングデスク。椅子に座って、やや厳めしげな表情を固定させているルカラシーと面した。もう一人、三十代くらいの男性刑事は檜山と名乗り、ルカラシーの脇に立っていた。こちらの男はなんてことない、やや不熱心な顔つきだった。
「ええっと、僕はなぜ呼ばれたのでしょう」神酒は自分から切りだした。
「先ほど、薬湯を召しあがられたとき、ご気分が悪くなられましたか?」
相変わらずのやわらかな物腰で、ルカラシーが訊いてきた。
「いや、特に」神酒は額に指を当てた。「ものすごく眠くなったというくらいで。かなり効果があるみたいですね。ほかの人もうとうとされたみたいだった」
「ええ」ルカラシーは頷いた。「そのとき……サムソン神酒さん、あなた、タム・ゼブラスソーンの名前を口に出されたんですよ、うわ言でね」
「えっ?」神酒の目が見開いた。
「アテルラナはその人の良心を呼び覚ます不思議な木、などと言われていて、飲むと半睡状態で心のもやもやを打ち明けることもあるそうです。アジア奥地では医療現場でも用いられていたということです」
「あんた、まさか──。我々の中にタムの仲間がいると思って、それで
「警察」のところで檜山に眼差しを切り替えた神酒。檜山は無言で、こちらに
ルカラシーは首を傾け眉尻を指で支え、神酒をじろじろと観察した。「ただのお茶の提供に警察もなにもないでしょう。そこまで精霊の力に期待していたってわけでもなかったです。……私もたまに就寝前に飲んでいますが、睡眠アプリを使って録音しても、うわ言なんて撮れていませんでしたから。私も大変驚いているのです」
神酒は椅子の背にどっと体を押しつけた。「僕は知らない。なぜ僕がタムの名前をわざわざ言わなきゃならないんだ。しいて言えば、僕たち
「なるほど」とルカラシー。「あなたは、『タムは僕とは関係ない』と叫んでおられました。大いに関係あるということですね? 迷惑かけられている相手だと。少しおかしな言葉だな、と思いました。本当に接点を持たない場合、『あの人とは関係ない』とは言いませんからね。むしろ身近にいて、それでも関係ない、そうおっしゃりたいのかと。……それで気になって、お呼び立てしたわけです」
神酒は表情を波立たせ、震えた。「いくらなんでも失敬だよ、君。僕の身近にタムがいるって? どこにいるんだ、教えてくれよ」
「怒らせてしまったのなら、申し訳ありません」ルカラシーの方は目色一つ変えずに言った。「あなたは穹沙市の大庭調査会のメンバーでいらっしゃるんでしたね。大庭の発展に尽力されている」
「タムが身近なのは君の方じゃないか」神酒は眉間を押さえた。「庭園を荒らされて憤慨する気持ちもわかる。でも僕たちは被害者だ」
「そう、私たちは被害者です」
神酒がすっかり疲弊してしまったのか、ルカラシーが悪趣味的な追及に満足してしまったのか。二人とも永遠に沈黙を続けそうに思えたが、ルカラシーが切りあげた。
「ありがとうございます、もう帰っていただいて結構です」
神酒はシャツの上からアピアンのネックレスを押さえながら、よろよろと大広間に戻った。退室するときに叶を呼ぶように言われたので、椅子に座ってのんびり携帯端末を眺めている叶に声をかける。
「次、君の番だ。来いってさ」
叶が顔をあげる。「……神酒さん? 随分顔色が悪いですけど、大丈夫ですか?」
「失礼なやつだよ、あの若造」神酒は呟き、額にハンカチを持っていく。
「一体なにを言われたんです?」叶は
「君こそなにを口走ったんだよ」と神酒は訊いた。「なにも言ってないなら呼ばれないはずだ」
「口走った?」叶はうーん、と考えた。「ホールにあった絵が気持ち悪いとは言いましたが、従業員の方はそこにはいなかったはず……。まさか、この屋敷にはあちこちにマイクが仕込まれているとか? エスペラント語で話せばよかったかしら?」
「まあ、なんだか知らんが気をつけた方がいいよ。……僕は先に失礼する」神酒はこれ以上
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