そっくりな男(3)──吊り橋効果?

 ピッポ発案のダブルデート&蟹鍋パーティーの話は全員が大賛成で、スケジュールの擦り合わせもスムーズにいった。サラと福岡は大庭だいてい愛好家だったので、どうせなら大庭にも寄りたい、という話になる。山がある玄武げんぶ地区の三つの大庭が候補にあがった。

 まず、〈玄武のしっぽ〉と呼ばれる、地区の境界線が荒々しい山脈に沿って細長く伸びている東部に位置する、第十三番大庭・荒野風庭園(サラの父親が管理)。今回の蟹捕りの山の持ち主、鳥飼とりかい善二郎ぜんじろう氏の息子で、若手実力派競馬騎手である世央せお氏が管理する第十五番大庭・イギリス式庭園は中央のやや北側。そして南寄りの、蛇髪女メデューサ地区にも跨る形で存在するのが第十四番大庭のジャングル風庭園であった。


 サラの父の大庭にはわざわざ行くまでもないし、サラはほかの二つにも寄ったことがあると言った。福岡は、十三歳のころにイギリス式庭園で乗馬体験をし、馬から落ちて危うく蹴られそうにもなったという悲惨な思い出話を披露した。となると残りはロック・ミュージシャン、ジョージ西村が管理するジャングル風庭園だが、こちらはかないもキッパータックも福岡も行ったことがないというので、ではそこで少し遊んでから山へ向かおう、ということに決まった。

 ジャングル風庭園は、鬱蒼とした木々に覆われた、密林といった峡谷を舟で下ったりキャンプをしたり、いくつもの吊り橋や〈ロックガーデン〉と言われる石や奇岩群で装飾された高山植物園を回ったりして楽しむアウトドア・アクティビティが全面に押しだされた、おおよそ庭園らしくない庭園だ。


 朝、鳳凰ほうおう地区で待ち合わせして、レンタカー会社で借りた四輪駆動の車とピッポの車、二台で出発した。キッパータックがハンドルを握る大きな四輪駆動の方には叶しか乗らず、サラと福岡はピッポのセダンに同乗した。

 サラがピッポの車に乗りたがるのはもっともかもしれない。そこへ割り込んだ福岡は頑張ったと言えるだろう。

 しかし庭園に着くと、ここからは皆と別れ先に山小屋へと向かうピッポが「それじゃ、ジャングル探検を存分に楽しんでね」と言った後、キッパータックに実際はどんな道行きだったかを耳打ちした。

「福岡君、サラさんと全然しゃべらないんだよ。なんだかえらく緊張していてね」

「そ、そうなんだ……」

「後はキッパー君に任せたよ」

 ピッポは手を振り、去っていった。「山小屋で待ってるから、馬面蟹のこと、頼んだよ」


 キッパータックはピッポから預かった、川までの地図をさっそく広げて確認し、頭の中では福岡を心配する。さっきは聞き上手でユーモアに溢れるピッポがいたから出る幕がなかったのだろう。でも今日の主役は彼なのだ。ここからはコミュニケーション力を発揮してもらわなければ。

 思案顔となっているキッパータックに気づいて叶が声をかけた。「キッパータックさん、蟹の場所はわからなくなったらピッポさんに電話して訊けば大丈夫ですよ」

「そうだね」とキッパータックは地図をポケットにしまう。「それほど山深いところにあるわけじゃないって言ってたし」


 全員、登山にふさわしく身軽でアウトドアな格好をしてきていた。福岡だけ大きなリュックを背負ってきていた。

「山登り用?」とサラが尋ねた。「庭園の事務所に預けたらどう? それを背負っていくのは難儀かと」

「そうだよね。車に置いていこうかな?」と弱々しく笑う福岡。「この後の山登り用なんだ。張り切って準備しすぎちゃったかな」

「それじゃあ遭難したときはお願いね。頼りにしてるわよ」と叶が冗談を言う。

 庭園の受付でGPSつきの腕輪を渡されたとき、面々は冗談でもないのかも、と思うことになる。行ってはいけない場所まで踏み込んで本当に遭難してしまう者もいるらしい。

 サラは川下りに興味を示したが、今回は大庭が目的というわけでもないので、吊り橋を渡ってロックガーデンを観るだけでも、ということになった。

 吊り橋はどれも数十メートルの長さがあり、建造物というよりワイヤー製の〝編み物〟に近い見た目であった。巨大なロボット蜘蛛が存在するとするならば、そいつが編んだ細長い巣のようでもあった。上から下まで大自然の荒々しい姿をほぼ遮らずに見せている。吹きつける風は容赦なく橋を揺らす。


 サラは吊り橋を一人ですたすたと渡っていき、福岡がその背中を追いかけた。キッパータックは恐怖で追随できず、手すり代わりのワイヤーに頼りっぱなしだった。すると、キッパータックのウィンドブレーカーを引っ張っている者がいた。誰か確認するまでもないが。

「ぬわあああ……。下の川が、けたたましい! 水の流れがめちゃくちゃ速いわー」叶の声が耳に届く。

「か、叶さん。下は見ない方がいいよ」キッパータックももちろんそれを実践している。「それから、できれば僕の服じゃなくて手すりに掴まってもらえないかな? 引っ張られていると前に進めないんだ」

「え? なんですって?」叶はキッパータックにより近づいて、今度は腕を掴んだ。「目をつぶって渡っていいかしら? 体は前に進もうとしているのに足が嫌だって駄々をこねるんですよ。ああ、こんなんで恋が生まれるとか言った人、なに考えてるの? 恋なんてどうでもいい、新たになにか生む前に今ある命の心配が先でしょうに!」

「え? 恋?」キッパータックは叶の方を振り返らざるを得なかった。「恋」などという語を吐きながら自分に抱きついてきているのだ。

「吊り橋効果って、言うじゃないですかー。有名でしょう?」

「……硬貨? 記念コインのこと?」キッパータックの頭に吊り橋の彫刻が入ったコインが浮かぶ。ここの吊り橋はそんなに有名で、コインになって販売されているのだろうか。

「こんなところで記念硬貨の話などするはずが……。怖いー、早く渡ってー、キッパータックさーん」

「それはさっき言ったとおりで、君が引っ張ってるから渡るのが遅くなっているんだよ。それに君、目をつぶってて足を動かしてないじゃないか」

「これが一番怖くないと気づいたのです。今、とても安らかな気持ちです」

「うーん、一生渡れないな……」キッパータックは弱り果てた。


 残り四、五歩もすれば渡り終えてしまう場所でぴたりと足を止めた福岡。一向に追いついてこず、遠くで固まっているキッパータックと叶の方を見た。二人は右の手すりの方へ仲良く寄っていて、そのせいで吊り橋が若干傾いている。空いた左のスペースを別の見物客がすいすい歩いていく。

「大丈夫ですかー?」と福岡は声を送った。そのうち二人を抜いた見物客がやってくるので、自分もいつまでもここに立ち止まっているわけにはいかない。

 キッパータックは明らかに吊り橋よりも叶に手こずっているように見えた。しかしこちらへと苦しげながらも手を振るのを見て、福岡は少し息をついて、先へ進むことにした。


 地面に着地するとサラが待っていて、トレードマークのサングラスを指で押さえて言った。

「フフッ。あの二人、すごく仲がいいみたい。キッパータックさんにあんな素敵な彼女さんがいたとは。しかも森林庭園にお勤めの方とか。同じ大庭関係者同士、お似合いよね?」

「あ、うん。……そうだね」

 福岡は、サラの前でどうしてかすんなり出てきてくれない言葉にとまどい手を泳がせた。そうだ、リュックは置いてきたんだった、と悟った。過去に友人たちと出かけた登山のときにはあの肉厚なショルダーハーネスを常に握りしめていたので、癖でつい手をやってしまう。今それがとても恋しい。


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