ティー・レモン氏の空中庭園(4)──起こった出来事

「カネモト」とレモンが声をかける。「どうした。アップルヤードがなんか言ってるのか? やつは調子でも悪いのかね?」

「い、いえ」カネモトと呼ばれた男は目をきょろきょろさせて、あきらかに緊張した様子で返事した。「私が、私がやらせてくださいと申し出ました。あの、このようにたくさんの大庭主さんにお会いできる機会、またとありませんから」

「……」レモンは無言で客人へ視線を流す。「そうか、大庭主に? ……あ、おまえ、プリンさんのファンだったか?」

「あ、いえ!」カネモトはびくついてさらに声を震わせた。「私は、私は……いや、あの、たしかに、おきれいな方だな、とは思います」


 カネモトの手元だけに起こっている地震によって、小刻みな音を発するカップとソーサーが運ばれてきた。

「いやいや、大丈夫なの?」プリンが心配する。「その紅茶、熱々じゃない。こぼしたらさっきのキッパーさんみたいに火傷するわよ」

「すみません」カネモトは手の甲で汗を拭った。

「君もハーブクッキーを食べたらいい」キィーが冗談めかして言った。「心がとっても落ち着くぞ」

「へー、これがうちのハーブが入っているクッキーか」樹伸は銀のトレイの紙ナプキン上に整列させられている上品なクッキーを覗き込んだ。「うまそうだな。うちの妻が作るのよりおいしいかも」

「さあ、どうでしょう」レモンは笑った。「アップルヤードはちょっとムラのある男です。ひいらぎほど安定感のある味は出せないところがありましてね」

「うん、おいしい」プリンがさっそく口にした。「あ、そういや私、マネージャーに連絡入れなきゃだったわ。忘れてた」バッグを手に取ると「失礼。皆さんでお茶してて」と言い、木目調の扉の方へ歩いていった。

「あ、あの」客人の様子をやや上目遣いで見ていたカネモトが発した。「私はもう下がってよろしいでしょうか?」

「ああ、いいよ」とレモン。「あとは私がやるから。……それと、スィーと子どもたちを見かけたらここへ来るように言ってくれないか? また柊のところへ行っちゃ困るからね」

「あの、」カネモトは声を少し強めた。「スィー様、お子様方はどちらへ、どちらへ行かれたので?」

「わからんのだ。塔の中を探検してるのかも」

「探検……」カネモトは行方不明だと告げられたみたいに呆然とした。

 レモンがさすがに見咎めて、言った。「どうしたんだ。今日の君は様子がおかしいぞ」

「なんでもありません、どうぞごゆっくり。失礼します」カネモトは慌てて去っていった。




 キッパータックは自分がいつの間にか眠っていたことを知る。そしていつの間にか後ろ手に縛られていることを知る。加えて、そのいつの間にかをここにいる全員が味わっていることを知ったのだった。

「はっ、」樹伸が気がついて言った。「あれ? なんだこりゃ? え?」

「私たち縛られてますね」キィーが自分の隣を見て言った。

 樹伸、キッパータック、レモン、キィーの順番に横一列に並んで床の上に座らされていた。目の前には先ほどまでいたソファーが見え、テーブルには紅茶のカップとクッキーが三時の時間のなごりのままに残っていた。倒れていた者は起こされ、足にテープを巻かれてしまった。一人だけ自由の身でいる男の手によって。

「おお、全員眠りから覚めたみたいだな」と男が言った。

「おまえが私たちを?」とキィーが尋ねた。「喜ばしくないことが起こっているなら早めに教えてくれ。いろいろ対策を練らなければならないから」

「ふうん」ニット帽を被った尖ったあごの男は腕組みしたままキィーをじろじろ見た。「対策ねぇ。そんなもの練られちゃこっちが喜ばしくないことになりそうだわ」

 キッパータックが言った。「もしかして、あの紅茶に睡眠薬が入ってたんですか?」

 悪党は動いてテーブルの上をだるそうに見た。「そうなんだろうな。おまえたちぐっすり寝てたから。でもおれは知らねえぞ。だって、このおやつはここの使用人が持ってきたんだろうが。その使用人に聞いてみねえと睡眠薬なんだか下剤なんだかはわからねえよ。おれは薬学博士じゃねえし」

「カネモトぉー」レモンが歯噛みした。「なんか様子がおかしいと思ったんだ」

「いつもあんな人なのかと思った」と樹伸きのぶ

「目的を言え」キィーが言った。

「では自己紹介」男が全員のちょうど真ん中に来て言った。「おれの名前はガット・ピペリ。あの有名な庭荒らしの達人、タム・ゼブラスソーン様の愛弟子よ」

「タムの仲間か!」樹伸が叫んだ。

「そんなに喜ぶなよ」ガットが照れた。

「喜んでるように見えるか?」

「で、目的は?」とキィー。

「おまえ……」ガットは低音を吐きだした。「さっきからそればっか」

「目的は?」キィーはめげずにくり返した。

 ガットはくるっと横を向いた。「おれたちタム一家の目的はこの世のすべての庭園を素敵に荒らすことだ。この世に存在するものは、いつかは朽ち果てるものさ。朽ち果てる時期を引き伸ばすためにおまえたち大庭主は頑張って庭いじりしてるんだろうが、そういう無駄なあがきっていうのは美しくないと思ってる。形あるもの皆〝END〟は避けられない。そのはかなさを忘れちゃいけないんだって。そう、ブッダかトマス・アクィナスだかが言ってたんじゃないかな?」

「そんな思想とおまえたちがやってることは全然繋がってるようには思えんが」

「そりゃおまえの頭の中で繋がってないだけだろ?」ガットは自分のこめかみをトントンと指で叩いた。

「金や命を奪うやつも許せないが、おまえたちみたいな愉快犯も本当に悪趣味だと思う。世の中にはもっと心から楽しめるものがいっぱいあるというのに」

「おれたちだっておれたちなりに庭園を楽しんでるのよ」ガットはキィーの憤慨ふんがいに満ちた顔を覗き込んだ。

「ちょっと訊いてみてもいいかな」樹伸が割り込んだ。「おまえたち、大庭主からいろいろ盗んでるよな? 根岸プリンさんちからはたしか、犬のおやつとイルカ型の石を盗んだ」

「あーあー、そうだったっけ?」

「憶えてないのか。そういうの盗んでどうするんだ? 盗んだ後だよ」

「犬のおやつはおまえが食ったんだろ」とキィーが挑発した。

 ガットは数秒無言で体を掻いていた。そして言った。「おれたちは単なるコレクションっていうのかな。あの、ごちゃごちゃ物を積みあげてる大庭主のオバサンがいるだろ? 品物の森だったか品物のだったか……。あのオバサンほど無頓着じゃないにしろ、気に入った物はタムさんが大事に取っておくこともあるし、食っちまうこともあれば捨てちまうこともあるし」

「じゃあ、五十嵐さんちから盗んだ像は?」とキッパータックが訊いた。キッパータックの蜘蛛くもたちが必死で再現した芸術品だ。

「あれは捨てたな」ガットはあっさり白状した。「あんな物いらねえし」

「いらないなら盗むなよ!」樹伸が怒った。

「だから荒らすことを、はかなさを伝える行為をコレクションしてるんだって。記録と記憶を打ち立ててるんだ、この胸に。何度も言ってるだろう?」


 レモンが頭を垂れ、目をギュッと閉じた。「うちには五十嵐さんちのようなすばらしい芸術品はないし、あなたたちの趣味にかなうような物はないはずだ。この塔のどこかにちっちゃな、いたいけな子どもたちがいるんだ。あの子たちを傷つけたくない。お願いだからこのようなことはやめてくれ。私たちを放してくれ。お客様を……」

「ほらほら、レモンさん泣いちゃうぞ」樹伸がガットをおどした。

 ガットはチッ、と舌を鳴らして仰向あおむいた。「盗みが終わったらおまえたちには用はねえよ。いいから静かに、おとなしく待ってろよ」

「プリンさんは無事なのか」レモンはつぶやいた。「使用人たちは……。スィーと子どもたちは一体どこにいる」

「一家の長は大変だな。いろいろ心配ごとが多くて」ガットはそれから頼まれてもいないのに自らのし方を語りはじめた。

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