東味亜大庭研究ツアー(4)──山の霊・メドラレア

 名勝めいしょうの懐で生まれた人の流れは、ユーモラスでヘテロジニアス(不均一)であった。リズミカルであることを徹底している足もあれば、疲れや雑念にき止められ、ばらばらに解ける足もあり。

 それでも皆、山川草木さんせんそうもくの緑のシャワーが目に飛び込み励ましてくれることを実感していた。また人工の湖には水畔すいはんを飾る石の建造物が点在し、間を縫って飛びゆく鳥の群れは健やかさのこれ以上ない見本で、高らかな声も鮮やかな羽裏はうらも脳の停滞を砕いてくれるのだった。

 そろそろ昼どきだというところで、ピッポがブリッジをおりて食事を取らないか? と訊いてきた。

 林が途切れ、ブリッジの下に小さな川の曲線が差し込むようになった。清涼感ある風が高欄こうらんまでふわっと吹き上げてくる。下へおりる階段もちょうどあるようなので、自然により接近して食べるのもよさそうだ。

「もう昼食を取ってる人たちがいるね」キッパータックがブリッジから覗き込んで言った。

「僕たちも仲間に入れてもらおう」とピッポが階段へ向かった。

 

 橋台のコンクリートに座ってサンドウィッチを頬張りながら会話に花咲かせていたのは同じ研究ツアーのメンバーたちだった。また一般客らしい者たちも川沿いを歩いたり擁壁ようへきの石に座って休憩したりしている。ベンチはすでに埋まっていたので、ゆっくり寛げそうな空間へ移動すると、そこに腰をおろして保冷パックの口を開いた。

 すでにサンドウィッチを平らげた様子のツアーメンバーの間で、タム・ゼブラスソーンの話題がのぼったらしかった。近くで食事をはじめたピッポたちに話しかけてくる。

 ゼブラ柄の半袖シャツとデニムのショートパンツ姿の女性カメラマン、ベッキー・パンだった。「たしか、そちらの皆さんは穹沙きゅうさ市から来られた方でしたよね?」

「ええ、」とピッポが答える。「こんな不気味なに似合わず一応、庭園管理人です。こちらのキッパータック君もね」

「キッパータックさんって、タムに襲われた人だ。ニュースで観たよ」とライターのテッド・ナラハシも興味津々だった。「タムって、どういうやつ? 君から見てさ」

「僕を襲ったのはタムの仲間です」とキッパータックはサンドウィッチを口に押し込みながら話す。「仲間はメイクで顔を隠している人もいて、女性もいました。僕には理解できないような勝手なことをいろいろ話していましたね」

 ベッキーは空を睨んでプラスティック・ボトルのお茶を口に含む。「あいつら、結局なにをやりたいのかしら。ただの目立ちたがり屋? なんで穹沙市の庭園ばかり狙ってるんだろ」

 面々は好き好きにタムについて語り合う。

「明日行くドルゴンズ庭園にも入ったらしいけど、ほんと、穹沙市ばかりだよな」

「まだ一人も捕まっていないんだよね、警察はなにをやってんだ?」

「次はどこの庭が狙われるか、賭けの対象にもなってるらしいぜ」

「自分には関係ないとおもしろがってんだよ。被害額も少ないから、剣呑けんのんな感じがしないっていうかね」

「本当は予想を裏切る大泥棒で、裏ででっかい仕事をしてるとか?」

「あんたもおもしろがってんじゃない」

「あははは」


 叶は疲れているのか、無言だった。神酒みきも興味がなさそうにもくもくと口を動かしているだけであった。

「さすがに警察はのどかではいられなくなったみたいで、僕の庭園の周りにもしょっちゅう来てパトロールしてくれています」とピッポが会話に入った。「ああいう連中の頭の中はわかりませんが、いつまでも続けられるものじゃないと思いますね。いつかはきっとボロを出しますよ」

「そうしてもらわなきゃな」テッドが口を拭って、プラスティック・ボトルのキャップを締める。「さあて、そろそろブリッジに戻るか。終点のサウナとビールが楽しみだ」

 メンバーたちは「お先に」と声を送ると、階段をのぼっていった。叶がサンドウィッチの包みをキッパータックへ差しだす。

「キッパータックさん、三切れほど残ってるんですけど、よかったら召しあがりませんか?」

「え?」すでに自分の分を平らげ片づけていたキッパータックだった。「もらってもいいけど、叶さん、少ししか食べてないじゃない。お腹すいてないの?」

「はい。なんだか食欲がなくて」

「途中からほとんどしゃべらなくなったもんな」神酒も心配する。「疲れちゃった? 具合でも悪いの?」

「歩き疲れたのかもしれません。水分を摂ることにします」叶はプラスティック・ボトルの口を捻った。

「もう夏だからね」ピッポが臀部でんぶの砂をはたいて立ちあがる。「雲が消えて陽射しが出てきたな。残り半分もないはず、頑張るか」


 地上の見物者である太陽も営々えいえいと空を移動し、一段色を抑えたようになったころ、キッパータックたち四名は温泉施設が待つゴールへ辿り着いた。そこには屋根の下に入り、ビーチチェアーに寝そべる者や、シャワーや冷水浴を済ませ冷たいビールやアイスコーヒーで安堵の声をあげている者がいた。

 神酒は「僕はサウナに入ってくる!」と嬉々ききと宣言した。「ピッポ君たちはどうする?」

「僕が入っていったら大騒ぎになるんじゃないでしょうか」ピッポは神妙に言った。「癒やしの蒸気ではなく悪魔退治の霊水を浴びせられたらかないませんからね。僕の包帯は水に弱いんです」

「そんなことするやつは呪ってやりゃあいいじゃないか」神酒が笑った。「君、入浴のときはいつもどうしてるの? さすがに包帯は外してるんだろ?」

「新しい包帯を用意しておき──」ピッポは真面目に答える。「素顔は誰にも見られないようにしなければなりません。僕の中身が透明であることは知られたくないんです。お風呂のお湯にも知られたくない。仲間だと思われて取り込まれたら存在が消えてしまいますからね。この包帯を解くともう下に新しい包帯が出てくるくらいすばやく取り替えます」

「人智を超えた技だな……」

 キッパータックは一人、行き交う人を眺めてぼんやり突っ立っていた。ピッポが歩み寄り、話しかける。

「キッパー君はどうする? サウナに行って汗を流してきたら?」

「そうだな、せっかくだから行ってみようかな」

「叶さんは?」きょろきょろ見回すピッポ。

「叶さん、疲れたからホテルへ行って休むって。本当に具合が悪そうだった。前にも吊り橋を渡ったときにすごく怖がっていたし、高いところが苦手なのかも」

「そうなのか。大丈夫かな……」

 

 そこへ、ツアー参加者である二人の男が近づいてきた。一人は淡いグリーンのポロシャツに短パン姿で眼鏡をかけた三十代くらい。もう一人は頭にターバンを巻き顎に毛筆のような白髭を生やした五十代くらい。

 若い方が話しかけてきた。「あなたたちと一緒にいた女性の方……」

「堺さんですか? ホテルへ行きましたけど」応じるピッポ。「彼女がなにか?」

「具合悪そだった」今度は白髭が言う。

 顔を見合わせるピッポとキッパータック。

 ターバン&白髭が続ける。「きっと、山の霊・メドラレアが悪さしてる」

「ええ? 山の霊?」

「交流会での自己紹介を憶えておられるかもですが、こちら、クリスさんと言って、象人しょうじん庭園で働く庭師さんで」と若い方が白髭を紹介する。「スピリット関係にくわしい方なんですよ。今回のツアーに参加したのも、逐月山ちくげつざんの霊に会いにきたのと、ドルゴンズ庭園の〈ボークヴァの塔〉に棲む霊に興味があられてのことなのです」

 白髭クリスはぶつぶつと小声で外国語を唱えると、黒い瞳をより光らせて、ピッポへ向けた。「メドラレア、嫉妬深い。大変、男……」

 若い方が通訳する。「お連れの女性、何人かの男性に想われているようです。それで山の霊・メドラレアが嫉妬を起こし、メラメラと怒っているとか」

「ほーぅ」ピッポは深く息を吸い込んだ。そしてキッパータックへ向き直ると、言った。「キッパータック君、今すぐ叶さんを想うのをやめたまえ」

「えっ? 僕?」とキッパータックは目を丸くした。

「この人は、違うよ」クリスは事もなげに告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る