キッパータック、疑われる(3)──蜘蛛の実験結果

 朝食の後、庭で採れたハーブ入りのお茶で一日のすべりだしの可否かひをゆったり定めていた樹伸きのぶと、彼のウォッチ型電話かられでてくるわめき声のぬし・キッパータックとでは状況にあまりにもへだたりがありすぎて、とても同じ市内にいる大庭主だいていしゅ同士とは思えなかった。一方は国選ホストで間違いない。だがもう一方は貨幣偽造予備の罪人であると自ら訴えていた。

「僕はきっと捕まってしまいます」もう十五分くらい同じことを話しているキッパータックだった。「蜘蛛のお金を財布に入れてしまっている時点でアウトなんですよ。僕が望んでいなくてもです。命令しなくても蜘蛛はお金になってしまうし。きっと、それがばれたら、蜘蛛は警察が飼うことになるでしょう。危険だからって、一匹残らず殺してしまうかもしれない」

「ううむ……、殺したりするだろうかね」

「清掃業をはじめたばかりのときも、汚れだと思って一生懸命に磨いたら、それが蜘蛛だったってこともありました。これだって詐欺罪だ。汚れを偽装ぎそうしたんだ、僕は」

「あわわわ……」

 キッパータックが罪科ざいかを次々増やしそうだったので、樹伸は慌てて語をいだ。「ねえ、君。蜘蛛がそういう姿になるのは、その、習性みたいなもんだろ。ええ? だから私が言ったように、蜘蛛に二度とお金の姿にはなるなときつく言っておけばよかったんだよ。……言葉が本当に通じるっていうんだったらね。毒を持っているわけでもない、あの蜘蛛たちは人畜無害だ。人間想いの、よく言うことを聞く素直な生き物だ。君だって至って真面目な好青年だと、私は思ってる。それくらい警察ならわかるだろ。それに、いくら警察でも、君のペットだってわかっているものを勝手に殺すなんてできるはずがない」

「そうでしょうか……」

 キッパータック家のカウンターからは壺が一つ消えていた。それが、二本松の手に渡したものだ。飼い主自身も蜘蛛の全頭数ぜんとうすうを知り得ていないのだったが、その中には十分な数が暮らしていたはずだ。石像の再現は無理でも札束くらいにはなれそうな数が。

 蜘蛛の無事の帰宅を切に願って、二十日が過ぎた。すでに一緒に預けてあったペースト状の餌とまったく同じものを持って穹沙きゅうさ署の窓口へ行った。しかし、電話をしても訪ねていっても「蜘蛛は大丈夫です」というそっけない返事をもらうだけ。キッパータックは我慢の限界を迎えていた。水槽の中に作った運動場と同じく蜘蛛たちが常時駆け回っている彼の頭の中では、悲劇を描く準備ができあがり、断固上映中止となり、なのにまた不幸にもチケットが配られ幕が垂れ下がるということが何度もくり返された。


 二本松からやっと連絡がきた。キッパータックは愛用のバッグをくしゃくしゃに握りしめ、穹沙署の待合室に座った。事務員らしき者がキッパータックに冷たい麦茶を出した。そこに二本松がやってきて、茶色の壺をテーブルに置いた。

「いや、キッパータックさん、ありがとうございました。大変に興味深い蜘蛛だったと、担当した大学の検査員たちが言っておりました」

 キッパータックは壺に手を入れて、愛しい我が子の感触を探した。「あの、もう……大丈夫なんでしょうか。僕も、蜘蛛も、警察の方に疑われるようなことは……」

「ええ。今回は、あなたの蜘蛛の生態を少し調べさせて頂いただけですからね。あと、これは申し上げておいた方がいいと思いますが、調査を頼んだ、うちと提携している大学の研究室の実験がちょっと過剰だったというか、蜘蛛たちには過酷であったかもしれませんな。早くあなたの下へお返ししたいと、日にちに余裕がない実験になってしまったこともいけなかったのでしょうが、だんだんと、なににも変身しなくなってしまいましてね。動きもにぶくなって――」

 キッパータックは壺の中を掘り返していた。指に引っかかった数匹は、外見上は特に変わりなく、じっとしていた。

「い、い、一体、どういう実験をしたんですか? 僕は蜘蛛がお金になるところを見るだけだと思ってました。刑事さんはそうおっしゃった。それを目で確認するだけだって」

 二本松はうなずくと両てのひらを憤慨ふんがいの一歩手前にいる青年へ向けた。「実験の内容と結果はこちらで厳重に保管するところですが、あなたにはお話ししてもいいでしょう。いや、するべきか。担当検査員から聞いた話をお伝えします。

 まず、あなたが飼われているアダンソンハエトリは、その他の同種とは若干違っていることがわかりました。色が特にね。擬態ぎたいのように、周囲の色に似せるようですが、変身するときがもっとも顕著に変わります。その変身も、なんの前触れもなく鍵やらペンやらになってしまうので驚いたらしいのですが、どうも、身近にいる人間に関連する物質に変身することが多いようです。これはもう、心を読んでいるとしか思えません。それとも、人間というのは、その思念が電気のように外へれでてしまうものなのでしょうか。敏感な動物は――イルカや犬みたいに――感じてしまうものなんですかねえ。私は無学ですから、その辺はわかりませんが……。検査員が、休憩中目薬を差そうとしたら、小物入れに同じ目薬が二つあって、どっちが蜘蛛かは触るまでまったくわからなかったそうです。感触の再現までは難しいようですな。

 それから、例のお金ですね。『金になれ』と命令してみたら、ほとんどの場合、よく使いこまれた感じの千円札や一万円札になりました。持ったときにちょっと重いな、分厚いかな、というくらいで、色といい、しわといい、遠目にはそっくりなんで、皆驚いておりましたよ、ええ。しかし、札束の姿にはなりませんでした。なぜでしょうね。いやはや。

 その他の実験も、ついでなんでやらせていただきました。変身したものの耐久性というかね、あんまりそっくりだったら、本物との違いというか、見極める方法とか、知っておいた方がいいでしょう? 水、火、風、光など物理的な刺激には弱いことがわかりました。水にけたら、二、三分でばらばらになりましたね。ドライヤーの熱風には結構耐えていましたが、火を近づけると何匹か逃げました。風もだめでしたね。扇風機の風は大丈夫そうに見えたんですが、集中して当て続けると、全員で固まって安全な場所へ逃げようとしました。光もね、一般的によく使われる種類のライトを使ってみました。あんまり明るいワット数になると、何匹かが驚いて、何匹かは変身は崩さなかったものの、色が変わってしまいました。それから温度。涼しい方が好きみたいですね。ですが、マイナス10℃以下は動かなくなりました。

 ほんとに、すごい芸を持った生き物だ。ベラスケスさんは一体どうやって技を教えたのでしょう。ほかの蜘蛛も人間がしつけたらあのように変身できるようになるんですかね? 不思議でたまらないと、皆、口をそろえて言っておりましたよ。奇跡の生き物と言っていいかもしれない。今後も、また機会がありましたらぜひ拝見させてください。本当にありがとうございました。蜘蛛たちのこと、ゆっくり休ませてやってください。では、もうお帰り頂いて結構ですよ――」


 樹伸の今度のおしゃべりの相手は南譲羽ゆずりはだった。樹伸はハーブ園そばの四阿あずまやで涼んでいたところで、水筒のお茶を飲みながらウォッチ型電話を顔へ傾けた。

「キッパータック君の蜘蛛は警察から無事戻ってきたんじゃなかったっけ?」

「それが無事でもないらしいんですよ」と譲羽の声。「キッパーさんもね。あれから、蜘蛛がまったくなににも変身しなくなっちゃったらしくて。警察でいろいろ妙な実験をされたのが原因じゃないかって。で、彼、すっかり〝傷心〟って感じ。私、ケーキを焼いて待ってたのに、清掃の仕事もキャンセルされちゃいました。声も、三日寝てないか食べてないかってくらいに暗くてか細くって。……ですから若取さん、彼を励ましてやってくださいよ。飼い主がそんなだったら、蜘蛛だって元気を取り戻せないでしょう? ケーキでも取り戻せない元気って、私には手に余る問題だわ。お手上げです」

「そうだねえ、」樹伸はタオルで汗をぬぐった。「困った男だね、蜘蛛にぞっこんで。君たちのような美女に心配してもらえる以上の薬なんてないだろうが。わかったよ。私も彼の様子を見にいってみよう」

 譲羽の言ったとおり、キッパータックは家に閉じこもっているらしく、インターフォンを鳴らしても出てこなかった。樹伸は自宅の庭で摘んで持ってきていた花を庭の案内板の真下へ置くと、ウォッチ型電話を使ってメールを送ることにした。


  キーパー沢君元気になったら連絡ください

  雲も早く元気になるといいな

  木信より


 音声入力が行った漢字変換にまゆをひそめたが、樹伸は構わず送信した。




第3話「キッパータック、疑われる」終わり



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