ティー・レモン氏の空中庭園(2)──もう一人の客、砂の散歩道
駐車場に車を停めると、
「お二人とも、ようこそ」レモン氏はすたすたと速足で近づいてきて、二人の手をさっと握った。
「
「お久しぶりです、レモンさん。お元気そうで」と樹伸。
「はじめまして、キッパータックです」とキッパータックも挨拶をした。
レモンは改めてニッと唇をカーブさせた。
「こうして
「私にとっても大庭はなくてはならない場所です」樹伸も同調した。「大庭が私の平和です。そして穹沙市の中でもっとも輝く偉大な平和を作りあげたのがあなた、レモンさんですよ」
「いやいや」レモンは恐縮した。「私もあなたのように百年以上世の中を見続けられたら、本物の平和な世界がわかるのかもしれませんが、今はまだ戦いの最中でして。人気一位はたしかにありがたいです。しかし、それを
来客用スペースには天板が
「若取さん、おひさー」
「プリンさん、今日も見事なファッションだねぇ」と樹伸。「キッパータック君。こちら、モデルで女優の根岸プリンさんだよ。知ってるかな? 彼女、
「はじめまして」キッパータックは軽く頭をさげた。
プリンは両耳のイヤリングを揺らし、まるで予期せず好ましくないものを見せられたというように眉をひそめた。「わざわざ改まって予約までして来る大庭主だって言うからどんなグッドマンかって期待すりゃ、随分地味~なのが来ちゃったわね」
「見てくれより中身だろ」樹伸は親指を自分に当てて言った。「おれたちゃダンスしに来たわけじゃない。勉強しにきてるんだからさ」
「ベンキョーオ? じゃ、あなたたちもあれ? タム・ゼブラスソーン対策ってわけ?」
「え?」
「知ってるっしょ? 四月にうちの庭がタムの餌食になったじゃん。警察がさ、人気ランキング上位の人が狙われてるんじゃ……なんて言うんだよ。でもここ、レモンさんちはやられてないじゃん? 一位なのにさ。ということで、なんかドロボーに入られないすっごい対策でもやってんのかな? って思って気になって来てみたわけよ。でも、レモンさん
「タムに狙われたんですね」とキッパータックは言った。「僕たちは庭観賞です。でも、僕の家にもタムの仲間が来ました。うちは人気のない庭なのに」
「マジックの道具でも盗まれた?」プリンはグラスの水を口に近づけながら訊いた。
「飼っている
「飼っている蜘蛛って――」プリンはグラスを置くと、
「でも、彼の蜘蛛はすごいんだ」樹伸がフォローするように言った。「彼のマジック見たんだろ? あれ、蜘蛛がやってたんだから、実は」
プリンの切れ長の瞳が見開く。「はあ? お兄さんだと思ってた人、蜘蛛だったの? どんなファンタジーよ、それ」
「いや、そうじゃなくて……」
レモン家の使用人がテーブルに着いた二人にも飲み物を運んできた。プリンは「私はもういいわ」と断りながら、隣に座ったキッパータックの体を指でつんつんと突きだす。蜘蛛の変身かどうかの確認、ということらしい。
レモンが二人の人物を引き連れて戻ってきた。一人はミッドナイトブルーのスーツを見事に着こなし、もう一人は中華風の派手な柄のTシャツと短パンという格好。この二人、服装、雰囲気、体型は違っているものの顔はレモンの
「紹介します」とレモン。「二人とも私の弟です。こちらがキィー・レモン。隣がスィー・レモンです。キィーは次男。スィーは四男になります」
「はじめまして、キィー・レモンといいます。日本の方にお会いするとテンションが上がります。私、日本大好きですから」
「もう随分帰ってないけど」と樹伸は言った。
スィーは
「
「マイニちゃん? かわいい名前じゃん」
プリンが言うと、マイニはにっこり笑って、大人たちが驚く速さで二人して奥のドアへと駆けていった。登場と退場が同時に一瞬で行われたみたいだった。
「兄さん」スィーが子どもに負けない愛嬌のある顔を見せて言った。「あの子たち、もうお腹ぺこぺこだってんだ。
「もう行ったんじゃないか?」レモンは困り顔で言う。「柊はお客様にお出しする料理の準備中なんだぞ? あの暴れん坊の子どもたちがシェフに
「大丈夫だよ、じゃまはしないようにするから」スィーも追いかけてドアへ向かった。
「ああ、待て、大丈夫なもんか」
パタン、と言ってドアが黙ると、レモンは「どうも、騒がしくてすみません」と苦笑した。
樹伸がウォッチ型端末を確認した。「もうすぐ十一時ですね。私もだいたい十時には腹の虫が鳴きますから。この虫は年がら年中元気で」
「たしかに」キィーがてのひらを天井へ返すだけという、紳士らしい呆れ方をして語った。「あの子たちは十時にポップコーンをたらふく詰め込んだはずですが、数十分おかずに元気でい続ける虫を持っていますからね」
「柊は有能なシェフですから、任せましょう」レモンは三人が消えたのとは反対方向、庭園からの陽光が届き、輪郭さえわからなくなっている眩しいガラス戸の方へと歩きだした。「食事の時間まで庭園をご案内させてください。プライベート・ガーデンではない、お客様用の庭園ですが」
「待ってました」樹伸が喜んだ。「私たちの目当ては庭園ですから。キッパー君、行こう!」
白い
端まで歩いていって手すりに捕まり地上を
ついてきたキィーは青空レストランの席に着いてコーヒーを啜っていた。この空中庭園の主ティー・レモン氏は、三人の客を眺めてにこにこしている。樹伸たちは眺めるだけではなく体験を、ということで、庭園の一辺に散歩道の続きとして敷き詰められている美容砂の上を素足で歩いてみることにした。砂に含まれる成分プラス、太陽に十分に熱せられていることが足の裏にいい効果をもたらすということだった。散歩道は屋根付きではあったのだが、ところどころ抜かれている正方形の天窓から、また横から、容赦なく光が降り注いできている。
「こりゃいい、ぽかぽかする」樹伸は若干よろよろしながら歩いていた。「ちょっと熱いかも。夏の砂浜みたいだ」
「モデルがへっぴり腰見せるわけにはいかないわね」プリンは背筋を伸ばし、勇ましいウォーキングを見せた。
「足の裏が痛い」キッパータックの格好が一番情けなかった。「ガラスを踏んでるみたいだ」
「ガラス? 大げさな。そこまで痛くないっしょ」プリンがキッパータックの背中を叩いて追い抜いていった。「
「間違われたことは一度もないですけど」
「お兄さんの庭にも砂があるんじゃなかった?」
「滝の砂はもっとさらさらしてるんです」
「へえー……」プリンはかがんで美容砂を掴むと空中に
長身の執事・フリーマンがやってきて、彼と並んだレモンが「そろそろお食事いかがですか?」と声を送った。「秋とはいえ、太陽が容赦ないようだ。屋内でも庭園に負けないおもてなしはするつもりですよ」
「おおいに賛成」と樹伸が言った。
間髪入れずに使用人がなだれ込んできて、足の裏の砂を払うためのタオルが渡された。どこかに指揮者でも潜んでいるかのような絶妙なタイミング。必要な音がむだなく鳴らされるのだった。
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