ティー・レモン氏の空中庭園(2)──もう一人の客、砂の散歩道

 駐車場に車を停めると、樹伸きのぶとキッパータックは塔に入って、エレベーターで十五階へ向かった。大きな木目調の引き戸があり、使用人がそこを開けると、ティー・レモン氏が立っていた。カードの中で見た笑顔より数倍輝いているような相貌そうぼうの氏。上品でやわらかな生地の、塔と同化しそうな白の上下の服をまとい、頭には先の尖った宝珠型の、これまた真っ白な帽子が載っていた。

「お二人とも、ようこそ」レモン氏はすたすたと速足で近づいてきて、二人の手をさっと握った。

若取わかとりさん、キッパータックさん」

「お久しぶりです、レモンさん。お元気そうで」と樹伸。

「はじめまして、キッパータックです」とキッパータックも挨拶をした。

 レモンは改めてニッと唇をカーブさせた。「こうして穹沙きゅうさ市を代表する大庭主だいていしゅさんたちにお会いできることはこの上ない喜びです。ビジネス抜きの、心の通った親交。平和な語らい、安らぎというもの……。私が日々の生活の中でしょっちゅうなくしてしまう時間ですよ。これを味わいたくて大庭主になった。庭は、私の理想そのものです。仕事を引退するまで手に入らないと思っていた」

「私にとっても大庭はなくてはならない場所です」樹伸も同調した。「大庭が私の平和です。そして穹沙市の中でもっとも輝く偉大な平和を作りあげたのがあなた、レモンさんですよ」

「いやいや」レモンは恐縮した。「私もあなたのように百年以上世の中を見続けられたら、本物の平和な世界がわかるのかもしれませんが、今はまだ戦いの最中でして。人気一位はたしかにありがたいです。しかし、それをふところに刻む間もなく仕事に埋没しなければならない、こんな大庭主が本当にふさわしいのかと思う毎日です。悲しいことです」


 来客用スペースには天板が御影石みかげいしの大きなテーブルがあり、そこに若い女の先客があった。レモンは二人にもテーブルの席を勧めた。声を受けて女がくるりと振り返った。

「若取さん、おひさー」根岸ねぎしプリンはてのひらをパタパタ振った。「そっちのお兄さんは、五十嵐さんちのパーティーでマジックやってた人だね?」

「プリンさん、相変わらずど派手な格好だねぇ」と樹伸。「キッパータック君、こちら、モデルで女優の根岸プリンさんだよ。知ってるかな? 彼女、鳳凰ほうおう地区の第十番大庭の庭主だ」

「はじめまして」キッパータックは軽く頭をさげた。

 プリンは両耳のイヤリングを揺らし、まるで予期せず好ましくないものを見せられたというように眉をひそめた。「わざわざ改まって予約までして来る大庭主だって言うからどんなグッドマンかって期待すりゃ、随分地味~なのが来ちゃったわね」

「見てくれより中身だろ」樹伸は親指を自分に当てて言った。「おれたちゃ勉強しにきてるんだからさ」

「ベンキョーオ? じゃ、あなたたちもあれ? タム・ゼブラスソーン対策ってわけ?」

「え?」

「知ってるっしょ? 四月にうちの庭がタムの餌食になったじゃん。警察がさ、人気ランキング上位の人が狙われてるんじゃ……なんて言うんだよ。でもここ、レモンさんちはやられてないじゃん? 一位なのにさ。ということで、なんかドロボーに入られないすっごい対策でもやってんのかな? って思って気になって来てみたわけよ。でも、レモンさんいわく、たいした対策はやってないってさ。ま、来るなら来いって感じかしら」

「タムに狙われたんですね」とキッパータックは言った。「僕たちは庭観賞です。でも、僕の家にもタムの仲間が来ました。うちは人気のない庭なのに」

「マジックの道具でも盗まれた?」プリンはグラスの水を傾けて訊いた。

「飼っている蜘蛛くもが盗まれそうになりました。危なかったんですが、ちょうど森へ放していたので、助かりました」

「飼っている蜘蛛って――」プリンはグラスを置くと、怪訝けげんな顔になった。「ゴキブリを飼ってるって女性の話はインターネットで見たことあるけど、今度は蜘蛛ですか。うちなんて普通のコーギーよ。なんでもかんでも飼いはじめるのね、昨今は」

「でも、彼の蜘蛛はすごいんだ」樹伸がフォローするように言った。「彼のマジック見たんだろ? あれ、蜘蛛がやってたんだから、実は」

 プリンの切れ長の瞳が見開く。「はあ? お兄さんだと思ってた人、蜘蛛だったの? どんなファンタジーよ、それ」

「いや、そうじゃなくて……」

 レモン家の使用人がテーブルに着いた二人にも飲み物を運んできた。プリンは「私はもういいわ」と断りながら、隣に座ったキッパータックの体を指でつんつんと突きだす。蜘蛛の変身かどうかの確認、ということらしい。



 レモンが二人の人物を引き連れて戻ってきた。一人はミッドナイトブルーのスーツを見事に着こなし、もう一人は中華風の派手な柄のTシャツと短パンという格好。この二人、服装、雰囲気、体型は違っているものの顔はレモンのめんをつけているようにそっくりだった。

「紹介します」とレモン。「二人とも私の弟です。こちらがキィー・レモン。隣がスィー・レモンです。キィーは次男。スィーは四男になります」

 樹伸きのぶが立ちあがりキィーと握手した。スーツの方だ。

「はじめまして、キィー・レモンといいます。日本の方にお会いできて光栄です。日本大好きですから」

「もう随分帰ってないけど」と樹伸は言った。

 スィーは慇懃いんぎんなキィーと対照的で、挨拶もそこそこにくるりと背を向けると、短い腕をぶんぶんと振った。どこかに風でも送っている仕草に見えたが、逆に二人の子どもが送られてき、腕に飛び込んできた。

おいのスクヤとめいのマイニです」とレモンが言った。

「マイニちゃん? かわいい名前じゃん」

 プリンが言うと、マイニはにっこり笑って、大人たちが驚く速さで二人して奥のドアへと駆けていった。登場と退場がまるで一瞬で行われたみたいだった。

「兄さん」スィーが子どもに負けない愛嬌のある顔を見せて言った。「あの子たち、もうお腹ぺこぺこだってんだ。ひいらぎのところに連れてっていいかな?」

「もう行ったんじゃないか?」レモンは困り顔で言った。「柊はお客様にお出しする料理の準備中なんだぞ? あの暴れん坊の子どもたちがシェフにねぎらいの言葉をかけられるとは思えんがね」

「大丈夫だよ、じゃまはしないようにするから」スィーも追いかけてドアへ向かった。

「ああ、待て、大丈夫なもんか」

 パタン、と言ってドアが黙ると、レモンは「どうも、騒がしくてすみません」と苦笑した。

 樹伸がウォッチ型電話を確認した。「もうすぐ十一時ですね。私もだいたい十時には腹の虫が鳴りますから。この虫は年がら年中元気ですからね」

「たしかに」キィーがてのひらを天井へ返すだけという、紳士らしい呆れ方をして語った。「あの子たちは十時にポップコーンをたらふく詰め込んだはずですが、数十分おかずに元気でい続ける虫を持っていますからね」

「柊は有能なシェフですから、任せましょう」レモンは三人が消えたのとは反対方向、庭園からの陽光が届き、輪郭さえわからなくなっている眩しいガラス戸の方へと歩きだした。「食事の時間まで庭園をご案内させてください。プライベート・ガーデンではない、お客様用の庭園ですが」

「待ってました」樹伸が喜んだ。「私たちの目当ては庭園ですから。キッパー君、行こう!」



 真っ青な天井に白い庭面にわもが目に痛かった。すべてが空の下で輝いている。風力オルゴールの銀の支柱も、レストランのテーブルも日除けの生地も。

 端まで歩いていって手すりに捕まり地上をおがむと、今度は頭が痛くなる――というわけだ。ただ空との境は手すりだけにはせずにガラスの壁を巡らせ、万が一の落下を防ぐようにしてあった。キッパータックと樹伸とプリンが怖々下を覗き込んでいるのは、三か所だけガラスが途切れている展望スペース。穹沙きゅうさ市を囲むほかの都市も含めてかすみ広がっている遥かな大地を臨むことは、もちろん庭園の足下を見て血を昇らせるよりも素敵なことだった。

 ついてきたキィーは青空レストランの席に着いてコーヒーを飲んでいる。この空中庭園の主ティー・レモンは、三人の客を眺めてにこにこしている。三人は眺めるだけではなく体験を、ということで、庭園の一辺に、散歩道の続きとして敷き詰められている美容砂の上を裸足で歩いてみることにした。砂に含まれる成分プラス、太陽に十分に熱せられていることが足の裏にいい効果をもたらすということだった。散歩道は屋根付きではあったのだが、ところどころ抜かれている正方形の天窓から、また横から、容赦なく光が降り注いできている。

「こりゃいい、ぽかぽかする」樹伸は若干よろよろしながら歩いていた。「ちょっと熱いかも。夏の砂浜みたいだ」

「モデルがへっぴり腰見せるわけにはいかないわね」プリンは背筋を伸ばし、勇ましいウォーキングを見せた。

「足の裏が痛い」キッパータックの格好が一番情けなかった。「ガラスを踏んでるみたいだ」

「ガラス? 大げさな。そこまで痛くないっしょ」プリンがキッパータックの背中を叩いて追い抜いていった。「蜘蛛くもみたいに背中丸めないの! だから蜘蛛に間違われるんだわよ」

「間違われたことは一度もないですけど」

「お兄さんの庭にも砂があるんじゃなかった?」

「滝の砂はもっとさらさらしてるんです」

「へえー……」プリンはかがんで美容砂を掴むと空中にいた。

 長身の執事・フリーマンがやってきて、彼と並んだレモンが「そろそろお食事いかがですか?」と声を送った。「秋とはいえ、太陽が容赦ないようだ。屋内でも庭園に負けないおもてなしはするつもりですよ」

「おおいに賛成」と樹伸が言った。

 間髪入れずに使用人がなだれ込んできて、足の裏の砂を払うためのタオルが渡された。どこかに指揮者でも潜んでいるかのような絶妙なタイミング。必要な音がむだなく鳴らされるのだった。


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