悩める大庭主たち(2) ──サラ

 岩手黔いわてぐろの家は木造の山小屋風で、大きな三角の青い屋根、ぐるりと取り囲むベランダが特徴的で、不穏ふおんな空気をかもす庭の中にあって唯一ほっと落ち着けるような雰囲気だった。

 キッパータックはシャワーを借りて、顔や手足の泥を落とした。それからテーブルに着くと、岩手黔がグラスにレモン水を入れて出してくれた。テーブルにはレイノルドもいた。彼のところにも器に注がれた水が供された。

「そういや、サラのやつがまだ外をうろついてるんだった」戸口の方へ視線をやって、岩手黔は少し顔をしかめた。「大学生の娘が来てるんです。まったく、あんな樹海のなにがおもしろいんだか。まだタムの仲間がいるかもしれない。いい理由ができたな。しばらくはここへ来るなと言ってやれる」

「一緒に住んではいないんですか?」とキッパータックは訊いた。

「私は独り暮らしでね」今度はコーヒーを沸かしながら答える岩手黔。「妻とは離婚しまして。娘も妻と一緒に日本で暮らしていたんですけど、なにを思ったか、急にこっちの大学に通いはじめて。しかも大庭だいてい愛好会とかいうサークル活動にのぼせ上がりやがって。よりにもよって〝大庭〟ときた。父親が大庭主だいていしゅだからちょうどいいと思ったのかもしれないが、今では観光局の職員並みの口出しをやる始末です。……こっちは人気取りでやってるんじゃないんだ。自然保護のために、こんな薄気味悪い庭でも辛抱して管理してる。子どもの遊びになんて、つき合っちゃられないですよ」


 湯気立つコーヒーのカップとドーナツがキッパータックとレイノルドの前に運ばれた。「ドーナツ! ドーナツ!」とレイノルドは翼を輪のように広げて喜んだ。

 しかし打って変わって厳しい口調となると、自分の分のドーナツをフォークで細かく刻んでくれるまではキッパータックにいこいの時間を許さなかった。キッパータックはせっせとドーナツを一口大に切り分けた。

「キッパーさんちの庭は何風ですか?」長い指を組んで、それにあごを乗せ、岩手黔は特に深い興味があるというわけでもなさそうに訊いた。

「日本庭園みたいなんですが、砂の滝があるだけです。ほかは特にめずらしいものはなにも……。前の大庭主もそこまでお客さん集めに熱心じゃなかったようです。僕は清掃業をやってるんで、道具を入れられるように大きな倉庫を建てたり、木の手入れをしてくれてた庭師の人も勝手に断ったりしちゃったんで、観光局の人に怒られました。担当者も何人も変わって、砂の滝のことを『流沙りゅうさ』と呼ばなきゃだめだとか、滝の下の砂場に穴を掘って大蛇だいじゃを飼いましょうとか言った人もいたし、茶室を作ろうとか藤棚を設けようとか、アイディアは色々……」

「アイディアが出る余地があるならまだいいですよ。ここにはそんなものはない。からっきしだ。背の高いフェンスや鉄条網、防犯や安全確保のためにほとんど消えてなくなる補助金。しっかし、この規模でしょう? いくらやったって追いつかないし、見回りも大変だから誰か雇いたいんだけど、そんな余裕もない。観光客からの収益も期待できない。怖くて誰も近寄らないだろうなんて言うけど、ゴミやらペットやらを置き去りにするやつらはちゃっかりいるんだからな。まったく、割に合わない仕事を引き受けてしまったって思ってますよ。そもそもここは庭園じゃないでしょう。観光局の職員が来る理由がわからない――」

「お客さん相手になに愚痴ぐちってるわけ?」

 黒いワンピースの女が戸口に立っていた。肩までの髪は真っ黒で直毛。顔に不釣り合いな大きめのサングラス。ネックレスの赤いチャームと、小さな唇を縁取るオレンジの口紅に合わせたような同色のラインが入った真っ白なシューズが目立っていた。けっして派手な方ではない。が、個性が立っているというか、おそらくは人目を引くタイプであろう。

 振り返って娘を確認した岩手黔が無言で顔を戻すと、その娘・サラはそそくさとテーブルに進んできた。ドーナツの欠片をまき散らしている謎のカラスをしばし観察してから、彼女はキッパータックと面を合わせた。

「こんにちは」

「こんにちは……」

 サラはテーブルに白い手をそっと添え、「今日はどのような理由で、こちらの大庭を見学しようと思われたのですか?」と質問した。

「ハエトリグモしか友人がいない我が人生をうれいて――」とレイノルドが代弁を気取って、キッパータックのドーナツをすかさず奪いはじめた。「残りはおれが食っといてやるから、おまえはもう樹海に出発していいぞ」

「なに、このカラス――しゃべるの?」サラはレイノルドの体を指でつついた。

「父親が見てる前で男に手ェ出すんじゃねーよ。れっ枯らしが!」

「このカラスはちょっと口が悪くて」キッパータックは慌ててレイノルドの顔を手で覆った。「気にしないでください」

「この人たちは観光じゃないよ」と岩手黔が言った。「そうだった、新しい注意事項が増えた。タム・ゼブラスソーンの一味がここを訪れたらしい。この方とカラス君はやつらに襲われて不帰ふきの山に放りだされたんだ。おまえももう、しばらくはここに来ない方がいい。同じ目に遭いたくなければね」

「どちらかというと、」とサラは言った。「お父さんの方が危ないと思うけど。あいつらは庭荒らしでしょう? 大庭主以外が被害に遭ったって聞いたことないわ」

「おれは庭主じゃないのに被害に遭ってんだよ」レイノルドがわめいた。

「そういうことだ」岩手黔は立ち上がって食器を片づけはじめた。「泥棒がそんな取り決めをいちいちしていると思うか? あいつらにとっちゃ、こういう場所は格好の遊び場だろう。忌々いまいましいやつらだ。大の大人が集まってちまちま庭にいたずらして喜んでやがる」

「父が無愛想ですみません」サラは岩手黔が退去した席に座り、キッパータックと向き合った。

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