第10話 砂の滝はファフロツキーズ現象?(1)
年が明けて、一月。森林庭園の事務員・
それを抱えて、キッパータックが管理する第四番
セージ色の作業ジャケットは観光局の職員だろう。ほかに、十歳前後と思われる子どもが四人いる。子どもたちは手にノートを持っていたりバケツを持っていたり。皆、砂場を取り囲んで、物めずらしげに砂をすくっては、はしゃいでいた。
彼らの背後を横切りながら玄関へ向かう。職員の男と目が合い、軽く会釈をする。
「キッパータックさん、いらっしゃいますか?」
扉を開けると声をかけ、靴のままあがってよさそうか確認する。キッパータックの邸宅は洋風で、二畳ほどの土間があるだけで、すぐ来客スペースとなっていた。始終見物客を相手にする大庭の屋敷には多い造りだ。
立ち止まっていると、奥の戸口からキッパータックが現れた。「やあ、叶さん。いらっしゃい」
叶も中へと進み、キッパータックの許可を得ると、鍋をテーブルに置いた。「料理人としてご指名いただきましたが、あまり期待されない方がいいかと。実は、ご希望のお雑煮──別の物になりました」
「別の物?」
叶は鍋の蓋を開けて、キッパータックに見せた。蒸気の雫をテーブルにこぼさないように慎重に蓋を返しながら。「両親は二人とも日本人とはいえ、私は日本文化などろくすっぽ知らない
「ふーん……ぜんざい?」と覗き込むキッパータック。色味としては鮮やかとは言えない赤褐色の液体で満たされている。
「
「スープみたいだけど、このまま食べるの?」なにも知らないキッパータックだった。
「お雑煮と一緒です。お餅を入れます。若取さんがくださったというお餅はどちらにあります? 私が用意しましょうか?」
キッパータックは
叶がここへ手料理を持って訪ねてくるきっかけを作ったのが樹伸だった。クリスマス前に、キッパータックと叶がカジノに行ったことを知っている樹伸。あれからどうなった? と訊いたところ、連絡先を交換しただけだという。結婚に積極的でないキッパータックを心配し、せっかくの出会いだ、なんとか発展させてやろうと思案した。
年末に自宅で餅つきをし、その餅をキッパータックにお裾分けするときに、「叶さんも日本人だから餅をもらったら喜ぶと思うよ」と叶にも分けてやるようにアドバイスした。そして、キッパータックは餅の食べ方を知らないだろうから、ついでに叶さんに教えてもらうといい、と言ったのである。
結局、叶の技量の問題でお雑煮はぜんざいに変わってしまったけれども、樹伸の目論見は叶ったようだったし、キッパータックもなんとか日本料理、餅料理にありつけそうであった。
「そうだ。餅はいっぱいあるから、砂の滝を観にきている生徒さんたちにも出してあげようかな」
キッパータックがそう言うと、叶は急に恐れをなした。「ええ? あの子たちにも食べさせるんですか?」
「だめなの?」
「ていうか、あの子たち──砂の滝の見物客?」と叶は意外そうに尋ねた。
新年が明けたということで、先日、新たな大庭人気ランキングが発表された。相変わらず、第一位はティー・レモン氏の空中庭園だったが、ここ第四番大庭は、キッパータックが昨年タムに二度も襲われて、それが不本意ながらも宣伝となったらしく、同情票が入ったのか少し順位をあげていた。それでもまあ、地味で小規模な日本庭園には違いないので、あれくらいの年ごろの子どもが喜んで来る場所だとは思っていない叶だった。
磁器の深皿に、火にかけ温めたぜんざいを注ぎながらキッパータックは説明する。
「あの子たちは
不死鳥子ども教育校のみならず、
「へえー、砂の滝のプロジェクトを」叶は窓辺に寄って、もう一度子どもたちの様子を確認した。
キッパータックはぜんざいを味見する。「うん、甘くておいしいね。豆の香りもいいな。……プロジェクト作りは、観光局からタム・ゼブラスソーンに襲われている大庭主の庭の中から選ぶように言われたらしいよ」
「タムに襲われている庭!? なんでまた」叶は驚き、振り向いて尋ねる。
「言い方がおかしかったかな」キッパータックは苦笑いして後頭部を掻いた。「観光局が、タムが襲っていない庭園には行かないでくれ──と言ったらしい。タムは一度襲った庭には来ないみたいだからね。僕は二回襲われたけど、二回目はレモンさんちの庭園に遊びに行っていたときだったし、たしかにここも一度しか襲撃されていない。あの子たちは本当は
「なるほどねえ……」
キッパータックが人数分のお皿があるかな? と戸棚を調べはじめたので、叶は慌てて言った。
「キッパータックさん、今どきの子どもがぜんざいなんて喜んで食べるとは思えませんよ。私が車を飛ばして別のお菓子を買ってきます」
「え? でも、それは悪いよ」
「大丈夫ですから。私だってぜんざいよりは洋菓子がいいって思いますもの。ケーキがいいでしょうね。買ってきますね」
叶はそう言うと外へ飛びだしていった。キッパータックに慣れない手料理を供することを考えただけでもドキドキものであったのに、見ず知らずの子どもまでもが口にするとなると……。日本教育科の子どもたちということは、親はきっと日本人。へたなものを食べさせられる相手ではない気がした。
叶が出ていった後、入れ替わるように観光局の職員・
「キッパータックさん」
「ああ、広潟さん。生徒さんたちはどうですか?」キッパータックは心配して訊いた。「うちにはあの〈砂の滝〉しかないから、退屈してるんじゃないでしょうか」
「いえいえ」と広潟は笑った。「砂が掴むとすぐに消えてなくなるんで、すごく不思議がって、おもしろがっていますよ。もう全員砂まみれです。それから、後ほどキッパータックさんにいろいろ訊いてみたいことがあるそうです。質問の時間を取ってもらってもいいですかね?」
キッパータックも、先ほど叶が覗いて見ていた窓へ寄った。
「さっき、知り合いの女性が生徒さんたちにってケーキを買いにいってくれたので、戻ってきたら、あがってもらいましょうか?」
「知り合いの女性?」と広潟は復唱した。「私はまた、キッパーさんの彼女さんかと思いましたよ。鍋を持ってらっしゃったから」
「あの人も大庭関係者なんですよ」キッパータックはキッチンへ戻って、広潟に鍋の中身を見せた。「最近、ひょんなことで知り合いまして。若取さんから餅をたくさんいただいたので、お裾分けするついでに餅料理を教えてもらおうと思ったんです。これ、〝ぜんざい〟って言うらしいですけど──」
広潟も覗き込む。「おおっ、ぜんざい! わー、久しぶりに見たな。私もいただいても構いませんかね?」
「ええ、いいですよ。餅はいっぱいありますので。ほんとは生徒さんたちにも出そうかと思ったんですけど、叶さんが──さっきの方、叶さんっていうんですけど──子どもはぜんざいなんか喜ばないって」
「訊いてみましょうか、食べるかって」広潟は甘いものに目がないのか、すでに口にしたかのようににこにこしだした。
「そうですね。でも、僕はどうやって食べるのかは知らないですよ?」
「ははは、大丈夫ですよ。餅を焼いて入れるだけですから。私が用意しましょう」広潟はそう言うと、戸棚を開けて皿を探しはじめた。
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