カジノへ行ってみませんか?(3)──初潜入にして未潜入

「はい、一緒にです」まるで睨んでいるかのようにキッパータックを見つめるかない

 美鶏みどりがなにかに気づいたように、叶を加勢しだす。「キッパータックさん、こんなかわいい女性にお誘いを受けるなんてそうそうないことですよ。私もご一緒できればありがたいです。カジノなんてはじめてで不安ですから、ご無理でないようでしたらついてきてくださると助かります」

「そ、それじゃあ、行ってみようかな」


 ボゥビーンは自分の車で、キッパータックは行きと同様美鶏を乗せ、その後から叶の車が続いて、朱雀すざく地区の鵬谷ほうこくリバーホテルへ向かった。

 朱雀地区は穹沙きゅうさ市の南端で、風光明媚という語が似合いながら商業地区としても非常に栄えている場所であった。有名な鵬谷リバーホテルは駅と一体型で、近くを実際に流れる鵬谷川をイメージした薄水色の柱廊がホテルの足元を飾り、列車はそこに滑り込んでくる。その人造の川が取り囲む一帯は青空市場となっていて、港も近いことから庶民の台所というより観光客向けに芸術品や舶来品が多く取り交わされるなんとも不思議な空間だった。        

 カジノの入口は、駅が引き伸ばされたような形で柱廊のどん詰まりに造られていた。つまり、ホテル前の駅が鉄道界の終点、自らの足を使う人間と経済界にとっての終点はカジノとホテル、という仕組みだ。

 年末は特に人がやたらと集まってくる地区でも知られている。駐車場も車でいっぱい、市場も人で溢れ返っていた。

 車を置いて四人で歩きながら、市場の様子を横目で観察しつつカジノを目指す。

「大庭しか興味がなかったんですが、ここもおもしろそうなところですね」と美鶏が言った。

「芸術にくわしければ最高なんでしょう。許可証を持たない商売人もいますから注意は必要ですよ」話している内容とは裏腹に、ボゥビーンは爽やかにのたまった。「女性陣お二人は、なにが理想ですか? 芸術にカジノに男に……だまされる相手を選べるとしたら」

「理想はだまされないこと、お金が減らないことですよ、決まってるでしょう」と叶は返した。

 美鶏はなにやら考え込んでから言った。「私は昔、お年寄りと子どもにならだまされてもしょうがないかなって思っていましたね。なんでそう思ったのかというと、やはり、そういう相手に対し無防備になる自分がいるんですよね。邪気がないわけではないだろうにって思うんですけど。たかが年齢って気がするのに、不思議です。年月って、もしかするとすごい魔法なのかもしれませんね。でも、だまされたことは一度もありませんよ」

「なーるほど」ボゥビーンは三日月のように尖った顎を持ちあげ、何度か振り、隣を歩いていたキッパータックの肩をぽんぽんと手で叩いた。「つまり僕たちは年月の魔法は持っていないし、だませばただちに罪人となるかもしれないわけだ。正々堂々と勝負することにしましょう。ね?」

「は、はあ……」キッパータックはわけがわからないままに返事をした。


 いよいよカジノの入口が迫ってきた。ちょうど駅では列車が到着したところで、金属の高らかなきしみが合図となり、騒がしい人足の音楽が沸き起こっていた。いざ入場となると息を飲みそうになる三人だったが、ボゥビーンは当然ながら我が家というように軽々扉を潜っていった。


 キッパータックたち三人は入店すると、とりあえずホールに留まって様子を見ることにした。受付カウンターの前は広々としていて、ソファーとマッサージ・チェアーが並ぶ見学フロアのようになっていた。壁にいくつものモニターが並んでいて、中の様子が映しだされている。それを観るだけでもカジノ気分を味わえそうだった。

「では皆さん、僕一人で入っちゃうけど、いいんですね?」ボゥビーンが訊いた。

那珂戸なかとさんを見つけてください、なるべく早めに」と美鶏は頼み込んだ。「ここにいなかったら、別のカジノってことになります。それはそれで大変ですから」

 ボゥビーンは「僕に任せて」とウィンクすると、カウンターの女性となにやら話してから、ゲートを潜って魅惑のフロアへと消えていった。


 美鶏は疲れたようにそばのソファーに身を預けて、再び携帯端末をチェックしはじめた。キッパータックと叶は立ったまま、ものめずらしげに内装を眺めはじめた。すると、隅の椅子に一人座っているブロンドの少年の姿が目に入った。壁際のカウンターテーブルにラテのプラスティックカップを置いて、彼自身はテーブルにも壁にも背を向け、小型タブレットを両手で掴んで熱心に睨んでいる。コードレスのイヤフォンが耳に入れられていた。

「かわいい子。十二、三歳くらいかしら?」叶が誰に言うともなく言った。

「親御さんが中にいるのかもですね」とキッパータックも言う。

 少年は「ふー」と息を吐くと、顔をあげて自分を見ている大人二人を認めた。タブレットを脇に挟み、イヤフォンを引き抜いて、すたすたと歩み寄ってくる。

「こんにちは。観光客の方ですか? カジノ見物に来られたのですね?」少年は丁重な仕草と言葉遣いで言った。

「いや、観光で来てるわけじゃないんだけど」とキッパータックは答えた。「見物と言えば、見物だね。カジノに来るのははじめてなんだ」

「私も穹沙市民で、観光じゃないわ」と叶も言った。「同じくカジノへは初潜入……まだ未潜入か」

「場慣れしない雰囲気かもしてらっしゃったので、日本からの観光客かと。大変失礼いたしました」少年は深々とおじぎをする。

「あなた、逆に妙に溶け込んでるんだけど、いつも親と一緒に来ているとか?」と叶が訊く。

「僕の両親はカジノなんか『唾棄だきすべき』と思っていますよ」少年は顔に皺を寄せ、今度は急に老け込んでみせた。「僕はですね、アジア経済学を学んでいるものですから、お金の動きの活発であるこちらでいろいろ学ばせてもらっている、そういう感じです。ギャンブルという刹那せつな的な快楽に溺れる人、上手につきあって栄華えいがの雰囲気のみを味わう人──いろいろな人間の姿が観察でき、大人の世界を垣間見るにこれほどおもしろい場所はありませんよ」

 彼はブルックス・マッヘテスと名乗った。飲んでいたラテのカップを捨て、椅子の横に置いていた荷物も引っ張ってきて、本格的にキッパータックたちの下へ移動してきたので、こんな場所でやはり退屈していたのではないかと思えた。大人を観察するのが楽しいならタブレットを視聴することはないだろう。

 しかしそれに関して、ブルックスはほぼ毎日ここに入り浸っているので、常にモニターを睨むというほどでもないのだと言い訳をした。

「そうそう目を見張るようなおもしろい勝負はありませんよ。常連さんも多いですからね。だいたいどういう癖のある人で、どういう懐具合かすぐに見当がつきます。ずっと追いかけて見ている必要はありません」

 説明しながらブルックスは肩越しに壁のモニターを見やる。美鶏がソファーから立ち上がって三人に近づいた。

「まあ、お若い紳士ね。知ってたら教えてくださいます? 天才美人ギャンブラーさんのこと。今日はこちらのカジノに来てます?」

 ブルックスは美鶏のことを眩しそうに見上げて言った。「ユイザ・スワンのことですね。あなた、もしかしてユイザのファンとか? オンラインカジノで彼女にチップを投資したことがあります?」

「私の友人のミスターがね」と美鶏は渋い顔をした。

「ユイザはさっき見たな」ブルックスはすたすたとモニターのそばへ移動する。

 いくつもの画面に次々視線を流しているのを、近くのマッサージ・チェアーに寝そべっていた中年男がうとましがり声をあげる。「おい、ブル! 今勝負がいいところを迎えてるんだよ。そこに立たれると見えないだろ」

 ブルックスは振り返った。「松平まつだいらさん、僕もあなたもギャラリーとしては常連ではありませんか。ここへ来ている理由はまったく違いますけれども。とすれば、鵬谷リバーホテル・カジノについての質問があった場合、常連としての応答、というものがあるはずです。カジノ案内人のウィリアム・ボンドムは言いました──『見学フロアにいる人間が最もカジノで勝っている』、これはつまり──」

「長くかかりそうな講釈だな、どけ!」松平と呼ばれた中年男は立ちあがるとブルックスの小さな体をどん、と突き飛ばした。「常連としての応答はこれだ──『好きなときに好きなものを好きなだけ見せろ』。人間が金を持っていられる時間ってのは一瞬なんだから、じゃますんなよ」

 さっきまでブルックスがほんのひととき占めていた特等席に松平が陣取り、拳を握って勝負を見つめはじめた。ブルックスは崩れた体勢を戻すと、諦めて三人の下に戻ってきた。

「ブルックス君、大丈夫?」叶が心配して訊いた。「こんな騒々しい場所で毎日勉強してるあなたはある意味屈強な精神をしていると思うわよ」

「いえいえ、軟派な人間ではないというだけで堅固けんごであるとは決められませんので」ブルックスは丁重さを崩さず、しかし堂々と答えた。「とにかく、ユイザは来ていることは来ています。近頃なんてほぼ毎日ここへ来ていますよ。彼女はブラックジャックのテーブルにいるんじゃないでしょうか」


 しばらくの間、いくつかのモニターを見守っていた叶とキッパータック。同じくモニターを観ながら絶叫したり髪を掻きむしったりする松平のこともついでに観察した。美鶏はボゥビーンに全面的に信頼を寄せることにしたのかメールを見張っていないと不安なのか、モニターには背を向けている。そうしてカジノの世界を覗き見ながら、ブルックスが語るカジノ論、経済論を聞いているうちに、叶はじっとしていることに耐えられなくなってきた。

「キッパータックさん」と叶は言った。「私たちもちょこっと入ってみましょうか? ここまで来ていて体験しないのももったいないような気がして」

「入ってみたいんですね?」とキッパータックは返した。「いいですよ。僕はゲームはあまり得意じゃないですから、叶さんがやるのを見ています」

「じっと見られるのもなんだか恥ずかしいわ……」

 叶は受付カウンターへ行って、カジノをやりたいのだがどうすればいいか、と尋ねた。電子チップでのやりとりになるので、チップを入れておくストックカードを作るように言われた。叶がカード発行機で登録をしていると、キッパータックがやってきてお金を渡してきた。

「ええ? どういうことですか?」喫驚きっきょうする叶。「お金は私も持っていますよ?」

「観光みたいなものですから」とキッパータックは答える。「僕たち大庭主だいていしゅはお客さんをもてなすために補助金をもらっているんですよ。だからこれは観光局が出しているお金だと思って、気にしないでください」

「でも、それを言ったら私だって大庭に勤めていますし」

 キッパータックはソファーに座っている美鶏のところへも行った。「美鶏さんも少しカジノで遊ばれませんか? 僕が観光局からもらっている補助金でよければ使ってください。少しですけど」

「いいえ、私はギャンブルは好きではないので」と美鶏は断った。「ありがとうございます、キッパータックさん。先ほどホテルのカフェで若取わかとりさんにおごっていただいているので、いいんですよ。本当に大庭主さんって、親切なんですね。どうぞお二人で遊んできてください」

「美鶏さんのことは僕にお任せください」とブルックスが大真面目な顔で申しでた。「お二人が戻られるまで、僕がお相手をしています」

「そ、そう……」キッパータックは「では、ちょっと中を覗いてきます」と言った。叶はキャッシャーで、キッパータックからもらった現金を電子チップに換え、ストックカードに入れた。

「なんか、おごってもらって申し訳ないですね」カードはてのひらサイズの携帯端末みたいなもので、ボタンを押すと表示窓にチップの枚数が表れるようになっていた。叶はカードをめずらしげに見つめながら言った。「うちの先生も補助金をお客さんのために使っているのかしら。見たことないですけど。まあ、私は給料をもらっていますし、客ではないから関係ないことなんでしょうけど」

「気にしないでください。使わなかったら使わなかったで、支給額が減らされるんですよ」とキッパータックは笑った。

「なるほど。じゃあ、先生はきっと減らされまくっていますでしょうね」

「電子チップでよかったです」とキッパータックは叶と一緒にゲートを潜りながら言った。「手に取れるチップだったら、蜘蛛が変身するかもしれません。僕は危なくてカジノには入れなかったと思います」

「は?」と叶は首を捻った。「蜘蛛がチップに変身?」

 

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