そっくりな男(2)──ダブルデート計画

 数日後、ピッポの家を訪ね話をしてみると、ピッポは笑った。

「ははは。たしかに、僕もサラさんは素敵な女性だと思うよ。ただ、大切な友だちの一人だと思ってる。それにどうだろう? 何度も会ってるけど、彼女は僕に友だち以上の好意を抱いてくれているのか……。福岡君がサラさんを好きだというなら、僕に遠慮なく友だちになったらいいと思うよ。まずはそこからじゃないかな」

「そうだよね」とキッパータックはどこかほっとして言った。

「そうだ」とピッポは、いつものごとく包帯を巻いている人差し指を伸ばした。「ダブルデートでもしたらどうだい?」

「ダブルデート?」

 ピッポは台所仕事の最中で、ニラの葉の傷んだものを取り除きながら言った。「ああ。……若取わかとりさんから聞いたよ。君、森林庭園で働いている女性と最近、仲がいいそうじゃないか」

「仲がいいかどうかは……。一緒に食事はしたよ」

「そう? 若取さんの談じゃ、キッパー君はそうでもないけど、向こうの女性はかなり〝ゾッコン〟みたいだって。キッパー君を見ている目がすごく熱心だったって言ってたけど?」

「そ、そうかなぁ……」

 そのかないの熱心さに別の理由が存在することを知らない大庭主たち。

「で、キッパー君はどうなの? その女性のこと、憎からず思っているとか?」

「うーん」とキッパータックは考えた。「すごく明るいし、かわいらしい人だとは思うよ」

「伝え聞くかぎりではいい人そうだという想像が広がるね。僕も一度会ってみたいな」


 ピッポはタオルで手を拭いた。「どうだい? 叶さんやサラさん、福岡君を誘って、玄武げんぶ地区の山に行ってみる気はないかい? 実は、イギリス式庭園の大庭主、鳥飼とりかい世央せおさんのお父さんが所有する山があって、僕はそこに馬面めづらがにの罠を特別に仕掛けさせてもらっているんだ。その蟹が非常に美味でね、僕の大好物なんだけど……」ピッポはそこで片足を浮かせて示す。「この前、部屋の片づけをしているときに足を痛めちゃって。僕は山まで蟹を取りに行けそうにないから、もう仕掛けにかかった蟹は全部鳥飼さんに譲ろうかって思っていたんだよ。でも、もし君たちが代わりに取りに行ってくれるっていうなら、僕は近くの山小屋で鍋の支度をして待ってるよ。そこなら車で行けるし、みんなで蟹鍋パーティーするのも楽しいんじゃないかな?」

「いいね。楽しそうだね」とキッパータックも首肯しゅこうした。

「サラさんは春には大学三年だ。そろそろ就職活動もするだろうし、福岡君も就職するんだろ? 自由を満喫できるのは今しかないかもしれない」

「山は険しいの?」

「いや、そうでもないよ、登山の素人でも簡単に登れる」とピッポ。「山頂まで行くわけじゃない、麓の川に仕掛けてあるからね。春になる前の、今の時期が一番おいしいらしいんだ」



 場所は変わって森林庭園。大庭主・馴鹿布なれかっぷ義実よしみが観光局へ定例の報告を済ませて戻ってくると、事務員・さかいかないが、普段の彼女からはかけ離れた格好をしていて、姿見に奇態なポーズを映し、それを点検しているふうであった。

「叶君──」なんのまねかと問うために近づくと、腰を曲げたまま振り向いた叶の顔に、まるで段々畑のように積み重なった皺が貼りついていた。

「ふ……」馴鹿布は思わずおののいた。

「笑いました?」と口を動かすのもままならなさそうな叶。

「いや、怯えとるんだ」

 どうやら、老女に化けているらしい。特殊メイクなのだろう。馴鹿布は叶が着ている栗色のカーディガンにも視線を移した。

「そのカーディガン、私のじゃないか」

「すみません」叶は再び鏡の方を向いて、サイズが合わないそれの袖を引いたり伸ばしたりする。「ほかの洋服はちゃんと貸し衣装屋で借りたんですけど、上着がないとまだ寒い時期ですからねえ。ちょうどいい感じにしなびれた色の上着がなかったんで、先生のをお借りしました」

「萎びれてて悪かったな」馴鹿布は荷物を床に置く。「一体なにをやるつもりなんだ?」

衣妻いづま流亜るあですよー、せんせぇ……」叶は声色、しゃべるスピードまでお年寄りをイメージした。「あの子、全然庭園の門戸もんこを開いてくれないじゃないですかぁ。ああいう人嫌いな子でも、案外『おばあちゃん子』っていう場合があるでしょ? 人間、お年寄りには乱暴は働けないものだし。だから、この格好で訪ねれば警戒を解いて、中に入れてくれるんじゃないでしょうかねえ……」

「おばあちゃん子? 衣妻が? 家庭調査はまだやっていないぞ。母子家庭だってことはわかってるが」

「想像ですよ、あくまで」

「大丈夫なのか、そんなことで」馴鹿布は呆れ返った。「かつら大仰おおぎょうなメイクに衣装まで……」

「ええ、メイクはプロにやってもらいました。お金を使いましたよぉ。経費で落としてもらえます? ここまでやったからには、なにがなんでも潜入してみせますよ」

「君は職業を間違えたのかもしれないな」

 叶は振り向いて、照れ笑いした。「やだぁ、先生ったら、たしかに女優の素質があるかもと思ったことは二度や三度じゃ──」

「コメディアンのつもりで言ったのだが?」

 ふん、と叶は足で床を鳴らした。「いくら今の私が先生と同級生に見えるからといって息の合った夫婦めおと漫才を続けている場合ではありません。そろそろ行かなくちゃ。顔が……」

「息が合ってるというのか、これ。君と話してるとすごく疲れるんだが」

「それが年齢というもの。『寄る年波としなみ』という言葉がありますよね? でも私は大丈夫です。中身はピチピチですから」

 まだなにか言い返そうとした馴鹿布だったが、叶が黙殺した。


 目的の牛頭鬼ミノタウロス地区まで車でも結構かかる。しかも作戦上、地下庭園からかなり離れた場所に車を停め、誰に見られても違和感を持たれないよう、車を降りた瞬間から年寄りを演じる──つまり、ずっと牛のような緩慢な歩みを続けなければならず、それだけで叶はひどく疲れてしまった。

 岩肌が剥きだしの山から飛んできた黒い鳥が、長躯痩身ちょうくそうしんな鉄塔にたかっていた。古めかしい工場や鬱々たる見た目の建物がぽつんぽつんとあるだけで、そのどこまでも人を拒んでいるような一帯の陰気の中心に庭園は存在しているようだった。

 門前に辿り着くと、叶は腰を伸ばして全体を視野に入れた。



  穹沙きゅうさ市(牛頭鬼地区)・第二十番大庭 


『地下庭園──かつて砂糖と糖蜜で作った秘薬で一代を築いた女傑ヘレナ・ホンとガン一族が巻き起こした〈偽阿片にせあへん騒動〉。その罪滅ぼしとして隠れ家を改造して作られた仏僧たちの〈地下修行場〉の旧跡を保存したものである。また、季節により水量が大幅に異なる不思議な滝を擁した呑石どんせき洞も見所である』



 案内板の脇に、背の低い金属製の灯籠のようなものがあった。門まわりに必要な機能をすべて備えているらしく、脚部は郵便受けのような容れ物、頭は反射灯、中央の四角い枠には鐘が下がっていた。撞木しゅもくもぶら下がっていたので、叶は手に取ると「カン、カン」と威勢よく叩いてみた。

 鉄の門扉の隙間から大きな屋敷が見える。数分待ってもなにも起こらなかった。

「す、すみませーん……」老弱を装った声を、それでもなんとか張りあげ、精一杯伸ばしてみる。「すみまー……」

 再び鐘を叩くが、一向に誰も出てくる気配がない。

(まったく……。タムはこういうところを真っ先に襲えばいいのに)

 自分の役割も忘れて毒づく叶。こちらも貸し衣装屋からの借り物である、和風の手提げバッグから携帯端末を取りだそうとした。庭園に直接電話をするか、観光局に電話を入れてやろうと思っていた。


「あんた何者?」

 若い男の声だった。振り向いて、端末をバッグにしまう。

 ろうのような鉄柵越しに対面した。マッシュルームに例えられる形の茶髪ショート・ヘア。斜めに流れた前髪の奥の小さな目。ところどころ鳥の羽細工が飾られ、ほかの部分も毛羽立っているグレーのツイードのコートにモザイク柄のサーモンピンクのセーター、ジーンズという格好。衣妻流亜か。

「ああ、あなた、大庭主さんですかい?」と叶は訊いてみた。

「何用なの?」

 なんだ、全然いかつくない、むしろソフトじゃないか──叶はほっとしてにこやかに言った。

「何用って。軟膏や花を売りに来たように見えますかえ? 私は大庭巡りが大好きなんですものぉ。一度、地下庭園を覗いてみたかったんですよ。案内してくださいませ」

「悪いが、断る」

「どうして?」

 衣妻とおぼしき男は目を逸らした。「めんどくさいから。ここは春と秋の決まった時期に開放してるだけなんだよ。そんときに来たら?」

「そんなぁ……私ゃ、海鳥女セイレーン地区から老体を引きずって、はるばる来たんですよ。この年齢ですよ? 春まで生きてるかもわからないのに、追い返すなんて殺生な。後生ですからー、ね? 一生のお願いです。ちょっと見るだけ。お兄さん」

「海鳥女地区から……そいつはご苦労さん。でも帰ってくれ」

 衣妻が背を向けたので、叶は門を掴んで揺らしはじめた。「頼んますよー。門を開けてー」

「おい、ばあさん、やめろ!」

 叶は「ばあさん」と認められたことがうれしくなり、調子に乗って動作を激しくした。ガッシャン、ガッチャガッチャガッチャ──。

「帰れよ! いい加減にしないと──」

 衣妻がどこかへ去ったと思ったら、地面を引っかく音が近づいてきて、真っ黒なドーベルマンが走ってきた。

「ひえああああ!」

 犬に激しく吠え立てられ、年寄りであることも忘れて韋駄天いだてん走りとなる叶。声を聞きつけたのか、塀の向こうから若い警察官まで駆けつけてきた。

(はっ、穹沙署の大庭パトロール隊か!)

 タムの逮捕という同一の目標を持った仲間とはいえ、こんな姿──あるいは失態──を見られてはいけないと顔を伏せて逃げる。

「おばあさーん、どうしました?」警察官はしつこく追ってこようとする。

「大丈夫ですからー、失礼しまーす」背後へ手を伸ばし制した格好のまま全速力で駆けた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る