第11話 そっくりな男(1)
キッパータックはその日、第一番
五つの茶室と竹林が有名である庭園の広大な敷地に、休憩所のようにぽつねんとある展示室。室内の壁の一辺が巨大な水槽になっていて、数年前まで不思議な
キッパータックはそれらをきれいに磨き、水槽も拭きあげた。忙しい大庭主の代わりに小柄な男性スタッフが礼を述べに来、お茶と干菓子を運んできた。すると彼と一緒に、大庭の絵を描くのが趣味の若者・
キッパータックのおかげでピカピカになった芸術品たちに囲まれて、丸い座面の木製の椅子に並んで座る。スタッフがテーブルでカチャカチャと、茶具たちの控えめなボディーパーカッション的音楽会を披露すると、言った。
「お茶はたっぷりありますから、ご遠慮なくどうぞ。私は仕事へ戻ります。お二人とも、ごゆっくりなさってください。後で私が片づけに参りますから、お帰りになられるときもお声かけなどお気になさらず、このまま茶碗は置いて出ていってもらって構いませんよ。トイレは
「お気遣いありがとうございます」と二人が頭をさげると、スタッフはにっこりして展示室を去っていった。
「やった、ジャスミンティーだ」福岡は湯呑みを口元へ運び、香りを嗅ぐ仕草をした。「いい香りだぁ」
「そういえばこの間会ったとき、試験を受けるって言っていたけど、うまくいった?」とキッパータックが訊いた。
「発表はまだなんですけど、多分、大丈夫かな。自信があったし」
福岡は二十一歳。都市環境大学校に通っていた。キッパータックたち大庭主がお世話になっている観光局の職員もほとんどがそこの出身であった。ほかにも、環境局や市政局、交通運輸局など各種公的機関への就職の道も開けているのだが、有名大学の卒業生たちとの熾烈な争いもあり、試験に合格できず競争から弾かれてしまった者たちは民間の関連企業へ流れていってしまうのだという。
「僕は本当は観光局を狙ってたんですよ。好きな大庭に関わりたかったですからね。でも、募集が少ないって話ですし、僕が持ってる資格からいうと、環境局か交通運輸局関連のところを狙うのが一番堅いかなって思っています。『アベーロ環境デザイン』が第一志望です。デザインの仕事が好きだし、景観と安全、といった質の違ったものを美へと統一させ街を造っていく──って、担当者の方の話が熱心で、おもしろかったんですよね。ほかはあまり興味をそそられなかったので、やっぱり、心惹かれるところに進むのがいいのかなぁって」
話を聴きながら、急須のそばに置かれた手帳サイズのスケッチブックが目に入る。
「大庭の絵もデザインの勉強に役立つのかもしれないね。今日はなにを描いたの? 見ていい?」とキッパータックはスケッチブックを指した。
「ええ……そんなものでよければ」福岡は照れた笑みを浮かべる。
描かれているのは竹林のようであった。現段階では無造作に斜めに引かれた鉛筆の線──というものでしかなかったので、キッパータックはページを繰ってほかも見ようとする。
「あっ、そっちはちょっと……」
福岡が気づいて止めようとしたときにはキッパータックはすでに目に入れた後であった。そこには、先ほどの竹の線とはまるで違うやわらかな線で描かれた髪を風に遊ばせている女性の横顔があり、その人物は背景一つ伴わず白いキャンバスを我が領分としていて──ついでに言うなら、いや、一番の注目点は、「サングラスをかけている」ということだった。
「ぼ、僕も、たまには風景以外の、人物とか静物とか……を描くこともあるんですよ」と苦し紛れな福岡。
「そういえば、前に
キッパータックが口にしたのはただそれだけであった。
「……僕が第五番大庭に行くと、いつもサラさんが来ているんです。サラさん、もしかするとピッポさんのことが──」
キッパータックがタムの仲間に襲撃されて〈
「サラさんも君と同じで大庭巡りが趣味だから、それこそいろんな大庭に行ってはいると思うんだけど、僕も、サラさんはピッポ君のことが好きなのかなって思ったことはあるよ。あの二人、気が合うみたいだし」
「やっぱりそうですか……」福岡は、
「君、サラさんのことが好きなの?」キッパータックはまた無遠慮を発揮して訊いた。絵に描きたいだけなら誰の彼女であってもよさそうな話である。今だって勝手に描いているのだろうし。
沈黙……。
福岡は酒を
「僕がピッポ君に訊いてみようか? あの二人、まだ恋人同士ってわけじゃなさそうだよ?」
「ええっ! なんて訊くんですか?」
「ピッポ君に、サラさんが好きかどうかだよ」
「ぐぅううぐふ……」苦渋の音を洩らす福岡。湯呑みを置いて立ちあがる。「もし、ピッポさんがライバルってことになったら、僕なんて万に一つも勝ち目はありません。僕にはあの人のような魅力はなにもないんですから──」
「あっ、福岡君」
福岡は肩を落として展示室から出ていってしまった。キッパータックはスケッチブックを見た。自分の膝の上に置いてしまっては、彼が忘れていってしまうのも無理はない。
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