東味亜大庭研究ツアー(10)──振る舞われた薬樹

 ツアーメンバーたちは大広間で警察官に囲まれたまま、ぼんやりと宙や天井、携帯端末の画面へ目を移しながら待ち、順番に呼ばれ、刑事たちの下へ行った。

 キッパータックが入室すると、中年男性刑事が椅子をてのひらで差して座るようにうながした。

 キッパータックはなにもなくとも額に汗が滲んできた。二本松にほんまつ刑事と話した日のことを思い出した。また蜘蛛のことをつつかれるのではないか、札束に変身させてみろ、と言われたらどうしようと、関係ない心配を頭に巡らせていた。

「ヒューゴ・カミヤマ・キッパータックさん」刑事はいかにも刑事といった色のない目をまっすぐ向けて訊いてきた。「穹沙きゅうさ市の大庭主さんね。あなた、二回もタムに襲われたんだってね」

「そうです……」キッパータックは困惑の顔。二回も被害に遭い、そのことを十数回は尋ねられるという二次被害も発生している。

「……ふんふん、行ったのは西エリアだけ。ボークヴァの塔に行ったんだね? では、ビニール袋を見ましたか?」

「はい」とキッパータックは頷く。「さかいさんと広場のベンチに座ったときに、黒いビニール袋に気づきました」

「堺さんね……。時間は何時くらいだったか憶えてます?」すらすらとノートに書き留める刑事。

「三時くらいだったと思います」

「庭にいるときにほかになにか不審な物、人物を見ましたか?」

「いえ、なにも」


 かないは自分の聴取が終わると、席を離れて壁際へ寄り、こっそり馴鹿布なれかっぷに電話をかけた。この状況を記憶が新しいうちに老先生に知らせておきたかった。穹沙署の二本松刑事なら、すでになんらかの情報を耳に入れているのかもしれないが。

「それはとんでもないことが起きたな」馴鹿布の声はさすがに苦々しげだった。

「ええ、タムは穹沙市狙いだと思っていましたよね?」目の端で警察官の動向を追いながら小声で話す叶。「だから私はタムのことは先生に任せて、こちらで小バカンスを楽しもうと思っていたのに」

「キッパータック君とな」

「周りにじゃま者がいっぱいいますけどね」叶はこほん、と咳払いした。「……しかし、一度襲った庭へは来ないわけじゃないんですね。それどころか、もしかするとタムはドルゴンズ庭園に個人的怨恨えんこんがあるのかも。いや、ルカラシー・ドルゴンズさんに? 手紙でルカラシーさんを名指ししていました。おでこを地面につけて謝れ、とか。警察は、手紙はタムが過去に残した声明文と特徴が一致していると判断しているみたいです」

「ふむ。しかしなにか、いつものタムのイメージと違う気がするな。一番の驚きは、盗んだ品が返ってきたことだ」

「ええ、あれもタムの犯行であるという証拠になっています。盗んでコレクションしているんだと思いきや、なぜ突然返してきたんでしょうね。それに、どうやって私たちがいる庭に忍び込んだのか。まあ、、とも言えますが──ここ、一部山があるだけで、周りはほぼ住宅街ですからね。警察は私たちの中の誰かがタムに手引きしたと思ってるみたいなんですよ」

 長話しているので、近くの警官が刺すような目を向けてきた。タムタム言っていると唇の動きで内容がばれてしまうのではないかと思い、叶は「怪しまれているので切りますね」と言って電話を終了させた。


 聴取から戻ってきたキッパータックとピッポが話しているところへ叶が戻ってくる。ピッポが椅子の上で振り向いて言った。

「キッパータック君、君と仲良くしていることを警察に話しちゃったらしいよ」楽しげなピッポ。「もうこれは、言い逃れできない案件だよね」

「そうですか、それじゃあ仕方ないですねぇ」叶はピッポにからかわれてあたふたするのにも飽きてしまい、そう返事した。「私もキッパータックさんと二人きりで塔の広場にいたことを話しました。そのとき恋の話もしましたしね」

「ほぅ、では認めるんだね?」

「その話はまた今度にしましょう。今はそれどころじゃ……」

「タムは本当に憎いやつだ」ピッポは腕組みして頷いた。


 警察がてきぱきとやって、聴き取りの時間はあっさり終了した。皆、大型の荷物はバスのトランクの中だったので、手持ちのバッグなどに盗品を隠しておけたとは思えない(特にハンモック)。もちろん、野良犬を庭にひょっこり登場させることも、手品でなければ不可能だろうという結論だった。タムの仲間が外からやってきて、監視カメラや警備員の目をかいくぐり、どうにかして犬や盗品を運び込んだと考えるのも困難と言うならば、ドルゴンズ庭園内に最初から「あった」という可能性も浮上するのだ。


 ルカラシー・ドルゴンズはこの結果の気に入らなさに一人、美しい顔貌を引きつらせ、歯噛みしていた。ドルゴンズ庭園内に盗品が隠されてあっただと!? 

 ジン警部補が、七年前のドレス汚損事件のときに数名の従業員が辞めたようだが、と訊いてきた。

 そんなことはとっくにわかっている……とルカラシーは胸奥きゅうおうで怒気を吐いた。のだから。なのにどうして、七年前、やつはわざわざ「自分がやった」とかしたのか? そしてなぜ今になって急に「罪を着せられた」と言ってきた──。


「お客様がホテルに移動されるそうです」と執事が伝えにきた。

 ルカラシーは疾風のように動くと、井の下へ行った。「井さん。もう全員疑いは晴れたのですか?」

「任意の聴き取りでいつまでも拘束するのもですね」と井は伏し目がちに話す。「もう皆さん、大分お疲れのようで……どなたも心なしか、されていますよ」

「そうですか、それはお詫びしなければなりませんね」そう言いながらルカラシーの方でも声色にとがりが見られた。

 大広間に使用人たちがワゴンを押して入ってきて、ツアーメンバーたちにいそいそとお茶とお菓子を配りはじめた。ルカラシーが現れ、言った。

「皆様、今回はこのようなことになってしまい、大変申し訳ございませんでした。楽しんでいただけるはずの時間が……」

「ルカラシーさん」今回のツアーの代表者、観光局・企画課のイワノがルカラシーに歩み寄る。「どうか、ルカラシーさんもお気を落とされずに。タムは憎き悪党です。どこまで我々に嫌がらせすれば気が済むのか。警察の方が必ず捕まえてくれます」

 イワノの言葉に首を垂れた後、ルカラシーはメンバーの方に向き直った。「まだ少しおつき合いいただいても、ホテルでのお食事の時間には間に合いますでしょう。お詫びといってはなんですが、リラックス効果があるとされる〈めずらしい薬樹〉が偶然手に入りましてね。お嫌いでなければご賞味いただければと思います」

 

 ガラスのポットに肉桂色の木の枝が数本沈んでいた。透明な湯にもその色がじわじわと染みだし、微かにかんばしい香りがのぼってくる。洋菓子の方は大皿に並べられ、それぞれのテーブルの中央に置かれた。

「〈アテルラナ〉という名前の木です」ルカラシーが説明する。「ハーブやアジア奥地の療法に造詣ぞうけいのある方でしたらご存じかもしれませんね。ただ誘眠効果があるようで、これから運転されるというときにはお勧めできません。私もたまにいただいていますが、これのおかげか非常によく眠れます」

 皆夕食前であったし眠りたいわけでもなかったが、これからバスに乗りホテルでチェックイン、荷解き……と順々に思い浮かべると、ほっと息をつきたいという欲求を留められなかった。

「ああ、いい香りだ」神酒が白いカップを持ちあげ、鼻に近づける。

 ほかの者も菓子に手を伸ばし、口に運び、ニッチなハーブティーのことも引き寄せた。

 井、刑事たちは棒立ちのまま、彼らの一服をただ眺めていた。そそられる光景に、「私もいただいていいですかな?」とルカラシーに伺いの笑みを向けた刑事もいた。



「あ、あの……ルカラシーさん?」

 様子がおかしいことに気づき、井は眉をひそめると同時にすかさずルカラシーに返答を求めた。しかし当のルカラシーは同じものを見ていながらなんの感想もないらしく、白々しい態度であった。

 一行はお茶をきっした後、テーブルに俯せる者が続出した。そうでなく椅子の背に反り返っているとか、自分の手に顔を埋めて一時停止している者もいた。そして次々起こったいびきや寝息、うめき声……。

 刑事たちは慌ててツアーメンバーに駆け寄り、顔を覗き込んで「大丈夫か?」と体を揺すった。

「ルカラシーさん、これは──」井の語調には責めるような鋭さがあった。

 華麗なてのひらがさっと割って入る。井のおそれを、まるでやめてくれとでも言うように、ルカラシーは迷惑そうに押し返す。

「……刑事さん、今、タム・ゼブラスソーンの名前を口にした人物がいましたね?」ルカラシーの返事だった。「あなたもお聞きになられたでしょう?」

「あなた、一体なにを……なにを振る舞われたんですか?」井は愕然がくぜんとするばかりだった。

「ただのハーブですよ、井さん。聞いていらっしゃらなかったのですか?」ルカラシーは冷然と言い放った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る