第7話 ティー・レモン氏の空中庭園(1)

「観光客が来ずに泥棒が来ちゃうとはねぇ……」

 観光局・大庭だいてい管理課の職員、草堂そうどうは腕をぼりぼり掻きながら大儀そうに言った。彼はキッパータックの庭の担当というわけではない。青龍せいりゅう地区、不死鳥フェニックス地区、天馬ペガサス地区の大庭を担当している広潟ひろかたという者がいて、彼が本日この第四番大庭にやってくる予定だった。タム・ゼブラスソーンの一味に壺と魚の缶詰を盗まれたキッパータックのお見舞いに。

 しかしのっぴきならない用事が発生し彼の体は現在日本にあるということで、代わりに来たのは茶髪で二十代の、言動が軽そうなこの若者であった。

「あんたさ、」草堂は初対面のキッパータックに先ほどからずっとぞんざいな口を利いていた。「先月の『観光手当』、二十大庭中最低金額だったろ? あの岩手黔いわてぐろさんの大庭の方がまーだ客が来てるって話じゃないか。あり得ないね、あんな庭園とも言えないようなところに客の数で負けるなんて」

「すみません……」キッパータックは清掃の仕事から戻ってきて、車庫を片づけていた。この本業が忙しく留守がちにしていることも、観光客が増えない理由ではあるだろう。

「でも観光手当は少なくても大丈夫です。補助金だけで十分やっていけますから。砂の滝は手入れがいらないし」

「そーゆーことじゃないだろ?」


 東味亜ひがしみあ国民は通常、すべての大庭を無料で楽しむことができる。実は国に支払っている「環境税」というものがあり、ここから大庭主へ入園料代わりになる「観光手当」が毎月支払われているのだ。来園者数はもちろん調査されていて、それにより金額が増減する。

 観光手当は一向に「増」にならず、観光局のいらだちは「増」になる。それがキッパータックの庭の昨今であった。

 草堂の声のボリュームが上がる。「ああっ、広潟さんがかわいそうだ。こんなやる気のない庭主を相手にしなきゃならないなんて。ただでさえ家庭が大変で、東味亜と日本を行ったり来たりしてるのに――」

「やっぱり、娘さんのことで日本へ?」

「あんたは自分の庭のことを考えてりゃいいの!」

 キッパータックは、かりかりして庭面にわもを靴底で踏みにじるという狂想曲を奏でている草堂をじっと見た。たしかに観光局は大庭主へ金銭の援助をしているのだから、うるさく言う気持ちもわかる。ただどうやれば砂の滝の見物客が増えるのか、キッパータックにはわからなかった。

「もうお昼です」キッパータックは言った。切り替えた、と言ってもいい。この若者はきっとお腹が減っているのだ。そういう理由でいらいらする人間もいると言うではないか。「これから昼食にするので、よかったら食べていきませんか?」

「よくない、よくない」草堂は手を振った。「結構だね。あんたは缶詰ばっか食べてるって聞いてるんだよ。おれの口にはそんなもの入ってほしくないね。さっきセブンウィリアムでサンドウィッチ買ったし──そうだ」

 草堂はポケットから封の開いた菓子を取りだしてそれをキッパータックの手に渡した。「これやるよ。おやつに食べな――あ、言っとくけど、封は開いてるが食いかけじゃないからな」

 それは板状キャンディーだった。アジア一の店舗数を誇るコンビニエンス・ストアー〝セブンウィリアム〟で子ども向けに売られているもので、「有名人カード」のおまけが入っている人気の菓子だ。

 草堂は打って変わって上機嫌で言った。「おれが誰のカードを引き当てたと思う? なんと、あのティー・レモンさんだよ。穹沙きゅうさ市大庭人気ランキング一位のお方だぜ? さすが有名財閥の長だよな、死んでもいないのにカードに載るなんてさ。おれもあの空中庭園には何度も行ったよ。観光局の職員としてじゃなく、一市民として純粋に庭を楽しむためにね。あんたもさ、ああいうすんばらしい庭園へ行って、ちょっとは勉強してきたらどうなのよ。そのカードやるよ。少しは幸運が巡ってくるといいな、じゃあな」

 草堂は後ろ向きで手を振って、のしのし歩いて帰っていった。キッパータックはストロベリー味のキャンディーを一枚抜くと口に入れ、もらったカードを顔の前へ引きだしてみた。レモン氏の日に焼けたつやつやした笑顔があり、裏にはレモン財閥の堂々たる歴史と偉業、氏が管理する空中庭園の紹介も載っていた。

「空中庭園かぁ、どんなのだろう。若取さんに聞けばわかるかな?」



 つづめて言えば、若取わかとり樹伸きのぶはレモン氏の空中庭園にさっそく予約を入れることになったわけである。彼は平和を愛する百三十歳の大庭主だいていしゅ。人間としても大庭主としても年季が違っていたから、その平和をきわめるための努力、庭園管理に向ける姿勢には並ならぬものがあった。彼は太陽のような、と言っていいだろう。地上の物体で彼の熱を避けて通れるものはない――といったところで、キッパータックのような「低温動物」を見れば熱線を送らずにはいられなかった。なのでキッパータックが自ら「空中庭園に行ってみたい」と発したことは、冬眠中の熊が覚醒したようなうれしい春の訪れだった。

 第十八番大庭、火龍ドラゴン地区にあるティー・レモン氏の『空中庭園』。レモン氏は予約の電話に大変に喜んで、「当日、貸し切りということにしましょう」と言ってくれた。「もしかしたら、ほかの大庭主も来るかもですが、とにかく、大庭主同士ゆったりと語らう一日――ということにしましょう。シェフにごちそうをいっぱい作らせます。楽しみにしていてください」


 予約当日、樹伸は上機嫌で、キッパータックの運転する車の中で鼻歌を奏でた。

「レモンさんは多忙だから、穹沙きゅうさ市にいつもいるわけじゃない。その貴重な時間を我々のために割いてくれるっていうんだからな」

「レモンさんちの庭園、本当に空に浮かんでいるんですか?」キッパータックが見ているのは車の窓から見える天馬ペガサス地区の上の澄んだ青空だった。

「あれほどテレビコマーシャルやなんやらで紹介されてるのに見たことないのか? 君は忙しいっていうよりもぐりなんだな」樹伸は呆れた。「ま、実際を見てわかった方がいいだろうがね。レモンさんの住まいや事務所やらが入っている十五階建ての塔があってね。その十五階に庭園があるんだ。あのようなだだっ広い庭が塔を挟んで左右に翼のように広がっていることを考えたら、まさに奇蹟の庭園って感じがするよ。あの庭なら人気一位を譲っても惜しくはない、そういう庭さ」


 火龍地区は穹沙市の西の端にあるので、車で一時間以上かかった。西側の地区というのはほかに、地獄番ケルベロス地区、獅子女スフィンクス地区、白虎びゃっこ地区、牛頭鬼ミノタウロス地区と、名前の響きからして不穏である上に、広大な森や山のあわいに街が作られているところが多く、居住環境としては今一つと言われていた。その中で唯一、火龍地区は毎年地価が上昇し続けている人気の場所だ。車も、火龍の懐に入った途端、にらみをきかせていた樹木郎党がさっと道を空け、折り目正しく整列したフレンドリーな街路樹たちに取って代わった。有名な音楽広場があり、西洋文化を基礎とした学校が並び、調味料メーカーの工場とその経営者家族たちのネープルスイエローの屋敷が続き、その奥がティー・レモン氏の庭園だった。

 樹伸が言ったとおり、中央に十五階建ての真っ白な塔。その頂の左右に、めいっぱい広がる庭園の土台となるコンクリートがくっついている。まさに翼のように高く風に掲げている格好だった。ただ塔の十五階に繋がっているだけの、あとは空気のみに支えられているという、青空に浮かんだ庭園。何度か訪れたことがある樹伸によれば、正面から見て右側はレモン家のプライベート・ガーデンとなっていて、ゴルフのちょっとしたコースとプールがある。左側が客を招く、いわゆる毎年人気投票で一位を獲得している大庭ということだった。すべてデザインはシンプルであり、色も塔と同じく白が基調。花壇は風害や運搬等を考慮に入れ土は使わず粒子の粗い砂や合成培地を利用したもので、風力オルゴールが〝世話係〟だった。このオルゴール、実はコンピューター管理されているロボットで、仕掛けが動き控えめな音量の旋律を流しながら植物に水を与える様は、たとえ風がそれほどない日にも自然発生的に起こっている非人工的な営みを見ているようだと人々に絶賛されていた。園夫の鼻歌も管理室のスイッチ一つで流したり流さなかったりできるなどは言わぬが花であった。どこに「風力」が関係しているのか、謎だ。

 ほかにも青空レストランに美容砂を敷き詰めた散歩道、またウィンドセラピーの体験も楽しめるようになっているという。

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