第3話 恋の季節(2)

 そうして私たちは、夏の間中、毎日お互いのことだけを見つめあい、四六時中抱きあって過ごした。

 私たちは二人とも木登りが得意で大好きだったから、大きな木の枝に蔦の蔓で編んだ素敵な寝床を吊るして、夜はそこで抱きあって眠った。頭上をびっしりと葉っぱが覆っているから、少しくらなら雨が降っても濡れないの。

 私は木の上が大好き。だって、木の上は安全だし、風が通って気持ちが良いし、赤ちゃんになってご先祖様たちの膝の上に抱かれているみたいで、なんだか安心するの。

 私だけじゃなく、セレタの子供や若者はたいていみんな木の上が好きで、夏には母屋の回りの木の上に自分専用の寝小屋を自分で作ってそこで寝起きするんだけど、中には木登りが苦手な人や、木の上があまり好きでない人もいる。たとえば、オッテ兄さんみたいなふとっちょの人とか、足が悪い人とか。そういう人は夏でも木の上に住まずに、年をとった人たちと一緒に母屋で寝起きするか、そうしたければ地面に自分用の寝小屋を建てる。

 でも、私は、木の上がいいわ!

 だから私の恋人が私と同じに木の上が好きな人で良かった。二人で木の上で暮らすのは、とても素敵。

 夏の森は夜でも暖かで空気は爽やかで芳しく、ずっと外で過ごしても、ぜんぜん困らない。

 もっとたくさん雨が降ったら、その木の根元の洞に入るの。洞のなかには乾いた苔や良い匂いがして虫除けにもなる干した香草や花びらを敷き詰めてあって、身体の向きも変えにくいほど狭いけど、二人でぴったり抱きあっていれば、ちょっと冷える雨の夜でも、ぬくぬくと温かい。


 恋人の名前は、アリン。沼の端のセレタの人。

 行ったことはないけれど、沼の端のセレタのことは、いろいろ知ってるわ。贈り物を持ってときどき訪ねてくるきょうだいたちのおとうさんの中には、沼の端の人が何人もいるから。

 誰かのおとうさんが訪ねてくるたびに、子供たちはみんなで取り囲んで、他所のセレタのいろんな話を聞かせてもらう。おとうさんたちにはいろんなセレタの人がいるけれど、沼の端のセレタとうちのセレタは、森の東と西に離れているのに、昔から、なんでか特に縁が深いの。きっと血筋の相性が良いのね。


 私とアリンの恋の季節が、ゆっくりと過ぎてゆく。

 花の咲き乱れる草地や、柔らかな苔に覆われた気持ちのよい窪地や、素敵な風が吹く木の上で、私たちは、夏の間中、気が向くままに戯れあい、抱きあい、愛しあった。大きな木の枝に並んで腰掛けてふざけあっているうちに、二人で抱きあったまま落ちそうになって、なんとか掴んだ蔓にぶら下がって揺れながら大笑いしたこともあったわ。

 ああ、なんて楽しいの、何もかもがなんて素敵なの!

 アリンが好き、アリンが好き、アリンが大好き、他のことは何も考えない、何もしない、ただ恋をすること、愛しあうことだけがお仕事の、最高に素敵な季節。


 食べ物だって、冬の蓄えのことを考えなくていいから、いつでもお腹が空いたときに自分たちがそのとき食べる分だけの果実でも摘んで食べればいいの。

 夏の森は食べ物でいっぱい。野いちごや夏葡萄はいくらでも熟れているし、甘くて良い香りのする花びらや柔らかな草の芽や葉っぱも食べられるし、地面をちょっと掘れば栄養たっぷりの球根も採れるし、まるまる太った美味しい幼虫もいる。たまには小鳥の卵を少しだけ分けてもらうこともある。

 ときどきは、アリンが、セレタから持ってきた弓矢で、少しだけ狩りをする。でも、それは、本当は肉が食べたいからじゃなくて、きっと私に自分が弓が上手いってことを見せてくれたり私に狩りの獲物をプレゼントしてくれたいからだと思う。

 恋の季節には、私たちは、あまりたくさんは物を食べないの。いつも恋人が恋しい気持ちで胸がいっぱいで、食べ物が入る場所がないから。特に肉は、あんまり欲しくならない。ほんの少しの果実や花の蜜だけで生きていられるの。


 だから、野いちごを摘みながらでもすぐにお腹がいっぱいになって、そうするとアリンとふざけあいたくなって、私はくすくす笑いながら野いちごを指でアリンの唇に押し込む。お返しにアリンも私の口に野いちごを押し付けてくるから、私はいじわるして、わざと口をぎゅっと結んでみる。唇の上で野いちごが潰れて、私の唇が赤く染まる。アリンの指先も赤く染まる。私は小さく口を開いて、潰れかけた野いちごを口の中に受け入れ、ついでに赤く染まったアリンの指先を咥えてみる。アリンは笑いながら指を引っ込めて、今度は野いちごを自分の唇に挟んで、そのまま私にくちづける。口移しに受け取った野いちごを飲み込んで、それから、甘酸っぱい果汁で染まった唇で、私たちは何度もくちづけを交わす。ああ、アリンの唇は甘い、甘い、甘いわ!

 唇を離して、くすくす笑いあいながら、私は指先でアリンの唇をなぞる。それから滑らかな頬に指を滑らせる。


 外の世界の人たちは、大人になると男の人にだけ顔に毛が生えるんだって。髭っていうんだって。でも、私たちには、男の人にも髭なんか無い。それが、外の人たちに私たちの男と女の見分けがつかない理由の一つらしいわ。

 私たちは全身を毛皮に覆われている赤ちゃんの頃でも顔にだけは毛が無いのに、外の人たちは、生まれた時から丸裸なのになぜか大人になると顔にだけ毛が生えてくるだなんて、しかも男の人にだけだなんて、なんて変なんだろう。なんておかしいんだろう。顔にもじゃもじゃと毛が生えていたりしたら、大好きな人の素敵な顔が、よく見えないじゃないの。唇が隠れてしまって、くちづけが出来ないじゃないの。

 私たちには髭がなくて良かった。おかげで、アリンの綺麗な顔が全部よく見える。柔らかな唇の素敵な形も、よく見える。頬と頬をぴったりあわせて頬ずりもできる。

 私はアリンの唇の形が大好き。滑らかなほっぺたも大好き。私のアリンは、どこもかしこも、とっても綺麗!


 私たちには男の人も髭が生えないけど、そのかわり、アリンには、首の後ろから背筋にかけて、森狼のたてがみみたいに強い毛が一筋つながって生えているの。こういうのを狼毛といって、狩りが上手い男の印だと言われているから、男の子たちはみんな、狼毛にあこがれている。これが生えてると男らしくてかっこいいんだって言って。アリンも、とても自慢みたい。

 私もアリンの狼毛は好きよ。抱きあっているときに、アリンの首筋の毛を撫で下ろすのが好き。逆撫でするとむずむずするって、身を捩って逃げようとするから面白くて、ときどきわざとふいに逆撫でして遊ぶの。アリンは笑いながら、怒るふりをするわ。そうして、仕返しに、私の尖った耳の先をかぷっと齧ったりする。私はくすぐったくて、耳をぱたぱたさせて笑ってしまう。

 アリンには背筋に毛皮が残ってるけど、私は、耳が柔らかな短い毛で覆われているの。こういう耳は寒さに強くて凍傷になりにくいから便利だと言って、みんな羨ましがるわ。それに見た目が可愛いし、アリンは手触りが良くて気持ちいいって。私のこの耳が大好きだって。

 私も、自分のこの耳が大好き。尻尾が取れたばかりの小さい頃は身体のどこかに毛皮の名残が残っていた子も、もっと大きくなるとそれも消えてしまうことがあるから、私は小さい頃からいつも、大きくなってもこの毛がずっと消えないでくれるといいと思ってた。その通りになって良かったわ。


 外の人たちには、私たちの男女の別だけじゃなく、年もよくわからないんだって。みんな同じように若く見えるって。

 確かに私たちは、外の人より育つのがゆっくりだし、髪が白くなったり顔が皺だらけになるほど年寄りになるまで生きる人はとても少ないから、外の人が私たちのすごく年取った姿を見ることは、あまり無いかもしれない。

 そう、私たちのほとんどは、何度かの恋の季節を過ごして何人かの赤ちゃんを産んだ後は、まだそんなに年を取らないうちに、たいした理由もなく自然に死んでしまうの。たいていは、特に前触れもないまま、ある朝気がつくと寝床の中で冷たくなっている。

 私たちは、森に生きる動物たちの中でも、特に弱い生き物なのかもしれない。動物たちは病気や怪我や他の動物に食べられて死ぬけど、私たちは、何も理由がなくても、すぐに自然に死ぬから。年寄りになるまで生きられる人は、本当に、ほんの少し。


 でも、それはしかたないでしょう?

 だって、私たちは森に特別に守られていて、他の獣に食べられて数が減るということが無いし、病気や怪我に効く薬草も持っているし、安全な家や暖かい服や森の贈り物でいっぱいの食料庫があって寒さや飢えで死ぬこともないのに、新しい赤ちゃんがどんどん生まれてくるんだもの。

 赤ちゃんが生まれるばっかりで先に生まれた大人が死ななければ、私たちは数が増えすぎて、すぐにセレタに入り切れなくなってしまうわ。森が養える私たちの数は、決まっているの。昔から、ずっと同じに。


 それに私たちは、死んでも、居なくならないもの。

 私たちは、死んだら木になって、私たちを育くんでくれた森の一部になって、自分のセレタを、ずっとずっと見守るの。セレタの仲間たちを愛し、見守って、葉っぱで雨風から守ったり果実で養ったりして、セレタの仲間たちから愛され敬われ感謝されて、毎日を一緒にすごすの。

 だから、死ぬことは、居なくなることではないの。ただ、姿が変わるだけよ。

 私たちのセレタでは毎年誰かが死んで木になるけれど、それはもちろん少し寂しいことではあるけれど、けっして悲しいことではないの。ただ、しかたがないことなの。


 そんなわけで、外の人たちに私たちがみんな若く見えるのには理由がないわけじゃないけど、でも、私たち同士の間では、まだ顔に皺が無くても、初めての恋の季節を迎えたばかりの年頃と、何人もの子供や孫がいる年の人は、もちろんまったく違って見える。

 私とアリンは、二人ともが初めての恋の季節で良かったわ。恋の季節が、長く続くから。

 二度目から先の恋の季節は、最初の短い間は恋に夢中になっても、そのうちに、他の女の人たちに面倒を見てもらっている自分の子供のことやセレタでの日々の仕事のことが気になってきて、そうするとなんだか気が散ってしまって、恋の季節が早く終わってしまうの。もし自分が初めての恋でも相手がそうでなければ、相手の心がそんなふうにときどきふと自分から逸れるのを心と身体が感じ取ってしまうから、自分の心も自然と早くに冷めてしまうんだって。

 だけど二人ともが初めての恋なら、恋の季節は、夏の間じゅう続く。それは、二人ともまだ身体が大人になりきっていなくて赤ちゃんができるのに時間がかかることが多いからという森の配慮だともいわれているの。


 それでもやがて、熱に浮かされたように過ごした夏も終わりに近づいて、夕方には木の上を渡る風が少し冷たくなりはじめているのにふと気づいた頃、私たちは、ふいに、自分のセレタが恋しくなりはじめる。アリンを好きな気持ちは変わらないけれど、アリンと抱きあってさえいれば他には何もいらなかった、お互いの他は何も目に入らなかった、そんな夢中な気持ちはゆっくりと遠のいて、長い夢から覚めたみたいに、セレタの自分の寝床や炊事の煙、小さな子供たちの騒ぐ声やおばさんたちの賑やかなおしゃべり、おかあさんのこと、エーレンカの香りのする小さなふわふわの弟のこと、普段はみんなまとめてきょうだいと呼んでいる大勢のいとこやまたいとこたちのこと、冬に向かうセレタの日々の仕事のあれこれのこと、いろんなことが、なんとなく思い出されてくる。

 それは、恋の季節が終わる兆し。

 そして、私のおなかの中にはもう、私とアリンの大事な赤ちゃんが入っている。きっと最高に可愛いはずの、愛しい愛しい赤ちゃんが。来年の春には、セレタの赤ちゃん部屋をお日様が昇ったみたいにぱっと明るく賑やかにしてくれるはずの、セレタの宝物が。


 でも、まだすぐにはアリンと離れがたくて、私たちは恋の季節の最後の数日を、たっぷりと名残りを惜しみあって過ごす。

 少し寂しく、でも満ち足りた幸せな気持ちで、肌寒くなってきた夜に木の洞で寄り添って互いの身体を温めあいながら、ふたりでお互いのセレタのことを語りあう。自分のセレタがどんなに素敵なところか、お互いに自慢しあううちに、二人とも、ますますセレタが恋しくなる。セレタの炉のぬくもりが恋しくなる。

 お腹の中に赤ちゃんを抱いて暖かくて安全な地面の下の冬の家でぬくぬくと過ごす穏やかな日々を、私はアリンの腕の中で心楽しく思い描く。

 長い冬ごもりの間は、男の人たちがときどき狩りに出たり、冬中に何度か、穏やかな天気の日を選んで気晴らしを兼ねた食料集めに行くほかは、みんなたっぷりと眠り、起きている時は暖炉の部屋に集まって、物語を語ったり聞いたり、おしゃべりをしながらいろんな細かい作業をしたりして、ゆっくりと過ごすの。

 お腹に赤ちゃんがいる女の人は、冬のセレタの女王様よ。年取ったおばあちゃんやおじいちゃんたちと一緒に暖炉のいちばん近くに座らせてもらって、みんなでよってたかって寒くないか気にかけてくれたり栄養のある食べ物を持ってきてくれたりと大事にしてくれる。初めての赤ちゃんならなおのこと、みんなが気にかけて、特別優しくしてくれる。

 ぬくぬくと安全な冬の家でお腹の中の赤ちゃんを大きく育てた私は、たぶん春が近づく頃に元気な赤ちゃんを産む。優しいおばさんたちや姉さんたちに世話されて、頼もしいおじさんたちや兄さんたちに守られて、何一つ心配せずに、きっところころと太った、ふわふわの毛皮に包まれた赤ちゃんを産む。

 私の産毛は金茶色だったけれど、アリンの狼毛は灰色がかった焦げ茶色だったから、赤ちゃんの産毛の色はどっちに似るのか楽しみね。

 赤ちゃんを産んだら、私はもう、子供じゃない。一人前のセレタの女よ。

 そうしてやがて雪が溶けて、赤ちゃんが私に抱かれて生まれて初めて光眩しい地上に出る頃には、ひと冬分大人になったアリンが、早咲きの花束とたくさんの贈り物を持って、赤ちゃんと私に会いに来てくれるの。


「俺、これから秋が終わるまでに、きっと、もっともっと狩りが上手くなって、春には君と俺たちの赤ちゃんに狩りの獲物をいっぱい届けられるようになるよ。君がセレタの姉妹たちに俺のことを思いっきり自慢できるくらいに。楽しみにしていてね、愛しいリリ。帰ったら、また、おじさんたちや兄さんたちと一緒に狩りをして、どんどんいろんなことを教わるんだ。それに、シリン兄さんが、帰ってきたらもう大人だからもっと立派な大人用の弓を作ってくれるって約束してくれてるんだよ。シリン兄さんの作った弓は素晴らしいんだ! あの弓が引けるようになれば、鹿だって射止められるさ!」

 私を胸に抱き寄せながらわくわくと狩りのことを語るアリンの心は、きっともう、半分はセレタに帰って、おじさんや兄さんたちと想像の中で狩りをしている。狩りの栄光を思い描いて、夢中になってる。

 アリンはきっと、立派な狩人になるわ。今だってもう弓が上手いし、身体がしなやかですばしこいし、こんなに狩りが好きならしいんだもの。

「立派な狩人になったあなたが訪ねてきてくれる日を楽しみに待ってるわ」

 そう言って私は、大好きなアリンの頬にくちづける。


 それから私たちは、何度も何度もくちづけを交わし、ひとたび恋の季節を共にしたもの同士の穏やかで確かな一生の絆を約束して、それぞれのセレタに帰る。優しい家族たちが待つ、懐かしい我が家に帰る。

 ああ、私の初めての恋の季節は、何もかもが素敵、最初から最後まで何一つ欠けることなく、なにからなにまで最高に素敵。

 姉さんたちがいつも私に言ってたわ、恋をするのは素敵なことよって。私も今はもう知ってる。恋をするのは素敵、素敵、素敵、世界でいちばん素敵よ!

 セレタに戻ったら、私も妹たちに話してあげよう。教えてあげよう。恋をするのがどんなに素敵なことかって。

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