キッパータック、疑われる(2)──二本松の訪問

 それから幾日か過ぎたある夜のこと。キッパータックは帰宅すると急いでシャワーを浴び、いつもと同じ缶詰とバゲットの夕食をいつもよりすばやく胃に送って、コーヒーをれ、客間でひたすら待っていた。彼の行動はこの家に客が来ることを表していた。珍しいことと言っていい。しかも相手は、五十嵐邸で会った二本松にほんまつ巡査長だった。


 約束の八時を五分ほど過ぎて、二本松はやってきた。外では虫たちが大合奏中で、二人の男の不器量な間を埋めるのに少しは役立ってくれた。

「なかなかきれいな滝ですね」来客スペースのテーブルに着くと、キッパータックが運んできたコーヒーに軽く会釈して二本松は言った。「砂の滝なんてどうだろうと思っていましたが……しかも、あれだけ光っていれば外灯もいらない。発光する砂なんて幻想的ですよね。見ているだけで暑さが吹き飛びました。やはり、見物客は多いんで?」

「いえ」キッパータックは首を振った。「今月は一人だけ。もっと大庭主だいていしゅの仕事に打ち込めたらいいのかもしれませんが、昼間は清掃の仕事で忙しいものですから、お客さんの相手があまりできなくて」

「ふぅん、そうですか……」二本松は首を伸ばして長い壁に視線をすべらせていった。カウンターの水槽と壺のあたりで数秒止まる。「清掃のお仕事ね。大庭主っていうのは芸術家やら料理人やら、自由業、水商売の方が多いと思っていました。あなたのような一般的な職をお持ちの方もいらっしゃるんですねえ」

「あの、」キッパータックはそわそわしだした。「刑事さんが僕になんのご用なんでしょうか」

 二本松は脇にどけていたショルダーバッグから包みを取りだし、そこからまた折りたたまれたガーゼを取りだすと、テーブルの上で開いた。小さな黒い点。キッパータックの家族の亡骸なきがらだった。からからに干からびて生命の重みをなくしたそれは、極細ごくぼその繊維にひっかかり、ひょいと持ちあげられ、すぼめた脚を宙に向けている。

「ええっと……この蜘蛛くも死骸しがいは、そう、アダンソンハエトリ――。そういう名前だったですね。こないだの五十嵐さん宅の捜査で、破壊された台座の周りにね、落ちていたものです。たしか、あなたが発案者と伺いました、キッパータックさん。あなたが飼っている蜘蛛ですね? 私たちは蜘蛛をいっぱい集めて、それで石像そっくりに仕上げるなんて、とてもとても考えられなかったんですが――」

 キッパータックは腰を浮かせて一応は確認した。「どこにでもいる種類の蜘蛛だと思います。でも、台座の近くに落ちていたなら、僕の蜘蛛かもしれません。浅はかでした。あのときはごまかせると思ってしまったんです。かえって五十嵐さんには二重のショックを与えてしまったかもしれません」

 驚きのせいでそうなったというようにくっした指を宙にあげて、刑事は水槽を指した。「あそこで飼ってる蜘蛛ですか? 本当に蜘蛛が石像になれるもんなんですか。石像以外にもなれると?」

「蜘蛛はなにも悪いことはしていません」キッパータックはわずかに震えながら言った。「タム・ゼブラスソーンの事件となんの関係があるんですか?」

「いやいや、タムの事件とはまったくの別件ですよ」二本松は笑った。「捜査員から蜘蛛のことを聞いて、以前、似たような話を聞いたことがあったと思いだしましてですね。中央都で、大道芸人の娘が起こした大金のすり替え事件ですよ。ご存じですか? あのとき、大金の偽造――いや、成りすましを、蜘蛛がやっていたという前代未聞の突拍子もない話。その蜘蛛、あなたが飼っているのと同じアダンソンハエトリだったんです。それで、我々大変興味を持ったというわけでして。この前あなたと直接お会いした私が、ちょっと話を聞いてこいってことになったんですよ」

「ダニエル・ベラスケスさんは僕の清掃の師匠です。蜘蛛も、もう自分たちには飼う資格がないといって、僕が引き取りました」

 二本松の目に光がてんじた。「では、あなたの蜘蛛があのベラスケス事件の蜘蛛! ということは、金にも姿を変えられるってことですね?」

 キッパータックは頭をブンブンと振った。胸が詰まる思いだった。「あの事件に関わった蜘蛛はほとんど死んでしまったんですよ。同じ蜘蛛ではありません。それに、僕は蜘蛛を譲り受けてから、一度だって蜘蛛のお金を使ったことはないし、悪いことはなにもしていない。このような尋問じんもんを受ける理由は――」

「まあまあ、落ち着いてください、キッパータックさん」二本松は声をやわらげた。「我々だって、ここ最近、ベラスケス事件に似たようなものはまるで起こっていないことは知っています。それと……これは、大変失礼にあたるかもしれませんが、あなたの身辺を調査させていただきました。あなたはたしかに真面目で善良な清掃業者で大庭主だ。あなたがこの一週間に使った金も――食料品店で缶詰や飲み物を購入されましたね?――ちゃんと本物の紙幣・硬貨でした。なにも疑ってはいませんですよ」

「僕、マークされてたんですか! 一般人なのに」

「犯罪に使われたのと同じ蜘蛛を飼ってらっしゃったら、仕方ないかと……」

「で、疑いは晴れたんですよね?」

「ただ、蜘蛛への興味は尽きない」二本松が再び刑事であることを刻印されたようなけわしい顔つきに戻った。「うちの上司が、あなたの蜘蛛を調べてみたいと申しております。で、キッパータックさんに、よろしければ協力をあおぎたいと。あなたの大事なペットです、気が進まないかもしれませんが、何匹か、お借りできないものでしょうかねえ」

「蜘蛛を、どうする気ですか?」

「この目でたしかめたい、だけです」強調せずとも常に主張している目を指して。「蜘蛛が金に成りすましたときに、どれだけそっくりなもんか、とか、いろいろ調べておきたい。今後、絶対に犯罪に使われることはないとは言えないでしょう? あなたが使わなくとも、別の人が、ね。例の庭荒らし――やつの手に蜘蛛が渡ってしまったら事だ。金は偽造しただけで使わなくとも犯罪なんですよ。それが蜘蛛を使えば容易にできるとなるとね、警察も無知のままではいられない。ご協力、いただけますよね?」

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