ティー・レモン氏の空中庭園(6)──プリンとエレベーター

「一体なにをされてしまうんだ、キッパー君は」樹伸きのぶあおざめた。「庭園へ向かったみたいだけど」

「入口の横に非常階段があります」レモンが言った。「庭園じゃなくそこから地上へ逃げるつもりかもしれない。エレベーターはカメラがありますから」



 根岸プリンがどうしていたかというと、父親がいなくなって、子ども二人の心細い知恵だけでピエロ探しをやっていたスクヤとマイニに出くわして、声をかけほんの少しだけかくれんぼを手伝っていた。レモンがピエロを呼んでいたなんて知らなかったが、きっと子どもたちの退屈しのぎに用意していたのだろうと考えた。

 しかしこの広い塔の中だ。ピエロは「七階のどこか」に隠れていると聞いている。時間内に見つければ素敵なプレゼントをスクヤとマイニにくれる約束らしい。大人の知恵で加勢してやろうという考えも、次第に疲れて萎えてきた。ピエロに腹も立ってきた。

 子どもを喜ばせたいなら、もっと別の遊戯でもよかったんじゃないのか。どうしてもかくれんぼじゃなきゃだめだというなら、あっさり見つかる場所に隠れてドジを演じればいいのだ。幼児を相手にここまで真剣勝負をするのか。古今東西の本がびっしり詰まった書棚と骨董品が立ち並ぶフロアでプリンはスクヤとマイニのことも見失ってしまった。それにいつまでも自分がここにいたらレモンたちが心配するかもしれない。

「スクヤくーん、マイニちゃーん」プリンは呼んだ。「私、もう伯父様たちのところに戻っちゃっていいかなー」

 先ほどまで二人の息遣い、駆ける足音が聞こえていたと思っていたのに、しんとしている。

「レモンさんに伝えた方がいいわね」プリンは独りごちた。理不尽なほどかくれんぼに長けたピエロに振り回されていることを伝えて、二人に諦めさせるなりピエロに注意をするなりした方がいいだろう。

 プリンの足がエレベーターへ向けて動きだした。すると聞こえる悲鳴。目に飛び込んできたのは、エレベーターから後ろ向きで逃げる格好をしている三人の大人たちだった。

「なに? どしたわけ?」

 一人の男がプリンとの近接に驚き、衝突を避けて転んだ。ほかの者たちも手で顔を覆ったりハンカチに顔を埋めたりしながら今にも床に倒れ込みそうな様子だった。

 きょとんとしながらエレベーターの扉に近づくプリン。それを見て男たちが叫びだす。

「エレベーターは!」

「ああ、行かない方がいい……」

「え?」プリンは停止して男たちを見た。「なになに? なんなわけ?」

「あれは、シュール……」

 そこへ本を抱えたスーツ姿の新たな男が現れて、プリンを追い越しエレベーターの「下」のボタンを押す。

「あああああー!」

「皆さん、どうしたんです?」と不思議がる男。

 プリンとスーツの男の前で開く扉。乗ろうとした男は瞬時に顔を歪ませ後ろへ吹き飛び、プリンも最初にいた男たちのところまで叫び声をあげて避難しなければならなくなった。想像を絶する悪臭が襲いかかってきたのである。

「うおおおおおー、なんだ、これは」


「これってもしや──」プリンは鼻を塞ぎ、遠巻きに懸命に目を凝らしてエレベーターの中を見た。その床に置かれていたのは蓋の開いた缶詰。おそらく、世界一臭い食べ物として著名なシュールストレミングであろうと思われた。

「どこのばかよ!」プリンは絶叫した。「あんなもんエレベーターに置いたのは」

「私なんて体半分乗っちゃったんだよ」最初に被害に遭ったらしい男が情けない声を出した。

 エレベーターは誰一人乗ってこないので、無言で扉を封印した。しかしゆっくりと閉じる間、絶え間なく臭いが一同のところへ流れてきて、全員もんどりうった。

「ああっ!」プリンは床を蹴った。「やめてやめて。もう、なにこれ。鼻だけ死んじゃいそう」

「階段を使うしかないな」スーツの男は鼻を押さえたまま去っていった。

 それで済む話ではないだろう。プリンはキッとくうにらむ。「早くあれをエレベーターから撤去てっきょしなきゃ、へたすると数週間使用禁止になるかもよ? ああ、もう私の服に染みついちゃったかも」

「取り除きにいく勇気が出ない」通路の窓を開けてそこから動こうとしない男が言った。「警察か軍隊を呼ばないと、あれは危険物だ」

「だいたい、誰があんなことしたの?」

 首を振る面々。

「これってもしかして、タム・ゼブラスソーンの仕業じゃないの?」

「タム・ゼブラスソーンって、庭荒らしで有名な?」と一人が訊いた。

「そうよ」プリンは足をバンバン踏み鳴らす。「こんなあくどいことできるやつ、穹沙きゅうさ市にはあいつしかいないじゃない! ついにレモンさんのとこにも来ちゃったのよ。早く知らせなきゃ、レモンさんに」

「非常階段で行こう」男が提案した。「レモンさんはオフィスにいるかも」

「お客さんが来てるのよ」そのうちの一人であったプリン。一緒に走りながら言う。「多分、十五階にいるわ」

「ひえー、十五階かよ」

 男たちは二階のオフィスを利用している業者の者たちらしかった。昼からずっと図書スペースを利用していたと聞いてプリンは「ピエロと子どもたちを見なかった?」と訊いた。

「そういや図体のでかい変なメイクをしたピエロがいたな」

「そのピエロ、タムなのかもしれないわ。あの子たち誘拐されてないでしょうね」


 十五階に辿り着いたときには全員息が切れていた。苦しくて顔をあげられない状態だったが、「プリンさん!」とレモンたちが声を発したので、すぐに拘束こうそくされている仲間たちのところへ走った。

「やっぱりタムの仕業? ここへ来たの?」

「あなたは無事だったのですか?」レモンが訊いた。「ここへ来たのはタムの手下ですよ。キッパーさんが連れ去られてしまった」

「ええ?」荒い息のまま縄をほどくプリン。「スクヤ君とマイニちゃんももしかしたら、なのよ。いないの。七階で変なピエロとかくれんぼしてて」

「ピエロなら知ってる。僕も一緒にいたもの」スィーが言った。

 レモンがプリンとともに助けにきてくれた男たちに指示を出した。「厨房の使用人たちも縛られているみたいなんです。行ってもらえますか? どなたか警察に連絡を。私たちはキッパーさんと子どもたちを探しましょう」

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