東味亜大庭研究ツアー(9)──タムの声明文

 時計の針は午後四時を回り、本来の予定では庭観賞を終え、虎人こじん緑郷りょくきょうホテルへ移動をはじめてもいいころなのだが……。

 からっぽの観光バスに、トランクには詰まれたままの荷物。メンバーたちはそこへ近づくことを許してもらえず、全員、ドルゴンズ庭園のゲストハウスの大広間に拘束されていた。眩しいばかりの装飾品に囲まれて、ここまでぴりついた表情をぶら下げることになるとは夢にも思っていなかった。その景色の間間に、ドルゴンズ庭園の使用人の代わりとばかりに警察官が立ち並び、ツアーメンバーたちにまったくありがたくない眼光を投げてきている。

 そこへカツカツと、ローヒールを鳴らして登場したのは、中央都では有名な女性警部補、ジン礼南レイナであった。井は身長百七十センチメートル超え。誰も表立って口にしないが、地面と平行方向のサイズについても、銅鐘のような貫禄ある見た目を持っていた。メンバーたちはまさに眼前を大きな壁で塞がれた思いがし、自分たちはそういう「足止め」を食っているのだと、はっきり思い知らされた。

「皆さん、研究ツアーの最中であったというのに、とんだ災難でしたわね」井は非常に穏やかに、虫が入った料理にとりあえずクローシュをかぶせる、といった趣で遺憾を述べた。「私たち東味亜ひがしみあ国民の平和の象徴である庭園でこのような『残念な』ことが起こったわけですから、この暴力的事件の収束のために少しご協力いただくことになります。皆さんも、これは許し難いことだと──」

「本当にタム・ゼブラスソーンの仕業なんですか? 刑事さん」メンバーの一人が椅子から立ちあがって発言した。「あの野良犬もですか? タムは一度襲った庭は襲わないって聞いていましたけど」

 その意見を検討し合うざわめきが起こる。ふくよかな顎をぐっと喉元に押し込んで、皆を制する井。

「それは今までがそうだったということです。それから、これがタムの犯行であるか──なのですが、タムの名入りの手紙が見つかっています。ただ、現時点でお話しできることは少ないと思います。これから調査しますのでね。……とにかく、なんの罪もないワンちゃんの体に紛らわしいおもちゃを巻きつけて庭園内に放り込んだ『けしからん者』がいて、その犯人はおそらく、皆さんを恐怖に陥れて研修のじゃまをしたかったのだと思います。そこで、なにか気になることがなかったか、なにかご存じでないか、お話をお伺いしたいと思っています」

「あの、いいですか?」ノン・エイスケ氏が挙手した。「私たち、もしかすると、疑われていますか?」

 席から一斉にどよめきが起こった。これも井がすぐさま抑える。

「タムが犯人ならタムを咎めるまでです」井は一度ゴホン、と咳払いした。「ただタムもその仲間もいまだに捕まっておりません。警察としては重要な情報を集め、タム逮捕に繋げたい、ということです。連日の庭園訪問でお疲れのところお引き止めして申し訳ないと思っております。なので、不明な点を思いつきや想像で埋めて騒がれないようにお願いいたします。皆さんは全員、大庭関係者でございますね? 大庭が不要に取り沙汰されることはお望みでないでしょう。この事件について、むやみに他言もなさらないようにしてください。マスコミが食いつきそうなネタを──特に画像を、インターネットにばらまくなどもおやめくださいね。ネタの正確性はなにより重要です。公開する必要のある情報なら、できればわたくしたち警察がばらまきたいものです」

「警察は、秘密主義。なにも教えてくれない」クリス・ドイが髭をいじりながら不満を口にした。

「それは教えられるものじゃなかったからでは?」と井。「それか警察もなんにもわかってないか、ね」

 余裕の自虐ネタに一同が笑いをこぼす。


「ああ」と重苦しげな息を吐いて、手で顔を覆う神酒みき。「楽しいツアーが台無しだ。夜まで続くんじゃなかろーな。早くホテルで休みたいよ。彼女に電話するって約束しているのに」

「東京に年下の彼女がいるんでしたね」とかないが訊く。「アピアンも結局見つからなかったんですか?」

「うん。見つからなかった。また気長に探すよ」

「あれ? ピッポ君は?」キッパータックが首を回して探す。

「汚れた包帯を替えに」と叶が教える。「砂だらけでしたからね。警察官が付き添ってドレッシングルームへ行ったみたいです。私たち、自由にトイレも行けないのかも」

「やっぱり疑われてるんだ」と声をしわがれさせる神酒。「そうだよな。今日は貸し切りで、園内には僕たちしかいなかったんだもんな」

「私たちがどうやって犬を庭園に放つんですか」と叶は憤慨気味に言った。


 侵入した犬が体に巻いていたものは、画用紙と壊れた目覚まし時計で作られた偽物の爆弾だった。そして塔の広場に放置されていたゴミ袋の中身は──さすがにピッポはいち早く気づいていたが──タム・ゼブラスソーンが穹沙きゅうさ市の大庭から盗んだとされる品物であった。

 第十四番大庭で盗まれたハンモック、第一番大庭で盗まれた龍の茶玩ちゃがん、それにレモン邸で奪われていったひいらぎシェフの包丁──。もちろん、この詳細をキッパータックたちが知っているのは自分たちが発見者だったからだ。警察は「タムが盗んだ品物が庭で見つかった。タムの声明文があった」とだけ告げた。

 テッドが勝手に封筒を開けたことで、手紙の内容まで叶は思いがけず拝むことができたのだった。



「プレゼントを気に入ってくれたかな? ドルゴンズ庭園の庭主、ルカラシー・ドルゴンズには並々ならぬ思いがあるもんで、とっておきの物を用意しなければならなかったのだ。ルカラシー・ドルゴンズは、なんの罪もない無垢むくなおれ様を犯人扱いしやがった不届きな野郎だ。おれ様はそんな蛆虫野郎を断じて許さない。庭の土におでこをこすりつけて今すぐ謝れ。さもないと、今後もアジア中の庭がおまえの卑怯さのために汚されることになるぞ。


              アジアが誇る庭荒らし タム・ゼブラスソーン」



 あれはどう考えても……と叶は思った。まさか、今までのタムの犯行はルカラシー・ドルゴンズへの当てつけだったのだろうか。タムの嫌がらせがドルゴンズ庭園からスタートしていることを考えても、可能性はありそうだ。しかし、東味亜の主要都市は中央都と穹沙市だけではないし、大庭だってほかにもいくつもあるのに……。


 大広間のすぐそばの客室にこもり休んでいたルカラシーの下へ、井が数名の刑事を連れてやってきた。瀟洒しょうしゃな椅子に似つかわしげに背を預けながらも疲れた様子が見て取れる庭主に、井は気遣うやさしげな語を降らせる。

「ルカラシーさん、大丈夫ですか? 本当に憤懣ふんまんる方ない、といったところですね。……では、こちらのお部屋を使わせていただくということで」

「ええ」ルカラシーは心ここにあらず、という虚ろな返事だった。

 側近の者がいて、「刑事さんたちのお飲み物のカップはこれだけでよろしかったでしょうか? まだお持ちしましょうか?」と訊いた。

「はあ、これはどうも」白髪交じりで頬のこけた中年男性刑事が応じた。「我々のことはどうぞお気遣いなく」

「井さん」ルカラシーが人払いをした後、立ちあがってから言った。「私もここに同席させていただくわけにはいきませんか?」

 井は静かに答えた。「私たちにお任せくださいませんか? 警察の聴取に一般の方が交じられるのはね。研究ツアーの方たちもよくは思われないでしょう」

「私の顔に泥を塗られたようなものなのに、黙って引っ込んでいろと?」ルカラシーの目が艷やかな前髪を透かしてけわしく光った。「今朝、管理の者が西エリアを見回ったときにはあのような袋はなかったと言っていました。ツアー客が庭へ出たのを見計らったように、野良犬も、盗品も、現れたのですよ?」

 井は首肯しゅこうと受け取られないよう顔を動かさないようにし、傾聴していた。

「あなたがお腹立ちになられる気持ちはよくわかります」

「あの盗賊には一味がいるんでしょう。私だって今回のツアー客にタムの手下が紛れ込んでいるなんて考えたくもないですが」

「それを言ったら、庭園の雇い人の中にだっているかもしれないのですよ?」サイドテーブルに用意された紅茶のポットとカップを取りながら男性刑事が言うと、ルカラシーは怒るでもなく、髪をかきあげた。

「だから、従業員のことも調べてくださって構いませんと言っていますよ。この際、徹底的に調べてくださいよ」

「タムの声明文」と井は言った。「どう考えてもあなた個人へ向けた内容のようでした。七年前、タムは自分で『おれがドレスに泥をまいた』と書いたくせに、今回は『犯人扱いされた』とちぐはぐなことを言っています。また、被害に遭ったドレスはお母様、セミルさんの物で、マスコミに『タムのことは許せない』と発言されたのもセミルさんだったと記憶しています。あなたはその事件に関わっていないはずと私は思っていますが。それとも、なにか別のことで、タムとおぼしき人物に恨まれるようなことがあったとか。……まるで身に憶えがないとのことでしたが、なにか思いだされたら、すぐにお話しくださいね?」

「泥棒の言うことなど──」

「はい?」

 ルカラシーは首を振って、部屋を去るためにドアへ向かって歩きだした。「もう結構です。なにか情報が出てきたら教えてください。部屋はいくらでもご提供できますから、好きに使ってください」

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