第3話 キッパータック、疑われる(1)

 樹伸きのぶ、ピッポ、みなみ姉妹が五十嵐邸に来ていた。もちろんキッパータックもだ。庭には数名、東味亜ひがしみあ警察・穹沙きゅうさ署の捜査員の姿もあった。

 リビングにて、麦緒むぎおが言った。「皆さんが来てくださって本当に助かります。刑事さんたちの姿を見ていたら、頭がくらくらしますもの。私ったら、今月何回卒倒そっとうすればいいのかしら」

 愛する我が子の力作を見ず知らずの節足動物が模倣もほうしたことは不問ふもんした麦緒だったが、気絶の種はなくなってはいない。悪夢をくれた泥棒、庭荒らしのタム・ゼブラスソーンはいまだ自由の身なのだから。

「お気持ちわかります」麦緒と共に窓の外を見ていた楓子かえでこが言った。「わたくしも、自分の家の庭に警察が来ることなんて考えたくないもの。ましてやあんな下品な泥棒に美しい庭の土を踏まれるなんて──」

 麦緒は客人が占めるソファーにコーヒーを運んできた。姉妹の手作りケーキとクッキーもテーブルに並べられた。六人は飲み食いしたが、お茶の時間に似合いの平和な空気はどこにもなかった。

 少時しょうじ、皆で重い沈黙を味わってからピッポが口を切った。「あの庭荒らしの存在が最初に世に流れでたのは五年前。実行された数々の卑劣ひれつな犯行。なのに、やつはいまだにばくされていない。どうしてだか、わかりますか?」

「たしかに逃げ足は速かったけど」と譲羽ゆずりは

「僕はあれからコンピューターを使っていろいろ調べてみたんですよ。そしたら、驚くことがわかりました。彼が狙うのは大庭主だいていしゅであるってだけじゃない、その獲物にもある特徴があったんです。五年前、穹沙市での最初の犯行――半人半馬ケンタウロス地区の閑静な住宅街で、娘さんの誕生日ケーキを抱えて車に戻ろうとしていた獅子女スフィンクス地区の大庭主、磯山いそやま太郎彦たろうひこさんに声をかけ、そのケーキを奪いました。磯山さんは、お金を渡すからケーキだけはやめてくれと懇願こんがんしたらしいのですが、タムはがんとして譲らず、死神が命にしか興味がないように、彼の目的はあくまでケーキだった――腕力でもって、奪い去ったんです」

「信じらんない」譲羽が怒りをあらわにした。「誕生日ケーキを盗むなんて、恥知らずだわ。誕生日に起こっていい出来事ではないわ!」

「これを見てください」ピッポがテーブルにノートを広げた。「僕が調べて書いたものです。ここ最近のタムの犯行です」



   ・二〇**年一月二十九日

    被害者  大河内おおこうち 清綱きよつな朱雀すざく地区・大庭主)

    被害品  出版社から贈られた花束、日本酒(計二万円相当)


   ・二〇**年二月十一日 午後三時

    被害者  マオ 詳文シァンウェン青竜せいりゅう地区・大庭主)

    被害品  龍の茶玩ちゃがん(三千円相当)、ジャスミン・ティーの茶葉(贈答用・五千円相当)


   ・二〇**年四月五日 未明

    被害者  根岸 プリン(鳳凰ほうおう地区・大庭主)

    被害品  ペットのコーギーのおやつ半年分(三万円相当)、中庭のイルカ型の 石(金額不明)


   ・二〇**年四月二十日 午前十一時

    被害者  城戸きど はるか(鳳凰地区・大庭主)

    被害品  サイン入りアコースティック・ギター(ギターは二万円相当・サイン の価値は不明)


   ・二〇**年五月七日

    被害者  ジョージ 西村(玄武げんぶ地区・大庭主)

    被害品  バーベキューの食材(八千円相当)、ハンモック(金額不明)



「なんだ、随分細々こまごまとしたものを盗んでるな」

 樹伸の感想に我が意を得たりとピッポは身を乗りだす。「そうでしょう? 磯山さんのケーキをはじめ、この盗まれた物たちに経済的価値がはたしてどれだけあるでしょうか――もちろん、今回の『タオルを巻いた少女』は五十嵐匠里しょうりさんという名の知れた芸術家の作品であるわけですから、けっして『細々とした』物ではないのですが、警察がやつのしっぽをつかめないのは、これら盗品が財貨に変換されることがない、という理由が大きいんだと思うのです。いわゆる〝足がつく〟っていうことが起こらない。被害額の少なさも、熟練の捜査員のやる気に響かないところがあるのかもしれません。東味亜中で起こっているその他の喫緊きっきんの事件と比べたら……なにをおいてもこいつを捕まえてやろうって気にはならないでしょうね」

「困るわ。次は私たちが狙われるかもしれないのに」楓子があおざめた。

「嫌がらせなんでしょう」と麦緒。「タム・ゼブラスソーンは、あの男は、精神がねじ曲がっていて、大庭主制度が憎たらしいんでしょう。美しいものに泥を塗り、幸福に向かって舌を出す、といったタイプの人間ね、きっと」


「奥さん」と玄関口で、しわがれた中年男の声がした。「おじゃましますよ」

 のっそりと登場したのは穹沙署の巡査長、二本松にほんまつ亨治きょうじだった。場の空気を読むように大きな目をぎょろつかせてから、六人が顔を寄せているそばまで来ると言った。

「パーティーに参加されてた大庭主さんたちですね? タムのやつが、次はどこの大庭に姿を現すかと思えば、気が気でないでしょうな」

「警察が全然捕まえてくださらないんだもの、そりゃそういうふうになりますよね?」と譲羽がはっきり言った。

 二本松は苦笑も恐縮もせずに、まくっていたシャツの袖口をいじりながら言った。「そうですね、皆さんにそう言われても仕方ない。今回もタムのやつは、目立つ格好をし、大勢子分を引き連れて、しかも皆さんの面前に顔までさらしている。私たちは毎回、おおいに振り回されております。ばかにされ続けていると言ってもいい。あのいたずら小僧はそろそろらしめてやらにゃいかんと思っているんですがね」

 セリフ終わりに中年刑事は握りこぶしを固めて本気度を表現したつもりらしかったが、六人には心躍るポーズとは言えなかった。

 ピッポが言った。「どうやって懲らしめるおつもりで? 僕たちがやつに抱いているイメージはこうです。タムは凶悪犯じゃない、凶悪な愉快犯だ。大庭主ばかり狙って、ケーキやキャラメルや子どもが描いた絵や故人の思い出の品みたいな心の宝石を奪い去っていく、世間一般には経済観念ゼロの幼稚な泥棒です。ああ、捕まったら、縄で縛られて土踏まずをコチョコチョってくすぐられるんでしょうかね?」

「住居侵入、器物損壊……ちゃんとつぐなわせますよ」二本松はピッポをじっと見た。「ところであなた、そんなに包帯をされて、けがでもなさったんで?」

「僕は透明人間なんです」ピッポは平然と答えた。「包帯は僕にとっちゃボディースーツですよ、刑事さん。なにか身に付けておかないと、みんなが僕のこと探し回っちゃいますからねえ。ははは。僕は犯罪者じゃなく人気者ですから、見えた方がいいに決まってます」

「信じていいのかな?」二本松は首をひねって、残りの大庭主たちに訊くともなく訊いた。「……とにかく、皆さん。タムは庭荒らし専門で、特にこの穹沙市がお気に入りのようだ。やつの根城ねじろも穹沙市にあると我々はにらんでいます。今のところ庭観光の一般客には被害がないということで助かっていますが、あなたたち大庭主はそうではないですね? しばらくは不要の外出は控えて、やつを刺激するような大々的なイベント等も行わないようにしてください。あれの気に入らないのは、あなた方の余裕のある優雅な生活ですよ。それを踏みにじるのがあの男の趣味なんです」

 言い終わると、二本松巡査長は麦緒に簡単な挨拶を述べ去っていった。ほかの捜査員たちもパーティーの直後に一度調べてはいたので、数分後にはすっかり引き揚げていった。それで大きな掃きだし窓に映る庭は、まるで人影まで盗まれたという感じに静まった。

「警察が捕まえられないでいる泥棒のために私たちに生活を変えろって?」譲羽があごに手をつき、ふくれて言った。「つまんない! 大庭主の生活はそうそう休止できるもんじゃないわ。お客さんだって大勢来るのに。あのギョロ目の刑事、ケーキを焼いちゃいけないとは言ってなかったわよね?」

「僕にしても、レードルを持つ手を休ませるつもりはありませんよ」包帯の奥の目でくうを睨むようにしてピッポも言った。「僕んちの庭は皆さんたちのと違って華があるわけじゃないですから、いまだタムを招かずに済んでいますけれども、たとえスープの鍋をひっくり返されようともくっしはしませんよ」

「でも皆さん、本当に気をつけて」麦緒が静かに、念を押すように言った。「物を破壊したり強引に奪っていく以上、けがをしないとも限らないんですから。……若取わかとりさん、キッパータックさんも」

「はい」上体を曲げ、底が見えているコーヒーカップをやるせなくのぞいていたキッパータックは、麦緒の顔をちらと見上げた後、考えた。自分の庭も泥棒が狙うにしては地味すぎる方だ。絶えず流れ落ちる砂も持ち去られたとしても問題はないだろう。が、もし、蜘蛛たちが盗まれてしまったら? 悪用されることは間違いなさそうだった。

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