人生の巣(2) ──キッパータック、浮いてみる

 キッパータックはこくりとうなずいた。「うん。蜘蛛くもは変身したものによっては空を飛ぶことができるんだ。はちや鳥に変身するとかね。でもそれだと僕は乗れないから、空飛ぶ絨毯じゅうたんとかになってもらうのがいいと思う」

「そいつはすごい!」ピッポが叫んだ。「君の蜘蛛はどこまで可能性を広げる気なんだ! 蜂にも鳥にもなれるだって? それはもう……なんなんだ? 蜘蛛でいる必要があるのか?」

「あのぅ、話がさっぱりわからないんですが――」サラは困惑していた。

 キッパータックは腰をあげた。「蜘蛛は森から戻ったばかりで、変身できるほどまで回復しているかわからない。ちょっと見てくるよ」

 キッパータックが屋敷に戻っている間、ピッポはサラに「我々がこれから出会うのはまさに『百獣の王』だよ」とくすくす笑いながら言った。「彼の蜘蛛はきっとライオンにだってなれるからね、万能だよ」

 プラスチックの皿に蜘蛛たちを乗せて大庭主だいていしゅが戻ってきた。「大丈夫だった。蜘蛛は変身できるみたい」

 それを地面に置くと、キッパータックは命令を下した。蜘蛛たちはわさわさといたいけな脚を動かして皿から出、ひとまとまりになった黒い円は徐々に正方形に変わり、原色の模様まで入った一枚の織物になった。

 サラが受けた衝撃。しゃべるカラスと出会ったことなど、地面でありの行進を見ただけにすぎないと言えるくらいのものだった。蜘蛛が消えて、織物が現れた? 蜘蛛が変身? すぐには受け入れられなかった。サングラスに優しく保護されてきた自分の目を厳しい外界にさらしてでも「しっかり見なさい!」と言ってみたかった。しかし二人の男は平然としている。今地面にあるのは一枚の織物にすぎない、わかりきったことだ、と思っているだけの顔だった。


 キッパータックは次なる命令を与えた。織物はゆらゆらしながら宙に浮かびはじめた。

「ほおー、やるねぇ」ピッポは高揚こうようしていた。「僕が無口なカラスがほしくなったときにも、彼らに頼めば手に入るんだ。夢はなんでもかなうって、ちっちゃな生き物たちが教えてくれたよ」

「ほ、本当に、蜘蛛なんですか?」サラが上擦うわずりながら訊いた。「でも、でも、いくら宙に浮いたからって、それに乗るのは無理ですよ。耐久性の問題が。だって蜘蛛でしょう? 何十匹何百匹の蜘蛛が絨毯になってるんですよね? それに乗ったらばらばらになっちゃいませんか?」

「乗ってみるね」

 腰の高さまで浮いた蜘蛛の絨毯を両手で押さえ低い位置に沈めてから、キッパータックはそっとひざをすべらせ、やがて完全に身を預けた。蜘蛛は重さに耐えかねているように見えたが、しばらくするとゆっくりと浮力を上げていった。

「小さいから絨毯っていうより座布団みたいだけど。でも、飛べそうだ」と、今やブッダのごとく浮遊を実現させているキッパータック。

 サラはそっと近づくと、絨毯をつんつんと指でつついた。すると蜘蛛たちはさらに高く浮かんでいった。

「このまま滝の上を見てくるよ」キッパータックは家の修理の依頼を受けた作業員のように手早く告げた。蜘蛛のことをおもんぱかるなら、たしかに不要な時間はかけない方がいいだろう。

 

 二人が見守る中、キッパータックと空飛ぶ座布団大の絨毯は、いくつかある滝の中で、一番太い中心の滝へ接近していき、そこから今度は真上にゆっくりと昇っていった。

 サラが言った。「東アジアに生息する蜘蛛特有の能力なんでしょうか」

 ピッポが答える。「違うよ。あの蜘蛛たちは大道芸人から訓練を受けた蜘蛛――の、意志を受け継ぐものたちだよ。ダニエル・ベラスケスって知らない? 日本のテレビにも出たことあるんじゃないかな。彼ら家族は蜘蛛たちをお金の姿に変えて、つまり通貨偽造を行ってしまい、有名な芸人から有名な罪人に取って代わってしまったんだよ。そのときの蜘蛛はほとんど死んじゃったらしいけど、警察が彼らが飼ってる残りの蜘蛛を没収して調べても、どうやったら札束に変身するのかが解明できず、蜘蛛は害なしってことでベラスケス氏に返還されて、そのベラスケス氏に清掃の技を教わろうと弟子入りしたキッパー君が次なる蜘蛛の飼い主となったわけだ」

「ベラスケスさんは清掃業も営んでいらっしゃったんですか?」

「いや、問題となった蜘蛛の札束事件の主犯はベラスケス氏の娘さんで、家族はそこまで罪が重くなかったんだ。罪滅ぼしのために清掃活動をはじめたらしいんだけど、やっぱり器用なご家族なのか、すごい技術を持っていたそうで、キッパー君はそれにれ込んじゃったんだな」

「蜘蛛を飼うまでにはそんなドラマが……。そうですよね、蜘蛛をペットにしている方なんて、そうたくさんはいないですよね。でもその大道芸人さん、あんな小さな蜘蛛にどうやって変身の技を叩き込んだのか。あの蜘蛛たちには人間の言葉がわかり、心が読めるんだと考えてもいいです。だとしても、『ほら、絨毯じゅうたんになりな』って言ってそう簡単になれるもんじゃないと思うわ。一種の『擬態ぎたい』のようなものだと思うんですけど、特に身の危険を感じているわけでもない生き物が共同で、日常的に、あそこまで変わるというのも」

「神の偉業か悪魔の所業か、はたまた忍術か――。胸躍る興行こうぎょうだよね」


 花壇の縁に仲良く並んだ二本の空きびん。二人は話に熱中して、滝の調査に出かけたキッパータックをもはや見てはいなかった。

 サラは言った。「私、ミイラ男さん――いえ、ピッポさんと、こんなふうにお話しできて、本当に感激しています。ずっと、あなたとゆっくりお話しできたらいいだろうなあって思っていたんです」

「僕のようなモンスターに? そいつはうれしい。ありがたいな」

「あなたはモンスターなんかじゃありません!」サラはピッポの手を強く握った。

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