第6話 選択への決定権と「好きな人」

教室から早足で教室をでていったのも合点がいった。阪田さんを追って行き、そこで何かを会話し離れた後、阪田さんに会いにいってていたのだ。

「けれど阪田さんに会って何をしていたんだい。挨拶するくらいなら話してくれたっていいだろう。」

「いや、ただあっていただけじゃないんだ。阪田さんの家に行っていた。阪田さんには過去にお世話になっていて、中学生や高校生向けのカウンセリングを受けていたんだ。会ったついでに久しぶりに話をしに家へいったんだよ。」

 こんな時代でもメッセージと加筆者本人による音声読み上げは重宝していた。わざわざ顔を合わす必要なんてあまりないと思っていた。。フィジカルコミュニケーションが全体の六十パーセントだと言われているが、目を閉じ彼の一つ一つの動作を想像していく方が人の思いだったり、違和感などに気づきやすいと思っている。時に発生する齟齬はきっと彼ら彼女らについて理解できていない部分があるからこそなんだと思う。そのため初対面の人にはしっかりと相手のホログラムを出し、姿を見たうえで会話を行うと決めていた。

 「阪田さんがカウンセリングを堀塚にしていたのか。そのような時期があったんだな。大学に入って1年のつきあいだけれど知らなかったよ。少し驚いたよ。」

 「俺の場合は精神的な部分で傷を負っているというより、家族関係での悩みを話していた。『家族』というか俺自身の問題なんだがな。」

「親は子供に自分なりの人生を歩んでほしいと願っている。これはどの家族も一緒だ。だから俺もこれからの進路やなりたいと思っている職業を話してみるんだが、話の終わりにはいつも「本当にそれでよいのか」と何度も親は言った。それがどうしても俺の頭の中に残って決められないんだ。『後押しの言葉が欲しい』なんて言うのもおかしいことは分かっていた。自分の人生は自分で決めるって小さいころから教わってきたのに、物心ついて初めての選択を家族の言葉で悩む人なんているんだろうかってずっと自分に質問し続けたよ。」

「そういう時期があったんだな。」

 同情の念はその人の気持ちを過去の遺物にすり替え、一つ一つ必要で大切であった気持ちと思考を他者が判別なくゴミとしてすべてまとめ、捨てることの同意だ。

「そう。つかず離れず、彼女は僕の話を聞いた。カウンセリングの中で感じたのは最後には自分ひとりしか残らないってことだった。」

「自分ひとりか。」

 多分に解釈を含むその言葉の意味をこれ以上聞こうとは思わなかった。

「阪田さんに会いに行ったことは俺の彼女には伝えないでほしい。まだ昔あったこととか話していないんだ。」

「もちろんだよ。堀塚がどれだけ過去について話しているか僕は知らないからね。君が彼女をどれだけ好いているかは理解している・・・と思っている。だから君のタイミングで話せばいい。」

  白が基調のマンションがうっすらと見えてきた。

「また話してくれよ。聞くからさ。」

「うん。それではまた明日。」

「また明日。」

 車路に属する面に大きな口が開いており、その中には下り坂。下へと下っていき、降りた先には可動式の駐車場とともに、地下エントランスが用意されている。

 先にエントランスで僕は降ろされ、その後自動的に駐車場へ自ら入っていった。

 これまで堀塚が家族の話をしていたことは無い。往々にして彼はプライベートについてかなりのことを話してくれた。一年過ごして一番話してくれたことは彼女についてだろう。好きな人がいること。それが高校の頃の友人で、彼女がわざわざ図書館へ行き、昔の人も利用していただろう本を愛読していたこと。たまたま居合わせ、その姿を見つけ出して少しちょっかいをかけた時に声は怒って居るんだけれど、なれておらずどんな顔をすべきか分からなくてアニメのように頬を膨らませた姿が愛らしくて好きになったこと。身長は高く、少しふくよかであること。

 微笑ましくも思い、少し妬ましくもあった。彼女という存在を抱えていることというよりも、「好きな人」というものがどういうものなのかが分からなかった。

 小学生や中学生の頃は異性を見て、その人のことを考えると夜眠れないということはあったし、思い人がこちらに何かしらのアクションをとるだけで、僕のことを好きなのではないかと思った。その他の異性のことなんて眼中には無く、ただ「存在を確認できる人」程度の認識だった。

 しかし高校を境に誰か一人の人物に対して好きであるという感情が芽生えることはなくなった。

 高校から義務教育ではなくなるため、より就きたい職業について学べる教育機関を選ぶ。高等教育ではより専門的になり、化学者になるのであればそれ必要な化学と付随する国語、英語そして数学などを徹底的に学ぶ。もちろんその間にもキャリア学習を随時実施し、出来るだけ選択肢をもった上で、今後のキャリアを選ぶことが出来る。

 そうしてそれぞれの指向性に会わせ選んできたからこそ、年齢を重ねるごとに不揃いになってくる。考え方もなにも違う。いや、ただ自我に目覚めて客観的に物事を見るようになったから、違いに敏感になってしまったのかもしれない。もしくは好きになるという事柄への理想像を作り上げたために、合わない物を排除使用としだしたのかもしれない。

 僕が人を好きになれなくなった理由は、異質さをそれぞれが「持ち味だ」と認識し話すようになってしまったからだった。言葉に出し、誰かへ伝える異質さは、ただ自らを相対的にみて決定した普遍的事象にすぎない。そしてそれを言葉にしてからは、その言葉に固執してしまう。

 それが僕にはどうしてもいやだった。そのイヤだという気持ちに追い抜かれ、好きだという感情も心のどこかへと消えてしまった。

 「自然」恋愛というものに興味を持ったからこそだろう。恋愛が目的であればすぐにでも手に入る世界だからこそ、自然で自由な恋愛にこだわりたいと思っていた。



 

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