ティー・レモン氏の空中庭園(5)──脱出ゲーム

「……てなわけでよ、おれはしばらくその小屋で浮浪者のじいさんの厄介になることにしたんだが、腹減って腹減って仕方なくてな。じいさん、自分が取ってきた食いもんはちょっとしかくれねえし。いつか、公園の炊き出しで食った、あのミイラ男が作ったスープは最高にうまかったなあ。具は玉ねぎと豆だけで、それに文句言ってたやつもいたけどよ。あんなにうまいスープとはもう生涯出会えねえかもしれないな」

「それってピッポ君のスープだな」と樹伸きのぶ

「ああ、」ガットはうなずいた。「だから、あいつの庭はおれたち襲撃してねえんだよ。まあ、庭も庭で荒れ果てたような感じで盗めるものもなさそうだしな。一度、あいつの替えの包帯を盗もうかって話は出たんだが、何人かが反対した。タムさんも、『あいつは自分は透明人間だと吹聴ふいちょうしてるみたいだ。冗談とは思えない薄気味悪さを感じる。そこには触れない方がいいだろう』ってね。それにスープも、『あれを二度と作れないよう封印してやるのもおもしろそうだが、あいつはまた別のスープを作りやがるかもしれない』って言ってた。それだけの腕はあるやつだよな。腕を奪っちまうわけにもいかねえから、第五番大庭を襲う話はそのまま立ち消えとなったわけだよ」

「そんな分別があるんだったらほかの大庭を襲うのもやめてくれないかな」樹伸が疲れた息を吐いた。

 そこへ「兄さーん」と顔をほころばせながらスィーが現れた。ミリタリールックの細身の女とともに厨房へと続いている扉からである。

「スィー! おまえ──」

「みんなで脱出ゲームをやってるんだって? 僕も仲間に入れてよ」

「脱出!? ばかっ、なにを言ってるんだ」

「もう遅いよ」奇妙なメイクで人相を隠した女はスィーの体をくるりと返して、彼も同じように後ろ手で縛られていることを知らせた。

「ああっ、なんてことだ──」

 女がスィーをキィーの隣に座らせ、彼の足もテープでぐるぐる巻きにした。スィーはなにをされているときも嫌々ではなくほぼ協力的に動いているように見えた。


 ガットと女は小声で話し合った。そして「おまえたち、変なまねするなよ。すぐ戻るからな」という言葉を残して、スィーが来た扉へと歩いていった。

「子どもたちは?」悪党たちが退室するとレモンが訊いた。「一緒じゃなかったのか?」

「一緒だったよ、さっきまで」とスィー。「兄さんが頼んだ出張ピエロさんとずっとかくれんぼして遊んでてね。でも僕、喉が渇いちゃって。それでジュースでももらおうとひいらぎのところへ行ったら、みんな縛られてるじゃないか! で、みんなは脱出ゲームをやってるんだって聞いて、こっちの方がおもしろそうだから僕も加えてもらったのさ」

「おまえー」運命の酸いをしぼりだすようなレモンの声。「これはゲームじゃない。見てわからんのか」

「今のうちになんとかできないかな」キィーが言った。「あいつらがいないうちに」

「あっ、これ」樹伸が床の上を見て言った。「ナイフがある!」

 全員の視線がナイフに集まった。突然に小型ナイフが現れでたのである。

 すぐにキッパータックが気づいて言った。「だめです、若取さん。これ、蜘蛛くもですよ。蜘蛛の変身です」

「なんだ、そうか」

「なるほど」キィーが言った。「このナイフであの悪党を刺せということか!」

「こらっ」レモンがキィーを叱りつけた。「物騒ぶっそうなことを言うんじゃない。私たちを縛っているロープを切るんだよ」

「できませんよ」キッパータックが言った。「見た目はナイフそっくりですけど、蜘蛛の体なんですから。物を切れるような鋭さはありません」

「どっちにしろ手を縛られてるんだから無理じゃないか?」樹伸が言うと、一同はたしかに、という空気になり、まとまったため息が流れでた。

 皆に一瞬の希望と失意を与えた蜘蛛は、もう用がないことに気がつくと、ばらばらになってキッパータックのふところへ戻っていった。

「そんなに蜘蛛に這いずり回られてくすぐったくないのか?」と樹伸がそんなことを心配した。

「ところで、」とレモン。「さっき、出張ピエロがどうとか、子どもたちがかくれんぼをしたと言っていたが──」

「ああ、そうだよ」とスィー。

「私は出張ピエロなど雇ってないぞ。今日はここにいるお客様だけしかお招きしていない」

「それもタムの仲間じゃないか?」キィーが忌々いまいましげに吐いた。

「では、スクヤとマイニは悪党と一緒なのか」

「ピエロさんは悪党じゃないよ」スィーが言った。「自分が隠れて、もし時間内に子どもたちが見つけられたら素敵なプレゼントをくれるって言ってね。もう見つかったかなー」

「見つかるかよ」とキィー。「とっくにとんずらしてるだろうよ」

「それじゃ詐欺さぎじゃないか!」スィーが怒った。

「だからやつらは悪党だって言ってるだろ」

「あの子たちが縛られていないなら、どうにかして助けを呼んでもらえるようにできないかね?」と樹伸きのぶが言った。

「プリンさんは?」レモンが言った。「あのモデルさんを見かけなかったか?」

「僕は知らないよ」スィーが頬をふくらませて不服そうに答えた。「兄さんたち、さっきからぐちゃぐちゃ言ってないでさ、ここから脱出する方法を真面目に考えようよ。ゲームに参加していない人に頼るなんてルール違反だよ」

「おまえー」レモンが今日最大の感情を震わせて言った。「まだ本気で脱出ゲームだと思っているのか? おまえはなんてばかなんだ」

 ふと床を見ると、ハンカチが置かれていた。レモンは思わず体を前に倒すと、それに顔をこすりつけて涙をぬぐった。

「レモンさん」キッパータックが慌てた。「やめてください、それ蜘蛛ですよ」


 ガットと女が戻ってきた。ガットは言った。

「おい、このおっさん、どこの神に礼拝を捧げてんだ?」

 レモンが蜘蛛のハンカチに顔を押しつけたまま元に戻れなくなっていた。

「起こしてやってくれませんか?」と樹伸が頼んだ。「前に倒れて起きあがれなくなっちゃって」

「世話が焼けんなぁ、おい」ガットはレモンを起こしてやった。顔に蜘蛛がついているのを見ると、泥棒は親切ついでに指でつまんで「ぴっ」と床に捨てた。

「あっ!」とキッパータックが声をあげた。

 ガットは五人の前に戻った。女とともに並ぶと言った。

「さ、そろそろ最後の仕上げの時間だ」

「?」

「おれたちが企画した本日最高の余興があるんだが、残念なことにたった一名様しかご招待できないんだよ。さあ、晴れてこの名誉を得る幸運な男は誰だろうな?」

「なになに?」スィーだけが沸き立った。「なにがはじまるの?」

「まあ、待て。誰が適任かゆっくり考えさせてくれ」

 ガットはこのショーの進行を掌中にした性悪な司会者だった。また獲物を渉猟しょうりょうし、生涯かけて消化すると称するねちっこい大蛇のように五人の眼前を行ったりきたりしてみせた。スィー以外はもう憔悴しょうすいしきって少時も顔をあげていられないくらいだった。

 樹伸の前にガットのにやついた顔が寄ってきた。「この百三十歳のおっさんにするかな? 百三十年ももった体ならどんなことでも耐えられそうだからな」

「な、な、なにを──」

「ちょいっと待ちなよ、ガット」女が異を唱えた。「こいつだよ。私たちゃこいつに恨みがあるんじゃないか?」

 女の人差し指はキッパータックに向いていた。「私たちにあんなからっぽの壺をよこしやがってさ。泥棒しそこなってんだよ。いつか復讐してやろうと思ってたんだ」

「え?」

「そうか、そうだったな」ガットも同意した。「じゃ、こいつにするか」

 ガットはキッパータックの足のテープを剥がし、引っ張って連れていく。

「やめてください、どこに行くんですか?」足がもつれるキッパータック。

「こっちだ、もたもたするんじゃねえ」

 満足そうに見送っていた女も、残りの者たちを一瞥いちべつすると、二人を追いかけて庭園の方へと歩いていった。

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