ティー・レモン氏の空中庭園(7)──さよならピエロ
子どもたちは無事だった。塔の住人の目をかいくぐって、ピエロとスクヤ、マイニは庭園の展望スペースまで来ていた。
ゲスト用のIDカードを首に下げた出張ピエロことタム・ゼブラスソーンは、緑色に塗られた瞼に皺を寄せ、仕事をはじめて二時間目くらいのメイク係が描いたような不格好な唇でニィー、と笑って言った。
「二人はとても頑張った。おれ様のことを一生懸命探してくれたな。おかげでおれ様の仲間たちがスムーズに仕事ができたと喜んでたよ。だから、お礼にプレゼントをあげよう」
タムはてのひらに収まる小さく平らなプレゼントの箱を二つ取りだして二人に渡した。
「ありがとう」と遠慮がちに笑うスクヤ。「僕たち、君を見つけられなかったのに」
「ありがとう、オレサマ!」〝おれ様〟がピエロの名前だと思っているマイニ。サヨナラの予感に小さな瞳に涙を溜めていた。
「じゃあ、これでお別れだ」
庭に捨てられる何枚ものIDカード。パラシュートを使って次々庭園から地上へ飛び降りていく仲間たちを追って、タムは手を振り歩きだした。
スクヤ 「じゃあねー。また来てねー!」
マイニ 「また来てねー、忘れないでー、絶対よー、オレサマー」
キッパータック 「ああっ、やめて、やめてください!」
タム 「二人とも、元気にしてるんだよ。これからもいい子でな」
スクヤ 「うん、今度は絶対、かくれんぼ負けないからね」
キッパータック 「だめだ、無理! 死んじゃうかもしれない」
マイニ 「バイバーイ、オレサマも元気でねー」
タム 「バァイ!」
キッパータック 「あああああ! うわぁあああああ────」
スクヤとマイニがあっさり戻ってきたので、抱きしめた後、レモンたちは厨房へ向かった。スィーが言ったとおりこちらも全員レモンたちと同様に縛られていて、食材や道具がひっくり返されていた。
「
「いえ、大丈夫です、レモンさん」柊は涙目だった。「こちらこそ失態を。カネモトが運んできた紅茶を不審に思いながらも、飲んでしまいました。薬が仕込まれていたなんて」
「そういえばあいつ、どこへ行ったんだ?」キィーが恨みを込めて言った。「まさかタムの手下だったとはな」
「カネモトさんがタムの手下?」使用人の女が驚いて言った。
「きっと脅されてやったんだろう。気が弱い男だったから」とレモン。「もうすぐ警察が来てくれるとは思うが、なにか盗まれた? あいつらここでなにをやったんだ?」
「盗まれたのは私のレシピ・ノートと名前入りの包丁です」柊は鼻をすすった。「それから食材がいくつか。冷蔵庫の中の物も貪り食っていきました」
「はあー、なんてことだ」レモンは肩を落とした。
「それから、」と腕を組んで白い壁にもたれていたプリンが言った。「エレベーターもひどい惨状よ。シュールストレミングが悪臭を放ちながら今も立てこもっているのよ。投降して自分から出てきてくれる相手じゃないわよね? 今頃一階から二十階まですべての人たちに恐怖を届けてるかもしれないわ」
「じゃあエレベーターは使えないのか」樹伸はショックを受けていた。「ほんとにひどいことしやがる。キッパー君も無事じゃすまないかも……」
「キッパー君って、あのお兄ちゃんのこと?」と、大人たちについてきていたスクヤが言った。
「なにか知ってるのか? 私たち彼を探してるんだよ」とレモンが訊く。
「あのお兄ちゃんなら庭園でバンジージャンプしてたよ。ピエロの仲間たちはパラシュートで飛び降りていった。お兄ちゃん、絶叫してた」
「なぜ僕を選んでくれなかったんだ!」スィーが悔しがり絶叫した。
「オーマイガッ!」とキィーが言った。
スクヤに教えられた空中庭園の展望スペースへ向かった。太い柱にロープがくくりつけられていて、覗くとキッパータックがぶら下がっていた。皆の目には逆さまの後ろ姿しか見えない。
「どうやって引き上げるんだ、これ」
「早く助けないと頭に血がのぼってしまうぞ」キィーが言った。
今度はプリンが言う。「たしか、飛んだ後に体の向きを変えるための紐があったんじゃなかったっけ? それを引くと向きが逆に、頭が上になるのよ」
「本当か? おーい、キッパー君、聞こえるかー?」樹伸が懸命に声を送る。「なんか、紐を引っ張ると体がまっすぐになるんだって。わかるかー?」
「だめです」とキィー。「彼、動いてもいやしない。もしかしたら気を失ってるのかも」
結局、警察が来てからキッパータックは引き上げられた。悲劇のエレベーターも、例の立てこもり犯がまるで食べ物とは思えないほどの厳重な扱いを受け撤去され、アジトとなった場所はずっと止められたまま扉も開かれたままで、悪臭の元がきれいさっぱりなくなってしまうまで使用禁止となった。
世界的にも名を馳せているレモン財閥の長、ティー・レモン氏の空中庭園が小悪党の手にかかったというなんとも喜べないニュースは、
唯一、連絡先が知られていたレモン家の使用人・カネモトだけが警察に身柄を押さえられた。白状したところによれば、数か月前から自分の郵便ボックスに妙な手紙が度々入っていて、たわいない脅し文句が虫の心臓を持つ相手のために数十倍の効果をあげたと見られ、悪党たちが塔を新しく利用したい業者の人間として見学にくる手配を彼は行ってしまい、睡眠薬を混入させた紅茶を運ぶことまで行ってしまい、騒動のさなか荷物をまとめて非常階段で逃げだすことも行ってしまったのだという。タム側から見れば大活躍であった。使用人には彼に同情する者もいなくはなかったが、塔内のカネモトの私物はあっさり片づけられてしまった。警察から辞去した後、別の職を探さなければならないだろう。
それから、タムがスクヤとマイニに渡したプレゼント。中には板状キャンディーのおまけ、有名人カードを
「これって、あのピエロさんなの?」とマイニが訊いた。
「そうだよ」キィー・レモンが能面のような冷たい表情で言った。「おまえたちの大切な伯父様の美しい庭を不幸に陥れた最低最悪のピエロさ。お客様だって逆さ吊りにされたの、見ただろう?」
「あれは楽しそうだったね」とスクヤが肩をすくめて言った。
「楽しいもんか!」キィーが叫ぶ。「キッパーさんは物も言えなくなっていたんだぞ? そのカード、どうする気だ?」
「うーん……」スクヤとマイニはお互いの顔を見合った。そしてスクヤがマイニのカードを取ると自分のものと二枚合わせてポイッとゴミ入れに捨てた。「こんなカードのために必死でピエロを探してたんだと思うと泣けてきちゃうよ。ほんとに、伯父様たちが言うとおり、嫌な泥棒だね。僕たち暇じゃないのにさ」
「きっと、私たちが見つけられなかったからじゃない?」マイニはまだ信じたい様子だった。「私たちもっと成長するわ。今度は絶対見つけてみせる」
「やめてくれよ」レモンが疲れた息とともに吐いた。「そうやって警察にも見つけられないのがタムなんだ。泥棒に再び遭う今度なんていらない。ほかの方の庭も被害に遭ってほしくない。平和しかいらない」
「そんなふうに元気をなくさないでよ、伯父様」スクヤはレモンに歩み寄ると、小さな手をその丸まった肩にそっと置いた。「伯父様の庭はアジア一なんだよ? どんな目に遭ったって、それは変わらないよ」
「そうだよ、兄さん」二人の父親、スィーが言った。「僕は結構楽しかったけどな」
「今度はおまえとタムを一緒にぶら下げてやるよ」とキィーが呆れて言った。
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