砂の滝はファフロツキーズ現象?(3)──切なる思い

 真莉香まりかはそれからずっと理依生りいおの肩に顔を埋めてすすり泣き、理依生はまるで彼女の保護者のように振る舞った。

「よしよし」と理依生は真莉香の頭を撫でた。「真莉香、もう大丈夫だから」

「フォークがー、まさか、まさか、蜘蛛になるなんてぇ……」

「いや、そりゃ驚くよね」広潟が同情し、キッパータックの顔をちらと見る。

「ほ、本当にごめんね」と謝るキッパータック。「うちの蜘蛛はちょっと、特殊なんだ。昔、有名な大道芸人に芸を仕込まれて、それで、なんにでも変身してしまうんだよ」

「不清潔じゃないですか!」と理依生が怒った。「もし蜘蛛だと知らずに口に入れちゃったらどうするんです?」

「うーん……」衆佑は構わずもぐもぐと口を動かし続けていた。自分が持っているフォークをまじまじと見つめる。「これが蜘蛛になったら、たしかにびっくりするよなぁ」

「ちょっと、あんた、なにバクバク食べてんのよ。真莉香が泣いてるのに」と準那が文句を言った。

「もう蜘蛛はいなくなったんだから、いいだろ? みんなもケーキ食べなよ」

「そんな気分になれるわけないだろ!」理依生の憤慨はやまない。「フォークが蜘蛛になったんだぞ。あの気味の悪い蜘蛛だぞ? おまえのもなるかもしれないんだぞ?」

「えー、全然大丈夫だけど?」自分のフォークを裏表返しながら見つめる衆佑。

「いや、ほんとに、全部が蜘蛛なわけじゃないんだよ」誤解されては困ると説明しようとするキッパータック。家財道具がすべて蜘蛛だというなら、キッパータックはおとぎ話の世界の魔女のようなものだ。普通の人間じゃないと思われても仕方ない。

「キッパータックさん、清掃業者だとおっしゃってましたよね?」やはり理依生はキッパータックの素性をついてきた。「本当は大道芸人なんですね? 僕たちをからかおうと思ったんでしょ!」

「いや、そうじゃないよ。そんなことしないよ」

「でも実際、蜘蛛がフォークになってた! こっそり本物の中に交ぜてたんだ!」

「違うんだ。蜘蛛は誰かが命令しなくても勝手に変身してしまうというか……」

「えー、なに、その蜘蛛」準那が冷ややかな目を──蜘蛛がもういないので──キッパータックに向けて言った。

「いや、ほんとに」キッパータックはひたすら恐縮するしかなかった。「ごめんね。虫が嫌いな人がいることは知ってる。怖い思いをさせちゃったね」


 真莉香が全然泣き止まないので、広潟が保護者に電話したら? と提案する。彼ら四人をここまで車で連れてきたのは広潟であった。送っていってもいいし、お母さんに迎えにきてもらってもいい。よかったら連絡しようか? と訊いた。

「真莉香、どうする?」と真莉香を腕に抱いたまま訊く理依生。

「帰るー」涙を拭いながら言う真莉香。

「うん、じゃあ帰ろう。プロジェクト作りのための取材は十分したからね。広潟さんに送ってもらう?」

 俯いたまま、こくんと頷く真莉香。

「ケーキは持って帰って食べて、ね?」叶は彼らの皿から手つかずのケーキ三つを回収し、箱に詰めて準那に渡した。

「お姉さん、お気遣いありがとうございます」ぺこっとおじぎする準那。「……蜘蛛は入っていませんよね?」

「入ってません」

「ぜんざいもケーキもおいしかったですっ! ありがとうございました」叶に敬礼する衆佑。

「それはよかったわ」と叶はほとんど喜ぶことなく言った。


 子どもたちを全員車に乗せると、広潟が戻ってきてキッパータックに辞去を告げた。「では、子どもたちを送っていきますので。……ああ、それから、実はキッパータックさんに大事な話があるんですよ。送っていった後、またこちらへ戻ってきますね」

「ああ、はい。わかりました」



 来客スペースのテーブルで、キッパータックと叶は二人きりになった。

「あ、えっと……」と叶が沈黙に耐えられなくなり口を開く。「お茶でもお淹れしましょうか? 生徒さんたちの相手をして疲れたでしょう? なかなか厳しい質問を向けられていましたし」

「いや、」と立ちあがるキッパータック。「叶さんの方がお客さんじゃないか。お茶は僕が淹れるよ。ぜんざいまで作って持ってきてもらったし、それにケーキまで。ケーキのお金は払うよ」

「いいんですよ、お金なんて」制してから、叶は笑った。「キッパータックさんもお客さんをもてなす大庭主なら、私も大庭で働く従業員です。……でもまあ、人の家にあがり込んでおいて、『お茶を淹れましょう』はないかもですね。私、事務員なものですから、お茶を淹れたがるのは職業病みたいなものなんです」

 

 結局キッパータックがお茶を淹れ、叶はそれを手伝った。ぜんざいはというと、キッパータックは味見をしただけでまだ食べてはいなかった。なので餅を二人分焼いて、ぜんざいを温め、二人で食べることにした。

 叶が食べながら話す。「でも、キッパータックさんのペットの蜘蛛、この前のカジノのときも薬になっていましたけど、本当になんにでも変身できるんですね。ちょっと、困りものですね。本物そっくりですし」

「うん、そうなんだ」キッパータックはため息をついた。「僕は慣れてるから驚きもしないし、なにになってもらっても構わないんだけど──偽札以外は」

 キッパータックは、以前起こった出来事を話した。甘党の見物客がいて、キッパータックがクッキーを出したところ、ぺろりと平らげてしまった。そのとき、目を離した隙に蜘蛛がクッキーになってしまい、炎で焼かれたクッキーらしく不死鳥のごとく甦った──とは思うはずもない食いしん坊の客は、キッパータックがおかわりをくれたのだろうと思って危うく口に入れてしまいそうになったのである。叶はそれを聞いて大笑いした。


 ぜんざいを食べ終わりお茶を飲んでいたとき、叶はテーブルの上に広潟が忘れていったタブレット端末を見た。

「そういえば、さっきの──。砂の滝って、中央都のドルゴンズ庭園にもあったんですね。知らなかったわ」

「そうだね。僕もはじめて知った」とキッパータック。

 そして叶は記憶を手繰り寄せているような難しい顔をする。実際、叶の日常からすると、それほど思い出すのに時間がかかるようなものではなかったが。「たしか、ドルゴンズ庭園って、タムが一番はじめに襲った庭園と言われていますよね?」

「え? そうなの?」驚くキッパータック。

「はい。馴鹿布なれかっぷ先生がおくわしいので、聞いたんですけど、穹沙きゅうさ市の大庭しか襲っていないように思えるタムですが、七年前にドルゴンズ庭園で起きた事件を、あれは自分がやったんだと、別の大庭を襲ったときの書き置きに残していたらしいんです。なんでも、さっきの動画に映っていたルカラシーさんのお母さんが大切になさっていたドレスに泥水をかけたんだそうです」

「うわ、それはひどいね」

「ええ、ほんと、ひどいやつですよ。タムは」

「早く捕まるといいね」

 その言葉はきっと、同じ大庭関係者として吐かれた切なる思いで、東味亜ひがしみあ警察・穹沙署の警察官たちを奮い立たせるために聴かせるべきものなのだろうとわかっていたが、叶も、(私と先生も、頑張ってタムの尻尾を早く掴まなければ……)とひそかに決意を新たにするのだった。


 大庭主たちの平和のために──その大庭主が、目の前にいる……。

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