東味亜大庭研究ツアー(8)──緊急メール

 それからなぜか、かないが恋の話をしだした。「……馴鹿布なれかっぷ先生の探偵業をお手伝いしていたときは、彼氏との関係がめんどくさいなって思ったことがありましたよ。たまに夜中も先生の張り込みを手伝ったり、車で迎えに行ったりしなきゃならなくて、それに対して『どうしてそんな時間まで働くんだ』とか、『おれだったら別の仕事に変わる』とか、文句を言われるとですね……。私はこの仕事を選んだんだから、仕方ないじゃないって思いました。私は彼氏の残業とかつき合いに文句を言ったことはないのに、理不尽だな、とも。まあ、そういう感じでうまくいかなくなって……」

「探偵はたしかに大変だったろうね」

「ええ。それでも幽霊と交際したいとは思わないでしょうけど」叶の頭の中ではもう、ルカラシー・ドルゴンズは恋愛に懲りた経験を持つ男ということになってしまっていた。


 叶はキッパータックの話も聞きたがった。恋愛遍歴が気になるというより、単純に、どんな話でも、彼の人生を覗いてみたかったし、触れてみたい気持ちがうずいていた。

「兄が中央都にいるんだけど」とキッパータックは話した。「兄が紹介してくれた女性とつき合っていたことはあるよ。兄がすごくいい人だからと勧めてきてね。ドラッグストアのマネージャーをやってて、仕事熱心なんだけど、いつも唐突に変わったことを思いつくおもしろい人でもあった。あるクリスマスの時期に、めずらしく仕事が早く終わったから今から会いたいと言ってくれて──十六時くらいに、三十番国道を通って行くって言うから、渋滞に巻き込まれそうだな、と心配したんだ。そしたら案の定、ものすごい車の列だったらしく、途中で引き返したみたい。『仕事が最近うまくいかなくてつらいから愚痴を聞いてもらおうと思ったけど、渋滞の方がつらかった』って電話がかかってきてね。……それで、なんだかそれきりになっちゃったんだよ」

「ええ?」叶は喫驚した。「渋滞が原因で会えなかっただけで? まさか──」

「仕事が原因かな、多分」キッパータックは考えて、微苦笑した。「思えば僕も清掃業をはじめたばかりで忙しくて、あまり悩みを聞いてあげられなかった。だめな恋人だったと思う。その人、その後仕事をやめて日本へ行ったみたいだし」

「仕事はほんとによく恋を引き裂きますよね。ある意味、憎い相手だわ……」


 会話がやんで、からっぽになった二人の頭に〈空から落ちる砂〉のことが舞い戻ってきた。もう十分休憩は取ったので、庭観賞に戻ろうということになる。キッパータックが、ピッポたちがどうしているか、携帯端末に連絡を入れようと思ったとき、メールの通知音が鳴り響いた。それは叶の端末からも、塔の上からも聞こえてきたのだ。

「観光局からお知らせかな?」キッパータックはタップしてメールを開く。


 

  関係者各位

 

  ***緊急メールです***


 南エリアに体に異物を巻いた野良犬が侵入した模様。現在、警察が捕獲を試みています。皆様は安全のため、現在居る場所から動かないようにし、そのまま待機してください。南エリアは封鎖しておりますので、足を踏み入れないようにしてください。現在、南エリアにおられる場合は近くの係員の指示に従ってください。また状況がわかり次第こちらからご連絡いたしますので、このメールに返信はなさらないようにお願いいたします。


 中央都観光局・企画課 イワノ



「異物を巻いた野良犬?」自分の端末で読んでいた叶が怪訝けげんな顔をする。

「動かないでくれって書いてあるな」キッパータックも不安を滲ませる。

 二人は反射的にベンチから立ちあがって周囲を見回した。特に変わったところがなく静かで平和なのは、エリア違いだからか。

 ボークヴァの塔に近寄ると、螺旋階段を見上げた。見通しをよくするためか、ほとんど鉄の骨格材だけでできているような塔に風がさあっと吹き抜け、感触としても心的にもどこか冷たそうな階段の裏側が見えた。

 先ほどゴミ袋に不快を示していた案内人が塔の上にいる。話す声が耳に届いていた。

「上からだとなにか見えるかもしれない」とキッパータックが言った。「動かないでくれと言われたけど……。僕、見てくる。叶さんはここで待ってるかい?」

「わ、私も一緒に行きます」と叶は言った。


 塔のてっぺん、展望台に着くと、そこに五人いて全員南へ向けていた目をこちらへ投げてきたので、キッパータックは「なにか見えますか?」と訊いてみた。設置されている双眼鏡を覗いている者もいたし、案内人は眉根を固く寄せ、携帯端末をチェックしていた。

「南エリアにネットが張られている。警察官が来ているよ」

 キッパータックも双眼鏡を借りた。たしかに南エリアと西の境界と思われるところに防弾チョッキなどで武装した警察官が数名うろついていて、地面でネットを引きずっていた。片づけているようにも見える。犬は確保されたのだろうか。

「今、ドルゴンズ邸の者と連絡を取りました」案内人が皆へ告げた。「どうも、庭園に侵入してきた犬の体になにか巻かれてあって、それが爆弾じゃないかということで騒ぎになったようです」

「爆弾!」

 本当に爆弾なら危ないからこのまま塔の上にいましょう、と案内人は提案した。垂直方向にも距離があった方が安全ではないかという話だった。

 手すりに捕まって別の方角を見ていた叶がキッパータックに話す。「ピッポさんと神酒さんがこちらに向かってきています。きっと不安に思ったんじゃないでしょうか」

 キッパータックも動いて草原を見やる。「本当だ。丘から引き返してきたんだね」

 ほかにも数人、ばらばらな方角から円の中心へ引き寄せられるように塔を目指して歩いてくる。


 キッパータックが「知り合いがいるのでおりてもいいですか? 内容を伝えたいので」と言った。

「わかりました、行っていいですよ」案内人は地面へさっと視線を送って言った。「皆さんでこちらにのぼってこられたら? 私なら庭園の運営グループと連絡が取れますから」

 

 二人は塔をおりた。ピッポと神酒だけでなく、ベッキー・パンとテッド・ナラハシ、ピョフュル庭園従業員のルー・コウジュンが広場にやってきた。

「ピッポさんたち──」叶はジョンブリアンの丘に行っていた二人を見て目を丸くした。「全身砂だらけじゃないですか、どうしたんです?」

「あはは、転んじゃって」恥ずかしそうに頭を掻く神酒。

 ピッポの包帯もシャツもところどころ茶色に染まっていた。「僕は神酒さんを助けようとしてこうなったんだよ。決して相撲を取ったわけではないし、蟻地獄に引きずり込まれたわけでもない」

「念願の砂遊びができてよかったですね」と叶は呆れた。「メール、見たでしょう?」

 叶がわかっていることをそこにいる全員に知らせた。

「爆弾とは剣呑けんのんすぎるわね」ベッキーが腕を組み、言う。「よく考えりゃ、タムにも侵入されているし、庭主は幽霊と昵懇じっこんだし、多少の醜聞があるわよね? ここは」

「まあ、玉にもきずはありますよってね」テッドが憫笑びんしょうめいたものを浮かべる。

「これって威力業務妨害? またタムの仕業じゃないよね……」とルーが心配する。

 叶が言った。「そういえば、ニカード大庭園もドルゴンズ庭園もどちらも幽霊がいるみたいですけど、その幽霊って、その場所で亡くなった方なんでしょうか?」

「いわゆる地縛霊ってやつ?」とベッキーが訊く。「どうだろ? でも幽霊に自由に出歩くイメージはないわね」

「この塔ってそんなに古いもんじゃないと思うけど?」テッドが見上げて言う。


「これ、さっきから気になってたんだけど、ごみかな?」ルーが広場に置きっぱなしのビニール袋を掴んで持ちあげた。

「なにそれ」ベッキーが顔をしかめる。「刈り取った雑草でも入ってんの?」

「いや、ロープみたいなものが……編まれてあるからネットかな?」

「勝手に触らない方がいいかもよ。爆弾じゃないでしょうね?」

 たいしたものじゃないと判断したルー、地面にぽんと投げ返す。「単なる忘れ物か」

「こっちは龍の置き物が入ってるぜ」テッドまでつられて別の袋を覗き込んでいた。

「龍の置き物?」ピッポが言って、二人の下へ進みでた。「どこかで見たような……。そっちのロープも見せてください」

 ピッポがロープを見ている間、テッドは三つ目の袋を開いていた。

「おいおい、こっちには包丁が入ってるよ」刃は一応、段ボールで作った鞘で覆われていた。

 ピッポが振り向く。

「なんなのよ、ますます穏やかじゃないわね」ベッキーは明らかに七面倒な、という顔になった。

「手紙も入ってるぞ」両手に包丁と白い封筒を握って面々に見せるテッド。「封がされていない……見てみよう」

「テッド、庭園のものを勝手に開けちゃ──」

 止めようとしたベッキーに、テッドが「これ、庭園のものじゃなさそうだぜ」と開いた手紙越しに上目遣いで言った。

 


 


  

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