盗まれた像(2)
「一、二、三、四、五……ほんとだ、脚が十本あるぞ!」
「しかも見たことない蜘蛛だ。おい、今動いたよな?」
蜘蛛たちはごそごそと十本ある脚を上下させ、主人のてのひらの上で体の向きを変えた。
「生きてるのか! どこから持ってきたんだ、それ」
「新種の蜘蛛じゃないか?」
「いや、精巧に作られたおもちゃかもしれない。ちょっと貸してくれないか?」
「だ、だめです!」キッパータックは握りしめるとポケットに返した。「やっぱりこういうことはやっちゃいけないんだ。人をだまして楽しむなんて――」
うつむいて苦悶に震えるキッパータックを見て、観衆は今日一番の衝撃を受けた。
「おいおい、ただの手品だろ? そんなに深刻になるなよ。だまされてこそ本望を遂げられるんじゃないか」
「そうだよ、キッパータック君。君の手品はなかなかおもしろかったぞ」
「ああ、どうやって取りだしたのかは知らないけど、たいしたもんだ」
一同から拍手が起こった。キッパータックは恥ずかしさやら申し訳なさやらいろいろな感情で集まってくれた人たちを眺めたが、最終的には照れ笑いとなった。
緊張のステージから解放された若者の背を
「そんな、有名人だなんて……」
その後、ピッポ・ガルフォネオージも加わり、彼の作ったスープに舌鼓を打っていたが、近くのテーブルで起こった高波に興味をさらわれることになった。
ピッポが言った。「五十嵐夫人お得意のタロット占いではないですか? 行ってみましょうよ。キッパー君も占ってもらうといい」
「奥さん、それ新しいカードじゃない?」くわしそうな者が訊いた。
「そうなの」と麦緒。「今日お披露目しようと特別に取り寄せたものなのよ。ほら、このカード、普通のものより一回り大きいでしょ? シャッフルするのが本当に大変で、私の小さな手じゃなくても用心しないとこぼれ落ちてしまうのよ。でも、それがこのカードの特徴なの。落ちてしまったカードは占いには使用しない。それは、私たちが次々と選択を迫られる人生の、選ばれなかった『捨てられた道』を表しているの。私たちの一つの体が進んでいけるのは結局一つの道じゃない? 頭の中では欲望と同じ数だけ可能性が存在しているような気がするのにね。その幻想の霧を晴らしてくれるのが占いなのよ」
麦緒は手に残ったカードを見た。「あら、『人めかし』と『
数人占った後、キッパータックも夫人の前に押しだされてしまった。
「あなた、配偶者か恋人はいらっしゃって?」麦緒が訊いた。
「いえ、独身です」
「では、あなたの結婚相手について占ってみましょう」
はじまって数秒もしないうちに、麦緒はどっさり半分以上のカードを床に撒いてしまった。それでも意に介さず、無表情で大振りなカードをかきまぜ続ける。
「恋人を表すカードが足りないから……いいでしょう、未来のカードにあなたの結婚について訊いてみましょうか。カードは『
「はあ……」とキッパータックは返事した。
「なかなかおもしろいじゃないか、ご婦人」と、立ち見客を掻き分けて一人の男が出てきた。
麦緒は男の奇妙な格好――パナマハットに真っ白い仮面で顔を隠し、緑色のマントを羽織っている――をしげしげと見て言った。
「私、すべてのお客様にご挨拶させていただいたと思っていたのに、あなたははじめてお会いする方じゃないかしら?」
「そうとも」男は返事した。「おれ様はここにいる連中みたいにどこにでも転がってるわけじゃないんでね。それじゃあ挨拶代わりに占ってもらおうかな。さっきからあんたがその安っぽいカードを盛大にまき散らしているのを結構な茶番だと思いながら黙って見物していたが、もう我慢の限界だ」
「随分不遜な物言いをなさる方ね」麦緒は面と向かっての大胆な批判にとまどいながら言った。「お名前は?」
「怪盗紳士、と呼ばせてやろう」男はマントをつまんで払う、というポーズを取った。
「怪盗紳士? ……ルパンさんね? で、あなたのなにを占いましょう」
男は仮面の
「あの……あなたは一体――」
男は麦緒の大事なカードの上に大きな手を振り下ろしてテーブルを叩いた。「この
「タム・ゼブラスソーンだって?」隣に立っていた客が珍客から距離をとって驚き見た。
「でも、やつは
「おまえたちに行方なんぞわかってたまるかい!」名乗った男はテーブルを打ち鳴らす乱暴な演奏を続けながら、周りの者に仮面の穴から覗く邪悪な目を披露して言った。「おれという英雄を見かけねーなと残念がるな。おまえたちの庭もいずれ近いうちにおれの餌食にしてやるから。おれのためにアホ面をいっぱい並べてくれてありがとうよ。おまえたちがおれの未来のカードだ。汚い地面に伏してお寝んねするだけの用無しのカード。うん、まさにそのようだ、傑作だな。さあさあ、そうやってぼんやり突っ立っていられるうちに帰った方がお利口と思わねえか? おまえたちがなにを所有しようと、もう空っぽも同然なんだぜ? なにが国が認めた大庭だ。おれ様のものを国が勝手に管理するなんてよ」
「やめて!」麦緒は眉間に両手を添え、叫んだ。「これ以上、下品な物言いを聞いていたら頭が割れてしまうわ。汚い手もカードからどけてちょうだい」
「ほとんどばら撒いてやがるのになに言ってんだ!」
「ああ、」声を残して、麦緒の体はくずおれた。「五十嵐さん!」と何人かの大庭主仲間が駆け寄る。
タムは帽子と仮面を投げ捨てた。赤黒い、
「あいつを捕まえるんだ!」ピッポがタムを指差して言った。「大勢で飛びかかるんだ! 女性は警察に通報してください」
しかし皆が行動を起こすより早く、タムはマントを躍らせて外へ飛び出していった。大勢で追ったものの、煙と火花が飛び散る仕掛けの機械をばら撒かれ、足止めされているうちに珍客の背中は
「見ろ、やつら『タオルを巻いた少女』を運んでいってるぞ」
タムと同様に緑のマントをつけた数人が、五十嵐家自慢の芸術を肩に抱えて走っていた。先ほどまでは庭に直立していたであろう石像だった。それがワンボックス・カーの荷台に積まれるとタイヤが軋り、庭から脱出していった。
あっという間の出来事で、人々はなにもできなかった。まだそこに残像があるかのように破壊された台座を見た。
「あの石像、たしか銀婚式のお祝いに息子さんが制作してプレゼントしてくれたって言ってたやつだ」
「防犯カメラも、向きが動かされていたりレンズにシールが貼られたりされているらしい」誰かが教えた。
麦緒は気を失ったままだったので、寝室に運ばれた。招待客たちは悩んだ。
「像が盗まれたことを知ったら、麦緒さん、このまま寝込んでしまうんじゃないか?」
「ご主人と息子さんにも知らせないと……」
「連絡先、知ってる?」
「だ、誰が連絡するっていうんだよ」
「じゃあ警察が来るまで我々はなにもしなくていいのか?」
「あの、」とキッパータックが言った。「像なら、元通りにできるかもしれません」
「おいおい」と男性大庭主が言った。「まさか、君のポケットから出てくるとでも?」
「とりあえず贋物を置いておいて、その間に警察にやつらを捕まえてもらって、本物を取り返してもらえばいいんじゃないでしょうか。僕の蜘蛛を使えば──」
「蜘蛛?」
腕組みして聞いていたピッポが言う。「でもね、今までタム・ゼブラスソーンに盗まれた物が返ってきたって話は聞いたことがない。警察だって遊んでるわけじゃないんだろうけど、そう簡単にいくだろうか?」
「五十嵐さんは盗まれたことをまだ知らない状態です」キッパータックは言った。
「ごまかすってのか。君は大胆なやつだな」樹伸が言った。
「皆さんお困りのようですし、泥棒の姿を見ただけで気絶してしまった五十嵐さんです。その上ショックを与えるのもどうかと思って」
「警察もそういうことなら協力してくれるかもしれないが……」
誰も決断できなかった。すると、同じく招待客として来ていた
「こうやってただ悩んでいても仕方ないな。あなたの意見に僕は乗っかりますよ」ピッポの意見が場に流れ、皆の沈黙は同意だと感じた譲羽はテーブルのカードに手を伸ばした。
「さっきの泥棒がまき散らしちゃったからもう五枚しか残ってないけど」
譲羽が開いたカードには、カラフルですっとんきょうな衣装をまとい、手足をくねらせ踊りでも踊っているかのような人物の絵が描かれていて、『常ならぬ男』と銘打ってあった。人物の頭は上にあった。正位置だ。
運命を共にした者たちは庭に立っていた。
たくさんの彫刻が等身大のチェス駒のように点在し、その他の装飾品もバザールのように出迎える賑やかな眺めの庭園。昼はすでに大きく回っているのに、初夏の陽気は一向に翳る前途を感じさせない。悪者の手にかかった台座だけが、強敵に噛みついて玉砕した歯のような凹凸を表していて、注がれる憐みの光に複雑な陰影で応えていた。
キッパータックは大庭主の一人から渡された携帯電子端末の画面を見ていた。消えた少女の姿が記念として残っている画像だ。そして彼の手に次に握られたのは茶色の壺で、台座に口を向けると、そこから次々飛びだす黒い飛沫。蜘蛛たちの仕事は見事と言えた。命令どおりに形が組みあげられ、みるみる淡い色に変化し、ほんの数分で石像をよみがえらせたのだった。
「こ、これなら、ごまかせるかもしれないな」
「ああ」人々は像の周りをぐるりと回って感嘆の声をあげた。「信じられないよ。蜘蛛が……変身? こんなことできるものなのか?」
キッパータックは言った。「蜘蛛はしばらくの間なら辛抱できると思います。早く本物が返ってくるといいんですが。僕、ときどき様子を見にくることにします」
それから一週間が過ぎた。清掃の仕事のため、朝、車を走らせていたときには「明日、蜘蛛たちの様子を見に行ってみよう」と考えたキッパータックだったが、車の目的地が自宅へと変わった夕方、まずい事態が持ち上がってしまった。彼は風を切り裂くようにして五十嵐邸の門前へ車を乗り入れた。
「すみません、庭の像を見せて下さい!」
キッパータックの叫びを聞いて麦緒が出てきた。
「なんだって言うの? キッパータックさん」
電動で開く門の隙間から早くも轟音が抜けてきて、キッパータックの顔を、胸を、殴打する。
「こんな風の強い日にわざわざ見学に来られなくても」
「風が強いから危険なんですよ!」キッパータックは麦緒を押しのけて駆けだした。
車の中で聞いたニュース音声では、この風は夜間、暴風雨に変わる恐れがあるということだった。昼までは風の存在など気にならなかった。今日の清掃が室内作業だったこともいけなかった。
「ああっ!」キッパータックは像を見て叫んだ。が、彼の背後で発生した叫びの方がもっと悲痛だった。
「キャー! 像が、像が、半分なくなってるわ!」
そう、今や下半身だけの姿になって、それでも必死で台座に食らいついている蜘蛛たちに早く防水カバーを被せて救ってやりたかった。しかしキッパータックは迷うことなくカバーを捨てた。激しく揺れる草の上に仰向けに倒れた五十嵐夫人の救護が先だった。
麦緒はソファーに移動させるとすぐに目を覚ました。「……キッパータックさん」
「大丈夫ですか? お水を持ってきましょうか?」
てのひらを額に当て、麦緒は首を振った。「……それよりお伺いしたいのは、あの後、あの下品な侵入者が置いていったらしい手紙を見つけたんです。手紙には、『おれが盗んだのは少女の像だけじゃない。あんたの大事なカードも頂いていく』と。手紙どおり、タロットカードが一枚無くなっていました。『
「あ、あの、それは、それはですね……」
「像はどうなったの?」麦緒は体を起こした。「強風で粉々になったというの? 過去の台風でもどうにもならなかったのに。あなたはどうして像がああなることがわかったんです? あれは石像なんですよ?」
第2話「盗まれた像」終わり
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