第2話 盗まれた像(1)

 みなみ楓子かえでこ譲羽ゆずりはは双子の大庭主だいていしゅで、その大庭は樹伸きのぶと同じ精衛せいえい地区にあった。生まれたときからすでに艶やかであったらしい彼女らの容姿は、美が加え続けられる一方、これ以上は崩壊を招くわ、というところで留められるという節度も持っていた。そういった意味で、庭の方も鏡に映した三人目の姉妹といっていいほどの品の良さだった。イギリス式庭園で、どことなく菜園を中心とした樹伸の大庭と似ていた。愛でる目的の建造物や装飾品は少なめで、花壇や温室、テニスコートに小型プールといった住人のユーティリティーが前面に出ている。客は花目当て、または姉妹とのデザート付きの歓談目当てに訪れる。


 その来客用の離れに作られたテラスで、白いテーブルと白い椅子に挟まれ白いカップを口に運ぶ樹伸がいた。視線の先には、淡い色のタイルで円が描かれている広場と、珍しく遊び心を取り入れたと思われるモニュメント的に配された二本のビルボケ(注:けん玉のこと)。

 それは全身真っ白で、三メートルほどの高さがある。青空の下で輝いているのをより一層輝かせるために、樹伸の一番新しい友人・キッパータックも呼ばれていた。彼はウエスを握りしめ、休むことなくビルボケを磨き続けている。

「ぴっかぴかだねえ。眩しくて見ていられない」

 お茶のおかわりを運んできた姉妹に樹伸が言った。「キッパータック君の腕はたしかなようだ」

「あのビルボケ、わたくしたちの趣味じゃなかったんですけど」楓子も樹伸の隣に座って言った。「お父様が突然持ってこさせたんです。『マグリットの絵の中に迷い込んだみたいにしたい』って言って」

「それは一興だね」

「キッパータックさんもお茶にしませんか?」妹の譲羽が手作りのパウンドケーキを切り分けながら声をかけた。


 四人は同じテーブルに着いてお茶の時間を過ごした。楓子が言った。

「お二人はお庭のセキュリティーの見直しはしていらっしゃいます?」手で関連のパンフレットを繰りながら。「うちには高価なものなんてほとんど置いていないんですが、タム・ゼブラスソーンの噂を聞くたびにお父様が電話をかけてくるんです。あの庭荒らし、まだ捕まっていないでしょう?」

「あの泥棒は不死鳥フェニックス地区で行方不明のままだって誰かが言っていました」とキッパータック。「仁科さんちの〝品物の森〟に忍び込んだけど出口がわからなくなったとかで」

 譲羽が大口を開けて笑った。「あり得ません。それじゃあ仁科さん、大泥棒と一緒に暮らしてることになるじゃない。その男もコレクションの一つってわけ?」

「キッパータックさん、私はこういうふうに聞いたわ」楓子は妹と違って神妙な顔をした。「ゼブラスソーンが消えたのは岩手黔いわてぐろさんちの山の中だって。あそこの山こそ入り込んだら最後、戻ってこられないって話らしいですよ」

「そんなにしょっちゅう消えられちゃ捕まえられないはずだね」樹伸はもぐもぐと口の中のおいしい残りを飲み込んだ。「二か所で同時に行方不明になるのは無理じゃないか? どっちかは生還したんだよ。あるいは二か所とも攻略して、今もその辺をうろついているかも。次はどこの大庭で行方不明になってやろうかってね」

「若取さんったら」譲羽は再び噴きだした。「姉を怖がらせないでくださいよ。セキュリティーがさらに強化されちゃうわ。まーた私の彼が警備員に捕まっちゃうじゃない」

「それだったらこの顔にも要注意。警備員に知らせておいてね」自分を指差して樹伸も笑った。


 姉妹の庭を出ると、樹伸はキッパータックに言った。「君が副業・・に精を出すのは喜ばしいことなんだけれども、先輩大庭主としてはきたるパーティーに出席することをお勧めしたいんだ。もうすでに主催者の五十嵐さんには君を連れていくという連絡を入れてある」

「パーティーですか?」キッパータックは驚いた。

「五十嵐さんちの大庭、知ってるだろ? 君と同じ天馬ペガサス地区だもの、知らないはずないよな? ご主人も息子さんも芸術家で世界中を飛び回っているから寂しいんだろう──奥さん、交際好きな人でね。年に数回、私たち大庭主が大勢呼ばれる。君もこれを機に顔を売ればいいと思うんだよ。きっと今後のパーティーは毎回招待されるようになるよ。まあ、努力も必要だろうとは思うが」

「どのような努力が……。話術ですか?」

「君には相棒の蜘蛛がいるじゃないか。あと一週間ある。十分練習できるね」

「?」

 パーティーまでの一週間、大いに頭を悩ませる課題を与えられた。蜘蛛を使ってマジック・ショーをやれというのは少し強引な命令だった。キッパータックは蜘蛛たちの育て親、大道芸人ダニエル・ベラスケスのショー、本物のプロの技を知っていたので、同じようにできると思うはずがない。しかし樹伸は友人としてマジックの中身まで考えてくれていて、易々と成功を信じていた。別れるときにはもうすでに頭の中の最高のショーを観覧し終え、満面の笑みでこう言ったのだった。

「当日、蜘蛛たちにも全員、蝶ネクタイを締めてこさせろよ?」


 一週間後、着慣れないカーキ色のスーツに緑のネクタイを締めて、キッパータックは五十嵐家の屋敷へ踏み込んだ。

 マジックの首尾を知りたがる樹伸がうるさかったが、一旦室内に入ってしまうと、東味亜ひがしみあ中の大庭主を集めたのではないかというその客人の数、飛び交う談笑の声、テーブルに並んだ色とりどりのごちそうなどに圧倒され、自分がなんのためにここにいるのか、胸に秘めた計画についてもすっかり頭からなくなってしまった。

 五十嵐麦緒むぎおは完全なる迷い子となって途方に暮れているキッパータックを見つけて近づいてきた。パーティー好きの女主人にとって初対面の若い男性を捕まえることなど朝飯前なのだ。

「あなたがキッパータックさんね?」ひらひらキラキラしているドレスの袖を押さえて手を差しだす。

「はい。ヒューゴ・カミヤマ・キッパータックと申します」震える手でなんとか握手を交わし、名刺を渡した。

「まあ、清掃業をなさっておいでで? でもあなた、大庭主ではなかったかしら? 砂漠の庭に住んでいらっしゃるんでしょ? 地面から滾々こんこんと砂が湧きでてくるという」

 キッパータックは手を振った。「いやっ、地面から湧きでてはいません。空から降ってくるというか――」

「空から? 砂が? それを片づけていらっしゃるわけ?」

「いえ、自分ちの砂を処分しているわけでは……」

 麦緒が去ると、キッパータックは樹伸の姿を探した。頼りの友人は見つかったものの、次から次へとほかの大庭主の下を渡り歩きおしゃべりに花を咲かせている。仕方ない、とりあえず今は飲み物を取って落ち着こう、とグラスが並んだワゴンへ向かう。自分よりも先にワゴンに辿り着いて、グラスを抱えたままどこうとしない男がいたので、キッパータックは「失礼」と声をかけ、よけるように手を伸ばす。

「ん?」

「え?」

 二人はほぼ同時に面を合わせて、キッパータックだけぎょっとした。その男のおしゃれなキャップの下の顔が包帯に覆われていたからだ。

「あはっ、もしかして、あなたが若取さんが言ってた新しい参加者かな?」

 包帯の隙間からぱくぱくと口が覗き、声楽家のような朗々とした発声が洩れてきた。彼は手にも包帯を巻いている。それ以外はスーツ姿が決まった紳士である。

「天馬地区六丁目から来ました、キッパータックです」キッパータックは恐る恐る発した。

「ピッパートックさん、知り合えて光栄です」男はキッパータックが持っているグラスに自分のグラスを打ちつけて言った。「僕の名前はピッポ。ピッポ・ガルフォネオージといいます。僕、実は透明人間なんでね。こうして包帯でも巻いとかないとみんなに姿を認めてもらえないんですよ。はっはっはっは。僕も若取さんと親しくさせてもらっております。いや、この飲み物、マンゴージュースかな? なかなかうまいですが、僕の手製のスープも絶品ですよ。今日も作って持ってきています。向こうに置いてあるので、ぜひ味見していってください」

「あ、ありがとうございます」

 透明人間の真偽はわからなかったが、ガルフォネオージ氏はなかなか気さくで明るい青年のようだった。他の大庭主たちも年齢性別、実に様々な者たちがいて、皆キッパータックに興味津々で話しかけてきてくれた。

「これはこれは、キッポトックさん。はじめまして」

「東洋人の顔だね。へえ、お父様が日本人なのかい?」

「庭の噴水が一滴残らず砂になってしまったなんて、大惨事でしたねえ……」

「地区にあるピアノの脚を全部磨いて回ってるんですって? なぜそんなことを?」


 携帯電子機器で画像や動画を見せ合っている者、自慢の話術に身振り手振りを加えて取り囲む人たちを絶えず笑わせている者──その間からするりと抜けでてきた樹伸はやっとという感じにキッパータックを捕まえた。

「ほらほら、機を逃さない。そろそろあれをやろう、あれを」

「今ですか?」

 樹伸は両手を突きあげると盛大に打ち鳴らした。「皆さーん、注目、注目。新入りがすっごい手品を見せてくれるって」

 ばらばらに向いていた顔が一斉にこちらに集中した。キッパータックは肝を冷やした。

「わっ、やっぱり……できない」

「できるって」樹伸は若者を肘で突いた。「それに君がやるんじゃないだろ。蜘蛛たちに任せておけばいいんだ」

 キッパータックは震えながらハンカチを取りだした。一同に見守られながら、彼は額の汗を入念に拭ってポケットに戻した。手品がすでにはじまっているのだと固唾を飲んでいた観衆は完全にすっぽかされて素人マジシャンの肝の太さに驚愕した。

「なにかしゃべった方がいいぞ」樹伸が小声で助け舟を出した。

「え、ええっと、……今から手品をやります」

 客の期待はまたもや裏切られたが、そこからはちゃんと事が動きはじめた。

「ここに、円紙幣があります。千円です」キッパータックは見守る眼差したちに一枚の紙幣を確認させた。

「これを折りたたんで――」両手に挟み込み、もぞもぞとこすり合わせる。

「消えました」マジシャンはからのてのひらを広げた。

 観衆から「おおー」という低い唸りが起こる。キッパータックは上着のポケットに手を突っ込んで「ここに移動しました」と再び千円札を取りだして見せた。

「実はこのポケットは、」キッパータックはポケットの裏地を引っ張りだして、中になにもないことを証明してから言った。「宇宙に……いや、時空……四次元? そう、四次元に繫がっているので、今はからっぽですが、ここからいろんな物を取りだすことができます」

「ほほう」すでにいろいろな単語が出てきたので、客はどれで納得したものか迷ったが、とりあえず四次元が本命らしいと思った。

「どんな物でも出てくるの?」と女性が質問した。

「すべてというわけでは……。ポケットから取りだせる大きさの物だけです。それと僕と蜘蛛が――いや違った、皆さんがよく知っている物、よく知られている物ならだいたい、取りだしてお見せできると思います。なにがいいですか?」

 男性の一人が色めき立った。「大抵思いつくようなものは用意してあるってことだな? こりゃ知恵比べになるぞ」

「私が決めていい?」先の女性が手を挙げた。「指輪はどう? ただの指輪じゃつまらないわ。ダイヤモンドなんかどうかしら?」

「ダイヤモンド……」キッパータックはつぶやいてポケットをまさぐると、てのひらを開いてみせた。

「ダイヤモンドだ!」客は沸いた。しかし、宝石のみの姿だったので、出題者は「でも指輪じゃないわ」と指摘した。

「そうだった、指輪だった」キッパータックは慌ててポケットに手を戻し、指輪の姿に変えてから見せた。

「ちょっと触らせて?」

 迫ってきた手をキッパータックは制止した。「だめです。触られるとなんか違うって思われるかもしれないから」

「なんだよ」一人が笑った。「贋物か? でも贋物でも用意できたってことがすごいな」

「じゃあ、次はおれ」別の男が名乗りでた。「栗――なんてどうだ? まだ季節じゃないから出せるかな?」

「栗ですか……」もぞもぞしてからてのひらを開く。

 客はきょとんとして覗き込んだ。「それ、甘栗だな。おれは殻付きを想像してたんだけども」

「栗って、天津甘栗のことかと思いました」キッパータックも自分で取りだしたものをまじまじと見つめた。蜘蛛は命令どおりにやっただけだ。

「それは本物? 食ってみろよ」

「食べるんですか?」キッパータックの声は裏返った。しかし大勢に見つめられ気が動転してしまい、思わず口の中に放り込んだ。

「ああっ! ほんとに食いやがった!」と樹伸が大声を発したので、「若取さん、どうしたの?」と客の一人が不思議がった。

「ああ、いや、なんでもない」

 樹伸が笑ってごまかしている最中に、キッパータックは口の中の物をブッ、と床に吐きだした。

「おいおい、どうしたんだよ」

「すみません」マジシャンは頭を掻いた。「口に入れたのははじめてなので」

「甘栗食ったことないのか。めずらしいな」

「なあ、ありきたりなものなんてやめようや」樹伸がさらに盛り上げるつもりで声を張りあげた。「キッパータック君、蜘蛛を出してみてくれよ。しかも普通の蜘蛛じゃない。脚が十本ある蜘蛛──なんてどうだ?」

「脚が十本の蜘蛛ですって?」女性が驚愕した。「そんなもの取りだせるの?」

 キッパータックはちょっと考えたが、心を決めてポケットをまさぐった。恐る恐る掴んで取りだす。蜘蛛たちは自ら蜘蛛であるというプライドを捨て、力を結集し、三十匹ほどで一匹の大蜘蛛に変身していた。

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