砂の滝はファフロツキーズ現象?(4)──問題ある大庭主

 広潟ひろかたが戻ってきた。

 かないは広潟が入ってくると、「大事な話をされるんでしたね。私はおいとまします」と腰をあげようとした。

「あ、いや、帰られなくてもいいですよ」と止める広潟。「聞かれたら悪いような話じゃありませんから。私の方こそ、お二人のじゃまをしているみたいで、なんか悪いですね」

「え? いや、別にそんなんじゃないですから」と叶はばたばたと手を振る。

 広潟はタブレット端末をバッグへ回収すると、席には着かずに立ったまま話しはじめた。「実はですね、私、こちらの地区の担当を外れることになったんですよ。別の地区を担当しなければならなくなりまして」

「そうなんですか?」とキッパータック。

「ええ」と広潟はやや顔を伏せて、その配置転換に難があることを匂わせた。

「どちらの地区の担当になられたんです?」と叶は気になって訊いた。森林庭園では担当者が代わるとは聞いていない。

「西端の、白虎びゃっこ獅子女スフィンクス牛頭鬼ミノタウロス地区ですよ……これから大変になるなぁと思っています」

 肩を落として憂いの息を吐く広潟。

 叶は牛頭鬼地区の地下庭園について、いくらかの情報を掴んでいた。なので、広潟がこれから背負うかもしれない苦労がわかる気がした。

 実は、馴鹿布なれかっぷが現在調査に乗りだしている大庭主が、そこを管理している衣妻いづま流亜るあという男だった。本来は彼の母親が庭主の資格を得たのに、本業の化粧品販売の仕事が忙しいと言い、強引に一人息子を庭主にしてしまったという噂だった。しかもこの息子、まだ若干二十歳で有名な人嫌い。学校にもほとんど行っていなかったというし、わずかにいる友人以外とは誰ともつき合いをしたがらない。見物客が予約の電話を入れても応じないばかりか訪ねてきた客に暴言を吐いて追い返すこともあるという。

 そんな人間が国選ホストを名乗っているなどあり得ないことで、観光局はきっと手を焼いているだろう、と馴鹿布がぼやいていたのを聞いたばかりだった。馴鹿布も彼を調べたいらしいが、表にめったに出てこない人物だけに手をこまねいている。

 今年の大庭人気ランキングでは、とうとう岩手黔いわてぐろの荒野風庭園に抜かれ、最下位を記録してしまった問題の庭だった。


 叶は自分がそんな知識を持っていることを知られてはいけないので、黙っておくことにした。広潟からなにか話題が引きだせるだろうかと探りを入れてみる。

「たしか牛頭鬼地区の地下庭園は、今年のランキングで最下位になったところですよね? ランキングをあげる工夫が大変そうですねえ……」

「問題は庭園よりも大庭主なんですよね。ちょっと、気難しい青年でして。それで前任者が、もう担当をやめたいって……結局は匙を投げたわけですよ」

「へえ……どういう人なんでしょうね」

「私もまだお会いできていないんですよ」眉と口をへの字に曲げる広潟。「何度も挨拶に行きますと電話やメールをしたのですが、いざ玄関まで行ってみると、『今は忙しいから無理だ』って、そういう感じです」

「それはそれは……」

 広潟はキッパータックに、「とにかく、やるしかないですね。……キッパータックさん、今までお世話になりました」と頭を下げた。

「いいえ、僕の方がお世話になったんですから」とキッパータックもしんみりして言った。「お客さんを集める工夫もろくにできなくて。僕の方こそだめな大庭主だったかもしれません」

「そんなことはないですよ。これから、こちらは草堂そうどう君が担当になります。草堂君はキッパータックさんとも親しくしているみたいだし、安心して任せられますよ。なにかあったら、草堂君に」

「わかりました」

 広潟は何度もおじぎをして、帰っていった。叶も「長々とおじゃましました」と挨拶をして、キッパータックの家を去った。



 翌日、第八番大庭・森林庭園へ叶が出勤すると、穹沙きゅうさ署の巡査長・二本松にほんまつ亨治きょうじ馴鹿布なれかっぷと向き合ってテーブルに着いていた。二人は間に色鮮やかな小鉢をいくつも並べて、正月料理に舌鼓を打っているようだった。

「あらぁ、二本松刑事、こんにちは。私もお相伴しょうばんをさせていただこうかしらぁー」叶はバッグを木製のベンチにぽーんと放ると、そそくさと二人の下へ寄っていった。

「酒は飲んでないぞ」と馴鹿布は無愛想に言い放った。「こっちは一応勤務中だからな」

「ちょっと先生、私まで正月気分が抜けてないように言わないでください。料理が目当てに決まっているじゃないですか」

「どうぞどうぞ」と二本松が勧める。「いっぱいありますから、ご一緒しましょう」

「さーすが、二本松刑事!」椅子を引いて座り込む叶。

 さっそく白身魚の昆布締めをつつきはじめた叶に馴鹿布が訊く。「で? 昨日の首尾は? キッパータック氏の胃袋を無事に掴めたのかな?」

「え?」と驚く二本松。口に近づけてようとしていたガラナ飲料の缶を止める。

「まあ、ぜんざいはおいしいと言ってくれましたよ。……それより」

 叶は、キッパータックの家で得た情報を重要なところだけ抜きだして二人に話して聴かせた。

 二本松は「ふぅ」と、返事ともため息ともつかない音を発す。「なるほど、地下庭園。今度のお二人のターゲットは、その衣妻さんなんですね?」

「あんなに表に出てきたがらない若造が大庭主に関する情報をあれこれ入手できるとは思っていないが、」馴鹿布もノン・アルコールの薬草エールをぐびりと喉に送って言う。「前の庭主が入っていた組合も必要ないと言って抜けているらしいんだ。とにかく他人とつき合いたくないらしい。なにか、トラブルがあったのかもしれないと思ってな。……まあ、もう私は、大庭主は片っ端から調べてやろうと思っている。怪しい怪しくないは関係なしに」

「それはありがたいです」二本松は無表情で言った。「こっちも相変わらず手詰まりですからね。それに、叶さんがキッパータックさんとそんなに仲良くなられているなんて。情報も集めてくださり、助かりますね」

 オッホ、と叶はわざとらしく咳払いした。「仲良く……だなんて。まだそれほどの仲ではありませんけど」

「まんざらでもないんですか?」肩をすくめる二本松。

「大庭主と結婚したいとか言ってなかったっけ?」と馴鹿布。「本気で狙ってると思っていたよ」

「あー、なんか無性にビールが飲みたくなってきた……」叶は山菜のきんぴらをゴリゴリ噛みながら、やや仰向いて言った。「でも先生、衣妻さんに見学を申し込んでも断られたじゃないですか。あそこに潜入するのは至難の業。ですからね、新たに地下庭園の担当になったキッパータックさんの元担当者、広潟さんにお願いするしかないと思うんです。ここは一つ、頼んでみようかなって思うんですよ」

「君が?」と馴鹿布が皺が寄っていた目を見開く。「なんだい。今度は衣妻流亜を誘惑する気か?」

 バンッ、と叶はテーブルを叩いた。「私がそんな偏屈そうな二十歳の若者を相手にするわけないでしょう! キッパータックさんだってお友達になったんです。下心を持って誘惑しているわけではありません!」 

「まあまあ」と二本松が笑った。「お二人に協力をお願いしている私たち警察も情けないと言えば情けないわけで。ずっとタムにしてやられていますからね。今年こそはこっちも一矢報いてやるつもりです。なので、」打って変わって表情を引き締める。「お二人も、くれぐれも気をつけて活動してください。ここへだって、タムは来るかもしれないんですから」

「かえって、罠を仕掛けてご招待したらいいんじゃないですかね?」と叶。「ネズミじゃないからチーズじゃ引っかからなさそうだけど」

「タムがまだ襲っていない大庭には、捜査員を定期的に巡回させています。ここにも、地下庭園にも、ね。これ以上好き勝手はさせませんよ」

「うーん、それじゃあ来なくなるかも」叶は箸を唇に当て、考えた。「さすがに来ないでしょう、警察がいるってわかったら」

「それならそれで、万々歳でしょう?」

 叶は楽観的口調の二本松を睨む。「二本松刑事。タムは穹沙市だけ襲っているわけじゃないです。あのドルゴンズ庭園も襲われていますよね?」

 静まり返る三人。小鉢の中のごちそうはあっという間になくなり、やがて帰り支度をする二本松。

「タムがよその町へ行くというなら、それでもいいです。とにかく、もう穹沙市の庭は荒らさせない」

「かっこいい! よっ、男前」はやす叶。


 二本松は「じゃ」と言って、上着と荷物を取ると、馴鹿布邸を後にした。

 椅子の背に体を預けて伸びをして、「さあて」と言う馴鹿布。叶は「先生、私はとりあえず、衣妻流亜に近づけないかやってみますから」と告げた。

「ほう。わかった、頼んだぞ」

 叶はテーブルの食器を片づけだし、馴鹿布は出かける準備をはじめた。


 穹沙市の大庭にまたやってきた新しい年。緑の風景に差し込む光も吹き抜ける風も、平和な一年の幕開けにふさわしい穏やかさがあった。これがずっと続くようにと願うばかりである。




 第10話「砂の滝はファフロツキーズ現象?」終わり

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