東味亜大庭研究ツアー(5)──五人、六人……七人?
クリスと連れの若い男・ノン氏が心配だから
ロビーの椅子に座って待っていると、中央の階段をおりてくる叶の姿が見えた。背中をやや曲げて、いかにもつらそうな表情をしていた。
「ごめん、叶さん、わざわざ来てもらって。もしかして寝てたのかい?」ピッポが立ちあがり、自分が座っていたソファーを譲り、座らせる。
「いえ、ベッドに横になってただけです。……頭がすごく重いというか、体がだるいというか。陽射しの中を長く歩いたので、軽い熱射病かもです」叶は目の前にいる見知らぬ二人の男に意識を向ける気力もないらしく、俯いたまま話した。
「あの、」ノン氏が先に口を開く。「はじめまして。交流会のときにも自己紹介させていただきましたが、私はノン・エイスケといいます。隣はクリス・ドイさん」
「はあ……」叶はようやく顔をあげ、眉間に皺を寄せて男たちを見る。
「ゆらゆら、揺れる」とつぶやき、クリスは自分の白髭を揺らす。「メドラレアが帰る、具合よくなる」
「めどられ?」
ピッポが説明する。「どうも、君はニカード大庭園の山に棲んでいる女性の霊から嫉妬されているらしいんだ。それで急に具合が悪くなったんだというのがクリスさんの見解でね。あんまりチャーミングが過ぎるというのも罪作りだね」
「一体なんの話ですか?……あぁ、また頭が痛くなってきた」
「五人」クリスは長い指を等間隔に開き、てのひらを叶へ向けた。「五人、男」
「あなたは五人の男性から想われているそうです」通訳するノン氏。「オーラが乱れてゆらゆらと揺れています。間違いありません、霊障が起こっています」
「視える、私」クリスは目を閉じ、もぐもぐと髭を上下させた。
事情がわかった叶は怒りはじめた。「五人なんて、あり得なくないですか? 全然身に憶えがないんですけど……。もし仮にそうだとしても、霊なんかにとやかく言われる筋合いはありません」
「霊、通じない」
「メドラレアにこちら側の理屈は通用しません」ノン氏がしかめつらしい顔で説明する。「おわかりいただけるかと思いますが、彼女は大分古い時代の霊なのです。当時は異性と出会って好き合い、結ばれることは奇蹟でした。物語の中の恋でさえ、悲劇が溢れていました」
「頭禿げた、髭、老人」
「頭が禿げていて、ライオンの尾のような髭を生やした老齢の男性があなたに想いを寄せています。おそらく書道家かと。心当たりは?」
「誰なのよー、それ。あいたたた……」叶は体を前に倒して頭を押さえた。「
「カラーリ、男」
「眉毛の太い空手家の男性もいます。……それから、
「あれ? 一人増えていませんか?」とピッポが指を折って数えながら言う。「特徴のないパキスタン人で六人になりましたよ?」
ノン氏は驚いたように体をびくつかせると、どういうことだ? とクリスの方を窺う。しかしクリスは深い世界に入り込んでいて、自分の瞼の裏だけを見つめ、頷きをくり返している。
叶にとっては──何人挙げられようと──すべて思い当たる節のない男たちだった。会ったこともないのに一体どういう了見で想いを送っているのだろうか。
「それで」とキッパータックが代わりに開口した。「どうすればその女性の霊は叶さんから離れてくれるんですか?」
クリスは自分の左手首から黒々とした天然石のブレスレットを外すと、それをテーブルへ置いた。ノン氏に目顔を送り、ブレスレットを指差す。
ノン氏が伝える。「このブレスレットの上に左手を乗せてください。指先から霊が出ていくようにクリスさんが祈祷してくださるそうです」
クリスはぶつぶつと外国語の低い唸りをあげはじめた。叶がうなだれたまま手を乗せようとしないので、ピッポが叶の腕を取り、ブレスレットに乗せる。
数分後、クリスは瞳を開いた。「もうダイジョブ……」
「メドラレアは帰ったそうです」ノン氏も安堵の笑みを浮かべて言った。「あとはハーブティーでも飲んで静かに休めば大丈夫でしょう。私の故郷のハーブはおすすめです。乱れたオーラを整えてくれます。少し分けて差しあげましょう」
外国の細かな文字が並んだ紅茶のティーパックのような包みをノン氏は叶の前へ置いた。
「叶さん、どうだい? 今の気分は」ピッポがノン氏がくれたハーブを調べながら尋ねる。
「うー……特に変わらず」叶は相変わらず額に手を当てて苦しげな息をもらしている。
ハーブは怪しげなものではなさそうだったので、ピッポは叶の手に握らせ、部屋に戻って休むように勧めた。
夕方、参加者はホテルのレストランで食事となった。気が合う者たちで同じテーブルを囲み、ニカード大庭園の大自然を称え感想を交わし合う和やかな時間が流れたが、キッパータックとピッポ、神酒のところに叶の姿はなかった。
夜、神酒は
ある区画に、新鮮な野菜や果物を並べているショップがあった。数名の客が興味深そうに眺めていて、売り子の女が雑然とした荷物の上に木のまな板を置き、細かく切っては試食を勧めていた。
ピッポは、皮がマルベリー色のバナナを見つけ、キッパータックに言った。
「見てごらん、このバナナ。変わった色だけど、すごくおいしそうじゃない? これ買って、叶さんに持っていってやろうか」
「そうだね。叶さん、なにも食べていないかもしれないしね」
隣の客がまさに購入して、その場で皮を剥いて食べているところだった。ピッポに微笑んで、「これ、とても甘いよ」とサムズアップを見せる。
二人で小銭を出し合い一房のバナナを購入し、味見も怠らなかった。さっそくプレゼントしようと叶の部屋番号を探し当てると、声をかけ扉をノックした。
叶はずっとベッドで休んでいたようで、体を引きずるようにして出てきたが、表情は幾分やわらいでいた。二人を部屋に招き入れて、ベッドに腰をおろし、差し入れのバナナの皮を剥きはじめる。
「どう? 少しは楽になった?」
叶が答える。「霊のことはよくわかりませんでしたが、ハーブを入れたお湯を飲んで眠ったら、頭の痛みは収まりました」
「それはよかった」ピッポは椅子に座り、サイドテーブルでノート型PCを開いて、レポート作成にかかっていた。
キッパータックも携帯端末になにか打ち込んでいる。叶はそれを見ると言った。
「そうか、レポート作成の宿題がありましたね。あー、めんどうだわ。ただの旅行じゃないってことはわかってたけど」
「僕はアンケートだけ入力してる」とキッパータック。「レポートは穹沙市に戻ってから書くよ。今はうまくまとめられそうにないから」
「私もそうしようっと。バナナの感想ならすぐにでも書けそうだけど」
ピッポがディスプレイを睨んで、文章を点検する。「……フットパス専用ブリッジは、まさに自然の中に人間が侵入しすぎない、という節制を体現しているように思える。自然保護を目的にした国立公園の概念であり、従来の庭園とは
「学生時代以来……ってことです?」と叶が訊く。「ピッポさんの人生ってなんだか想像がつかないわ。ところで、今おいくつなんですか?」
「今月が誕生日なんだ。二十九歳になるよ」
「年下だったか!」叶は大げさに驚いた。
「ははは。そうだよ。だから敬語なんて使わずもっとフレンドリーにしてくれて構わないんだよ? 僕たち、共に誘拐されて地下室に閉じ込められた仲だろ?」
「まったく記憶にありませんけど?」
「そう? 告白し合わなかったっけ?」
「そんな創作世界的冒険譚は全然憶えがありません」叶はもらった三本をあっという間に平らげ、バナナの皮をビニール袋に捨てた。「タムのそっくりさんの屋敷に乗り込んだこともなければ探偵をやってるという事実もないと思っていますよ。……えっと、キッパータックさんは?」
「僕の歳? 三十五歳だよ」とキッパータックが答える。
「私と二個違いでしょうか」叶はそう言うと、再びうなだれた。「私、今年三十三歳なんです。『
「その先行として山の霊が」ピッポはクスクス笑った。「六人もの見知らぬ男たちに想いを寄せられているとしたら……やはり怖いものがあるね」
「前厄とかもあるらしいですね。でも、見知らぬ誰かさんに関してはきっとなにかの間違いですよ。いくらなんでも相手がワールドワイドすぎでしょ」叶は肩をすくめた。
「キッパータック君がエントリーしなかったのが意外だったな」ピッポがキッパータックへ顔を向けた。「七人の方が数字として縁起がいい気がするし、叶さんだって知り合いから想われた方が
「え?」
「ああ、二人とも!」叶が慌てて立ちあがった。「私も今日の感想とか、今から集中してまとめておきたいので、そろそろご自分の部屋に戻ってくれます?」
キッパータックとピッポは追いだされてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます