第12話 東味亜大庭研究ツアー(1)

 キッパータックの庭、第四番大庭だいていに久しぶりに見物客が来た。その男は観光というわけでもなさそうな、慣れた様子で、「砂場は入ってもいいんだよね?」と確認すると、一目散に流砂りゅうさ目がけて飛び込んでいき、数秒後には前のめりに倒れて姿が見えなくなった。

 キッパータックは慌てて救出へ向かった。空から降ってくる砂の粒子の細かさは人々の想像以上と言ってよく、砂場は足を易々と飲み込んでしまうのだ。男もまさにやわらかな砂の海に沈みかけていた。キッパータックは後ろから男の脇に手を入れ、抱えあげた。

「大丈夫ですかー。起きあがれますか?」

 男は顔をあげて口から砂をベッ、と吐きだし、もがいて身を起こす。

 キッパータックは今度は片腕だけ掴み、来た道を引き返す。砂という怪物を相手にしたちょっとした救出劇だった。二人は全身から砂をまき散らしながらやっと脱出し、固い真砂土の庭面にわもに着地した。

「いやー、すみません、ご迷惑をおかけしました」男は体に残った砂をはたき落としながら言った。

「砂がやわらかいので結構足を取られるんです」とキッパータックは説明する。「ゆっくり歩かないと、そういうことになります」

「あははは」男は陽気に笑った。「なるほど……さすがは庭主、砂場で生きるコツを心得ているね。これは事前に聴いておくべきだったな。失敗、失敗」

「僕はそれほど中へは入りませんが、お客さんはめずらしがって入る人が多いので」

「やはり、そうだろうね」キッパータックのその言に感に打たれたように目を丸くし、頷く男。振り返って眩しい滝を見上げる。

「きっと、石を探しに来た人もいたろうな。……ね、いただろう?」

「石?」

 男は首のネックレスを引きだすと、二枚貝のように閉じているチャームの口を開けて、肉付きのいいてのひらに透明な石を転がした。

「これだよ、これ。『アピアン』というんだ。ここ数年、東味亜の砂地で見つかっている」

 男はさらにくわしく見せるため、指でつまんでキッパータックの顔の前に持ってきた。コーヒー豆のように扁平な楕円で、陽を受けて何色もの眩しい光を放った。


 キッパータックは男を邸宅に招いて、来客スペースでコーヒーをきょうした。テーブルを挟んで向かい合い、名刺をもらう。

 身なりすべて高級な物で固めたその男は、名前をサムソン神酒みきといって、宝石商であるということだった。

 年齢は五十代くらいだろうか。そしておそらく、初対面ではなかった。キッパータックはまるで記憶に残っていなかったが、神酒は、自分は穹沙きゅうさ市の大庭調査会のメンバーであり、ここ四番大庭へも過去に調査に来たことがあると話した。

「今年は僕、本業の方が忙しくてね。二、三しか回れそうにないなと判断して、海鳥女メデューサ地区とか朱雀すざくとか、今まであまり足を運んでいない南の方だけ行ったからね」神酒はコーヒーをすする。「ここには春にリャンさんたちが来たんじゃない? たしか、観光局の担当者が若い人に変わったんだよね?」

 キッパータックは「ええ」と返事した。「広潟ひろかたさんが別の地区の担当になったので、部下だった草堂そうどう君が担当してくれることになりました」

 

 大庭調査会は年に一度、大庭が国の財産として問題なく管理・運営されているか調べられるものであり、観光地として改善の余地があれば提案も積極的に行われる。メンバーは市民の代表者で、自ら立候補して登録した者たちだった。国民が国に支払っている「環境税」が一部、大庭主の収入となっていることも当然承知していて、厳しい声が届くこともある。

 神酒は終始にこやかで、キッパータックという庭主について悪く捉えていないことは明らかだった。

「こういう小規模なところは補助金の額も少ないから、業者に頼まず自分で手入れしなきゃならなくなる。君のように本業を抱えていると大変だろうね」

「はい」とキッパータックは恐縮した。大庭主としての働きが足りていない云々うんぬんの忠告はほぼ毎年受けている。堂々認めるのもはばかられる相手だったが、だからといってすぐさまどうする、とも約束できないぼんくら庭主ていしゅであった。

 神酒は続ける。「広潟さんにはこの前会ったばかりだよ、地下庭園でね。あそこも本来ならもっと開放して客を集めなきゃならないんだろうけど、君と同じで庭主が多忙ときてる。あっ、そうそう、広潟さんに頼まれて、地下庭園を観たいっていう女性を案内したんだけど、君の知り合いらしかったよ」

「え?」

 案の定あん じょう、森林庭園の事務員・堺叶さかいかないのことであった。神酒は、その叶に砂の滝を勧められたのだという。

「僕は地下庭園の前の庭主、福田江ふくだえさんと旧知の仲でね。庭主を引き継いだ衣妻いづま家とも仲良くしてる。お母さんの沙和音さわねさんは僕のお客さんでもあるしね。堺さんて人、何度か地下庭園を訪ねたらしいんだが、流亜るあ君に拒否されたとかで、広潟さんもなかなか流亜君に会えないって困ってるふうだったから、僕が取り持ったってわけだよ。で、ついでにビジネスの方もね……堺さんに、宝石に興味がないかって訊いてみたんだけど、気軽に購入できるほどの収入もなければ、プレゼントしてくれる恋人もいないってさ。ははは。いや、最近の若い人はそうなんだよ。ディジタル世代っていうのかねぇ、仮想現実的な娯楽が充実しているからか、妙に物欲がない人が増えているよね。なんだか寂しいものがあるよ」

 神酒は浮かせていたコーヒーカップを置くと身を乗りだした。「君もそういう向きかな? 宝石に興味は……」

 キッパータックは弱々しく笑った。「そうですね。僕も強い興味は抱いていないです。さっき見せていただいた石も、きれいだとは思いましたけど」

「アピアン──」神酒は念を込めて唱えた。「実はこれ、正式名称じゃなくて、〈出現する〉という意味の言葉からそう名付けられているだけのものなんだ。その実体は謎に包まれているんだよ。ほとんどがアジア各地の砂地で発見されているんだけど、木から落っこちてきた、という報告もあって、大学で調査もされたものの、『なんなのかさっぱりわからない』ということになり、『飛来物ではないか』という結論になったんだ。こんなものが突然空から落ちてくるなんて、考えられないけどね。一時期は宇宙の神秘と言われて、大騒ぎになったものだよ。そういう意味では、砂の滝も似たようなものかもしれないね。ただ、ここの砂は保護されているから勝手な持ちだしは禁止されているだろうが、アピアンは土地に由来しないから、流木やシーグラスみたいに所有者が特定されない物とされている。なのでこうして採取して個人が持つことが許されているんだ。僕が知るかぎり、アピアンを持っていると公言している人間は東味亜ひがしみあで十人もいないはずだ。発見者から五十万円で譲ってもらったってやつもいる。珍奇な石で、好事家こうずかの間では〈幸運の石〉と言われている。だから、自分の運の力で見つけることにも価値が置かれているんだ。僕は数年前に本当に偶然、これを玄武げんぶ地区の山で見つけてね。以来、お守りにしてる」

 神酒は今は胸の辺りに収まっている石に、服の上からてのひらを当てる。「僕は宝石商だからか、アピアンに強く魅せられてしまってね。まあ、宝石と違って、市場でのたしかな価値なんてないような物なんだけど、めずらしいってだけで人は飛びつくものだからね」

「本当に空から落ちてきたというなら、砂地以外でも発見されそうな気がしますが」とキッパータックが意見を述べる。

「そう、そうだよね」喉を潤すために再びコーヒーカップを手に取り、宙を仰ぐ神酒。「だからもしかしたら、砂に関係しているのかもしれない。砂に住んでいる生き物──昆虫とか、微生物とか、そういうものが作りだしているのかもしれないし、砂の成分が作用してできたものかもしれない。まあ、それなら大学がわかりそうなものなんだけどね。とにかく僕は、砂があるところアピアンあり、と思っていて、アジア中、いや世界中、砂を見れば砂と聞けば独りキャラバンをやって、巡っているんだよ。仕事柄あちこちに足を運ぶから、ついでにというか、最近じゃ、宝石よりもこっちを探してるんじゃないかってときがあるよ」

 キッパータックはコーヒーのポットを運んできて、神酒のカップにおかわりを注いだ。「それで、堺さんがこちらを勧めたんですか?」

「うん。僕は調査会のメンバーでありながら、ここの存在のことをすっかり忘れていてね。そういや、そんなのがあったな、空から落ちてくる砂なんて、まさに神秘! アピアンが紛れ込む可能性があるな! って思った」


 それから神酒は、過去に回った砂にまつわる場所の話を次々に並べあげた。アフリカに中国の砂漠、日本と東味亜の砂丘……。

「そういや今度、大庭研究ツアーがあるじゃない? ドルゴンズ庭園に行けるって話だった。ドルゴンズ庭園にも空から落ちてくる砂と〈ジョンブリアンの丘〉ってとこに砂地がある。なんとか仕事の都合をつけて今年は行ってみるかな。……ねえ、キッパータック君、君は研究ツアーに参加するのかい? もし行くんだったら一緒にアピアンを探してみないか? 君が見つけたら、僕、高く買い取るからさ」神酒は勝手にしゃべって勝手に興奮していた。

「研究ツアーですか? そういえば、草堂君が話していたような……」

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