悩める大庭主たち(3) ──庭園を嫌いな人っている?

「ひどい目に遭われたんですね。おケガは?」

「特に」キッパータックは自分の体を触ってたしかめた。「岩手黔いわてぐろさんがシャワーを貸してくださり……助かりました」

 キッパータックの視線を感じて、サラはサングラスの脇にそっと手を当てた。

「サングラスをかけたままで大変失礼します。私、目が少し弱いものですから、ほとんど丸一日かけっ放しなんです」

「僕は別に構わないよ」

 キッパータックが大庭主だと知ると、サラの興味はふくらみはじめたようだった。

「ぜひとも伺いたいですわ。大学もちょうど夏休みだし。全部の大庭だいていをひと夏で巡るのは難しいでしょうけど、天馬ペガサス地区ならそう遠くないですしね」

「でも、なにもないところなんだ」キッパータックは頭を掻いた。

「重曹か漂白剤を飲まされて砂の下に埋められると思う。絶対行かない方がいい」とレイノルドが言った。

「私、サークルのみんなと第五番大庭には何度か行ったのですが」サラはレイノルドを見た。「こんなユニークなカラスがいたなんて知りませんでした。ミイラ男さんは孤独な伊達男だておとこって感じで、ペットを飼ってる風には見えなかったですし」

「こっちも飼われた憶えはねーし。おれの方が先に住んでたし」レイノルドはぺちゃぺちゃ水を飲んだ。

「ピッポ君のこと?」とキッパータックは訊いた。

 ええ、とうなずくサラ。「大庭主って、最初はお年寄りばかりがやっているものって思ってたんですけど、あなたや彼みたいな若い方もいらっしゃるんですね。特にミイラさんはユーモアセンスが抜群で、素敵な方。サークルの女性陣はみんな、包帯の下はとんでもない美男子なんじゃないかって噂してます。でも、ゴビ砂漠に埋められてしまって、砂火傷と月焼けを起こしてゾンビみたいになっちゃったとか、人皮じんぴランプ職人の魔女に皮膚を渡した代わりに極秘レシピを手に入れたとか、毎回ユニークなお話を聞かせてくれる――いわゆるロマンチストって言うんですかね? 人の心を掴むことに関しては彼、天才だと思います。私、ここの大庭も、ミイラ男さんみたいな人だったらうまく管理していくんじゃないかなってずっと思っておりまして。こんな、自殺の名所とか、穹沙きゅうさ市のゴミステーションとか言われるような場所、笑い飛ばしてやらなきゃどうしようもないと思います。深刻になってどうするんです? 大庭は平和の象徴とうたわれているのに──」

 サラは両手を広げて天井を見やった。

「だから」と、キッチンから岩手黔が発した。「ここをお化け屋敷にしてコメディーリリーフに変貌させようって腹積もりなのか?」

「そんなこと一言も言ってないわ。ミイラ男さんはお化けじゃないし。彼ならここをどういうふうに扱うか、意見を聞いてみたいって思ってるだけ――」

 と突然、サラは激しく椅子を引くと、壁に向かって走った。

「お父さん、これなによ!」サラは壁にかかった絵の額を掴んでいた。

「福岡君の絵じゃないか。知ってるだろ」

「そうじゃなくて、なぜ私が描かれてるのかって訊いてるの」

 岩手黔は娘の背中と、握られた絵の隅に描かれているサングラスの女を凝視ぎょうしした。

「なぜって、わからん……。わかることと言えば、用もないのに庭をうろついてるやつがいて、たまたま画家の目に留まり、絵の中に閉じ込められてしまったということだ。そんなに不満か? 結構かわいく描いてもらった方だろ。なんだったら売ってやってもいいぞ?」

 サラは壁からむしり取った。「いくらの価値があるってのよ。彼はプロじゃないでしょう。こんなところの風景、わざわざ描きに来なくても――」

「おい、そろそろ帰ろうぜ」レイノルドがキッパータックに言った。「これ以上待ったところでコロッケの皮が出てくることもなければ親子の殴り合いを見られるわけでもなさそうだからな。それにおまえ、庭をおっぽったままだったろ?」

「そうだった……」


 キッパータックがそろそろ帰りますと告げると、サラが車で来ているので家まで送っていくと言ってくれた。ついでにキッパータックの庭を見ていきたいと言う。

 レイノルドは飛んで帰ると言って、さっさと空へ飛び上がっていった。二人はサラの愛車──マルーン色の軽自動車に乗り込んだ。彼女は半人半馬ケンタウロス地区の住民らしく、通っているのは鳳凰ほうおう大学だった。人文学が専攻らしい。

「庭園が好きなの?」とキッパータックは訊いた。

「父に対する反抗の意味も込めて」サラのオレンジ色の唇がいとけない笑みを作る。「中学生のときから別れて暮らしてたから、ろくに反抗期を味わわせてやれなかったですからね。父に会う口実を設けようとしたのではないですよ? つまり……サークル仲間がうちの父の大庭を嘲笑ちょうしょうしないよう牽制けんせいしつつ、わがままな父には自分を批判する人間の存在を知って生活を顧みる心のゆとりを持ってもらい、最終的には『人間にとって、庭園とはなにか――』という人文学的考察ができれば学校生活の役にも立つだろうと。まあ、二重三重にこの趣味に打ち込まなければならない理由が私にはあったわけですが、好きかって尋ねられたら、庭園を嫌いな人なんていないんじゃないですかね。平和を嫌いって言うのが難しいくらいに」

「……」

 サラはキッパータックの横顔を見た。「私、大庭主になれると思いますか?」

「え?」キッパータックは驚いた。

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