東味亜大庭研究ツアー(2)──フィカス・グレープレインの林の予定地

 そのサムソン神酒みきのおかげで地下庭園訪問の念願を果たしたかない。今日も職場である森林庭園の邸宅にて、リビングの壁掛け大型テレビに携帯端末の画像を送信し、眺めていた。丸い葉を生やした癒やしの樹が画面を埋め尽くすように並んでいる。そこへ大庭主だいていしゅ馴鹿布なれかっぷが帰ってくる。

「先生!」

 叶は跳ねあがるようにして椅子から離れると、老先生のもとへ駆けた。「もーぅ、何日も家を明けるなんて、オス猫のまねですか? タムに誘拐されたかと思ったじゃないですか。連絡はしましょうよ」

「はあ?」

 馴鹿布はとても疲れていて呆れることすら億劫だったが、叶の粗忽そこつっぷりはいつものことなので、いつもどおりに返答した。「メールはちゃんと送った、月曜に戻ると。もちろんオス猫もそれくらいできるだろうし、誘拐されてもメールは送ったかもしれないがね」

「え?」叶はテーブルに戻ると、自分の携帯端末を取って調べた。「あ……ほんとだ。全然気づかなかった」

「ここに帰ってきたという実感が湧くな」

 馴鹿布はカバンを肩からおろすと、叶の向かい側に座り、体を傾けテレビに流し目を送る。「なんだ? これはゴムの樹か?」

「なんでもよくご存じで。歳を取るのもマイナスばかりじゃないですねぇ」

「歳の話は余計だ」怒るでもなく馴鹿布は言う。「地下庭園はどうだった? 衣妻いづま流亜るあと少しは話せたか?」

「まったくです」と叶は首を横に振る。「地下庭園の門を開いてくれた大庭調査会のサムソン神酒さんという宝石商と観光局の広潟ひろかたさんと三人でいっぱいむだなおしゃべりをして、宝石を売りつけられそうになって、終わりました。衣妻流亜は神酒さんとちょっと挨拶を交わしただけですぐに奥の部屋に引っ込んじゃいまして。あれで国選ホストなんて、呆れますよねえ。広潟さんもきっとこれから苦労しますよ。……先生、流亜はですね、漫画家とをやっているらしいんですよ。インターネットに公開した漫画がたまたまウケたらしくって、結構忙しいらしいです。無職で母親のすねかじりかと思いきや、意外でした」

「漫画家はわかるが、デイドリーマー?」さすがにこれは呆れるしかなかった。「白昼夢を見るだけの仕事があるのか。と言いたいんじゃないか?」

「そうそう、それ」と叶は適当だった。


 テレビの画像をそのままに、叶は昼ご飯を用意しはじめた。先ほど、地下庭園で撮った写真のチェックをしながら煮込んだというポトフを皿に盛って、馴鹿布に渡す。

 よく煮込まれた野菜を潰さんとのしかかっている大盛りのウインナーと厚切りベーコンを見て、顔をしかめる馴鹿布。

「肉は少しでいいと言わなかったかな?」

「こんなの肉のうちに入りませんよ。そんな好き嫌いしているとヨボヨボになっちゃいますよ?」

「私を年寄りにしたいのかしたくないのか、どっちなんだ」

「私の希望に関係なく、すでに年寄りかと……。でも好き嫌いは許せません」

「もういい、ほかになにか報告はあるか?」

 食べながら、話の続きとなる。叶は撮ってきた写真をテレビに送る。「流亜と話はできませんでしたが、サムソン神酒さんは衣妻家と親交が深いようで、代わりにいろいろ教えてくれましたよ。私は一応、地下庭園に興味があるフリをしなきゃならなかったので、神酒さんと広潟さんと三人で地下修行場跡や洞窟を観て回りました。まあ、事前にインターネットで調べたとおりの場所で、特にめずらしいものはありませんでしたけどね」

 地下修行場跡、呑石洞どんせきどうと呼ばれる洞窟の写真、そして最後に、鬱蒼とした藪にロープが張られ、「立入禁止」の札が下げられている場所が現れた。

「なんだ、ここは。落石でもあったのか?」と馴鹿布が尋ねる。

「先ほど、先生がおっしゃったゴムの樹──あれ、〈フィカス・グレープレイン〉という植物らしいのですが、前の庭主・福田江ふくだえまもるさんが、この場所にフィカス・グレープレインを植えて、林を作る計画を立てていたらしいんです。幹から紫色の樹液を流すめずらしい樹で、幸運を招く、とも言われ、人気があるので客集めにいいだろうと思ったとか。なのに、このように荒れた藪となり、立入禁止となった理由ですが、神酒さんが、ここで『ヤマカガシ』を見たから──とおっしゃいました」

「ヤマカガシ!」と馴鹿布も驚きを発した。

 ヤマカガシは毒蛇どくへびであった。神酒は、蛇だけでなく、彼らの餌となるかえるの姿も見たのだという。被害を避けるため、ここへは誰も近づかせないようにしよう、ということになったらしい。

「駆除すればいいのにって思ったんですけどね」と叶。「まあ、流亜が地下庭園に人を近づけないようにしているのは、蛇のせいではなく、仕事が忙しいからと、根っからの人嫌いだからでしょう。それでも神酒さんと福田江さんとはつき合いをやってるみたいです」

「福田江さんは私も知ってるよ」と馴鹿布は言った。「あの人は今も大庭主協会の役員じゃなかったっけ? 大庭主をやめてから大ケガをしたそうで、それからは車椅子生活であるとか」

「そうらしいですね」と叶も声をひそめて言う。「神酒さんの話では、福田江さん、今ではお話もほとんどできないほど悪くなっているらしくて、介護士の女性が住み込みでお世話をされているそうです。ただ、元大庭主だけあって自然が大好きで、地下庭園へ来ると加減がよくなるとかで、今もたまに来ているんだとか」

「ほう……福田江さん、そこまで具合を悪くされていたのか」馴鹿布の顔に憂いが差し込んだ。「私がお会いしたときは大庭主を引退しても大庭のための活動は続けるつもりだと言っていたのに。歳は私より一つか二つ違うくらいだったと思う。ケガも、大庭主をやめた後になにかの研究に熱中していた際の事故だと聞いた。とても活動的な人というイメージだった」

 叶は「私からの報告はこれくらいです」と言い、ポトフの含味がんみを再開させた。

 今度は馴鹿布が自分が調べた別の大庭主の話をする。しかしこちらもタムに繋がりそうな人物ではなかったということだった。

 叶はインターネットから物色したフィカス・グレープレインの画像を再び映した。

「このフィカス・グレープレイン、いいですよねえ。広潟さんが、計画が頓挫とんざしてすごく残念そうにされていたので、ここ森林庭園で植えられないかなって思ったんですよ。植物といえば森林庭園じゃないですか。少しでも見所を増やしてお客さんを集めたいところ。ね、先生、どう思います?」

「ふーむ」と馴鹿布は考えた。「保護区域以外の場所となると限られてくるが、植えようと思えば植えられるかもな。土地が合うかどうかだよ」

「そうですね。観光局に相談して土壌を調べてもらいましょうよ。私たち、探偵稼業ばかりで庭のことはいつもほったらかしですから。生活にもっと輝きがほしいですよね? 少しは考えていきましょうよ」

 馴鹿布が流しへ空になった皿を下げに席を立つ。「ほほぅ。君、この間も久しぶりにイベントを開催したいとか言っていたし、やけに〈庭園稼業〉に熱心になりはじめたじゃないか。それはやはり、例のの影響なのかな?」

「ああ……」と、聞いた途端トーンダウンする叶。持ちあげていた皿もテーブルに戻る。「忘れていたのに思いださせないでください。まだなにも成果がなく、進展がなく、希望がなく、未来がなく──」

「キッパータック君は──」

「言わないで、その名前を!」叶は自分の耳を塞いだ。「こんなに苦しいなんて。苦しみが苦しいわ!」

「やはりそうか。しかしそれが恋わずらいであるなら、そういう苦しみならそれほど悪くはないと思うがね」

 馴鹿布はグラスにお茶を注いでテーブルへ戻る。「水を差すようで申し訳ないが、少し心配なことがあってね」

「え?」

 馴鹿布はカバンから携帯端末を取りだす。「来月、大庭研究ツアーがあるだろ? あれには大庭関係者が大勢参加するはずだ。今年は中央都の二つの庭園を訪問する予定らしい」

「参加者募集のお知らせメールが観光局から来ていたので知ってますけど、それがなにか?」

「つまり、留守になったところをタム・ゼブラスソーンのやつが狙いやしないかと思ってね」

「あっ、なるほど、それは大変だわ! 先生、研究ツアーは不参加にしましょう!」

「もちろん、私は参加せんよ。嫌な予感がするんだ」

 叶ははたと黙り込んで、考えた。「キッパータックさんは行くのかしら……」

「さあ、気になるなら訊いてみたら?」

 はあー、と大げさな息を吐く叶。「自分でまいた種とはいえ、ここまで過剰に意識してしまうとは。ピッポさんの口車に乗せられ自分でも思ってもみなかった気持ちをうっかり告白してしまったみたいになったというのにキッパータックさんが無反応だったのがすごく気になってどうしたらいいのかわからなくなって──いや、別に、向こうも気があるかも? とか期待してたわけじゃないんですよ? しかし頭の中で考えただけで混乱して取り乱してしまうなんて……愚かですよね、ええ愚かですよ」

「大丈夫か?」馴鹿布はいつもの仕返しとばかり、わざと深刻な声色を作った。「今のセリフ全部、キッパータック君にも言えるか?」

「言うわけないでしょ!」叶は睨み返した。

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