そっくりな男(6)──地下室にて

 廊下はどこまでもまっすぐに伸びていた。玄関の壁に、額に入った間取り図があった。それによると、屋敷はほぼ正方形をしていて、ちょうど田んぼの田の字のように廊下が巡っていた。西に二階へ登る階段がある。

 四人は、鍵がかかっていないドアは遠慮なく開け、部屋に入って観察した。父と母と名乗ることが許されていた人間と、その二人に付随する家族たちの、数十年に亘る家庭生活から生みだされてきたのであろう家財道具で埋め尽くされた、ありふれた歴史資料館といったふうだった。また逆に、一体どんな名目でやってきたのだろうと思える用途不明な器物たちも鎮座していた。彼らからすれば、キッパータックたち四名の方が意味不明な闖入ちんにゅう者であろう。埃を掛け布団にして長い眠りについているようなそれらは演技でやっているとは思えなかった。ここ数か月の間に紛れ込んで、自分の上に自分で埃を被せた──などは行っていなさそうであった。

「うーん、やっぱり違うのかしら」叶は肩透かしを食らう。「まあ、盗品は鍵がかかる部屋に厳重に隠してあるのかも……」


 サラが北の廊下を一人進んでいたとき、ドアが開いて福岡が出てきた。

「あ、サラさん」と福岡は恥ずかしそうに笑った。「ちょっとトイレを借りて。ここ、えらく冷えるから」

「そうね」とサラも頷く。「随分と豪邸であり、通気性もよく──」割れた窓を指差す。「タムが盗んだような品物は見つからないわね。あの男性も帰ってこないみたいだし」

「そういえば、僕の荷物、あそこに置きっぱなしだった」

「私はバッグを持ってきたけど。福岡さんのリュックは置いてきたわね」

 二人の頭に蟹のことが甦ってきた。そろそろ戻った方が、と考え、叶とキッパータックに伝えようと動いたときだった。

「きゃあ!」とサラが窓を見て叫んだ。


 庭に男がいて、怒りの面をそそいでいた。すぐそばに裏口があったらしい。激しい物音が立ち、舞い込んだ影が福岡の前に立ち塞がった。

「あ、えーっと……」

「警察か!」男は問うというより怒声であった。

 返事はさせてもらえなかった。二人ともあっという間に鷲掴みにされ、ひょい、と床に倒された。

「うわあ!」「きゃあ!」

 ガタン、と、二人は自分の体が斜めに傾いたことを知った。弾んだ後はどこかへ滑り落ちた。

 後には見届ける男のみ。壁の中に埋まったボタンを押すと、床板がパタンと平らに戻った。 


 叶とキッパータックは北東の廊下を歩いていたが、争う音と悲鳴はしっかり聞こえていた。

「今の、もしかしてサラさんの悲鳴?」叶が言うと、二人は出所と思われる方へ速足で向かう。

 角を曲がると、鬼の形相をした男と出くわした。

 叶はキッパータックの後ろにさっと隠れ、確認する。「あ、あの、ソンアンさんですか?」

「警察か!」男は怒気どきを吐いた。

「ミンシュウさんがお招きくださって。私たち、決して怪しいものでは──」

 男は上着のポケットから、長方形の黒い機械のようなものを取りだした。その物々しい動作と敵意を剥きだしにした目つき、近づいてくる足の運び、すべてが危険をはらんでいたので、キッパータックが「逃げて!」と叫んで、叶の体を後方へ押しだした。

 叶が数歩走って振り返ると、キッパータックは男に捕まっており、機械を首に当てられていた。

「いたたたた! 電気はやめて!」

 仰向けに倒れたキッパータックに男は跨がり頭を押さえつけ、再び機械を押しつけている。

 男はふと視線を跳ねあげ、叶を見る。次の獲物はおまえだ、と言っている目だ。

「だめだ──負ける」叶は短くつぶやくと、ひとまず逃げだすことに決めた。


 無事に屋敷の外へ退散を果たした叶。昼食を取った場所まで戻ると、福岡のリュックを回収し、駐車場へ急ぐ。四輪駆動車を駆ってピッポが待つ山小屋へ向かい、助けを求めることにした。



 屋敷に仕掛けられた滑り台によって奈落に落とされた福岡とサラ。真っ暗だった。福岡は立ちあがると携帯端末を取りだし、ライト機能を使ってサラを探す。

「あー、痛い。腰をしたたか打ちつけた」とサラの声。

 意外に明るい声色でほっとする福岡。「なんなんだろうね、ここ」

 あちこちに明かりを向けて調べる。天井は低く、それほど広い部屋ではなさそうである。ほとんど物と呼べるものの姿がなく、窓も明かり取りのような長細い形のものが壁の上部にあるだけであった。なんとも陰気で、どこまでも静かだ。

「私たち廊下の床から滑り落ちたわけだから、地下室かもね」サラも自分の端末で調べようとするが、すぐにやめた。「充電が残り三十パーセントを切ってる。……どうせむだでしょう。簡単に逃げだせるような場所なら放り込まないでしょうからね。階段も折り畳み式で、隠してあるのかも」

「れ、冷静だね。サラさん」

「そんなことは。だって、長年の友であるサングラスが行方不明」

「えっ、ほんと?」福岡は慌てて床を照らして探そうとする。

「ああ、福岡さん、いいわよ。電池がもったいないから」

「でも──」

 福岡は転がっているサングラスを見つけ、拾いあげた。「あったよ!」

 汚れを払うように指でなでると、渡すために近づき、サラへと明かりを向ける。サラの顔が白く浮かびあがって、サングラスのない素顔に驚き慌てて腕をおろす。

「あっ、ごめん」

「え?」

 息を飲む音がして、やがてフフッ、という笑いが闇にこぼれた。「いいのよ、別に。私の目を見たら石に変えられちゃう──なーんてことはないから。それに、これだけ暗い場所だったらサングラスは要らないかも」

「じゃあ」と福岡は言う。「もう一度、見てもいい?」

「そんな……改まって見せるなんて嫌よ。今はお互いの顔を見合っている場合ではないのでは?」

「あっ、はい、そうだった……。すみません。調子に乗りました」

 二人は笑い合い、本題に戻る。壁にスイッチを見つけたが、つけたり消したりをくり返してもなにも起こらなかった。お手上げ状態である、ということを確認する。

「あの人、本当にタムなのかな?」

「あの人がタムなのかどうかはわからないけど、こういう忍者屋敷みたいな仕掛けを作るって、普通のご家庭の方ではない気がする」サラは呆れていることを声で表す。

「体が大きいのに、俊敏だったよね。あちこちの大庭に出没するタムも、ああいうふうに身軽なのかも」

「私たちはタムを見たことないから、なんとも」動く音がして、サラは床に座り込んだようだった。「でもキッパータックさんだけじゃない、ピッポさんも見ているのよね。タムは赤黒い顔で、がっしりした体格で、ずる賢そうな目をしていて、声も太かったって言ってたわ。あの男性も、たしかにそんな感じではあったかと」

「ピッポさん……」

 福岡は今のこの状況とはまったく別の気鬱きうつさいなまれた。そして振り払う勇気を絞る。

「あの……サラさん、ちょっと、訊いてもいいかな?」

「なに?」

「サラさんは、ピッポさんのことをどう思ってる?」

「え?」

 ナイロンの擦れる音。サラが言った。「どう思ってるって、それはどういう……」

「だって、いつもピッポさんの庭園にいる気がするし、ピッポさんのことをよく話すし。そうなのかなって、思うよ。誰でも」

「つまり、異性として意識しているかってこと?」

「そう。好きなんだね? ピッポさんを」

「まあ……」と言ってから、数秒があく。「でも、『恋慕』というものとは違う気がする。ほかの、ピッポさんのファンの女性たちみたいに、魅力にあてられている、というのでもない。最初はそういうのがあったと思うんだけど、親しくお話しするうちに、あがめているような気持ちはなくなって、より身近な憧れとか、尊敬という感じに変わったわ。とても素敵な人だから、自分のものにしたいとかではないのよね。そういうの、わかってもらえるかどうか……」

 福岡は携帯端末の明かりを灯して、サラの方を照らした。「僕は、そういう気持ちはドガとか、シンベリに対して持っているかな」

「画家ね? 絵が好きだから」

「そう。そんな人が身近にいたら、僕だったら苦しいかもしれない」普通の恋でもどうにかなってしまうかもしれないのに……。


 サラはクスクス笑う。「とにかく、ピッポさんに生臭いような恋って不釣り合いな気がするわ。ピッポさんも恋くらいするものかもしれないけど。そういう話はしたことがないので」

 恋を話題にせずとも、二人の間を満たすものがほかにいくらでもある──。そう教えられたようで、静かで、激しい嫉妬の波が今にも迫ってきそうであった。

「サラさんは?」と福岡は、口の中がカラカラになりながらも頑張って訊いた。どうして荷物を置いてきてしまったのだろうと悔やむ。置いてきた紅茶のことが脳をかすめる。ひどく喉が渇いている。

「私?」

「誰か好きな人は」

「うーん……。福岡さんはどうなの?」

 福岡は参った、と思った。それなのに、答えようと前のめりになるのを抑えられなかった。

「僕は、君と友達になれないかなって思ってる。ずっと前から思ってたんだ。もっと親しくなれたらって。今言えることは、それだけかな……」

「私は犯人じゃないから、ストックホルム症候群ではないわよね? これ」

「うん。ストックホルムでも吊り橋効果でもない。愛の告白……なんて言ったら、重苦しいか。重苦しいよね。かねてからの、希望というか……」

「こんな薄暗いところで言われると、さすがに重苦しいかも。表情も見えないし」

「こんな顔だよ」福岡はわざわざ自分の顔を照らしてみせ、精一杯の笑顔を作った。「でも、ごめん。いきなりすぎた」

「謝らなくてもいいのよ」サラは笑ってくれた。「私が訊いたんだから。『ずっとここにいよう』とかだったら、お断りだけど」

 福岡も笑った。「ははは。それ以外なら、困らせることにはならない?」

「ええ、まあ……ならないわ」

 福岡はほっとし、声を高めた。「ほんと、早く出られるといいな。蟹鍋、楽しみにしてるんで。きっとキッパータックさんたちが気づいてくれるよね?」

 ドサッ、となにかが落ちてきた音がした。福岡が携帯端末の明かりを当てる。

「キッパータックさん!」サラが悲痛の声をあげた。

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