第4話旅館の女将
四、旅館の女将
それからしばらくして、由紀ちゃんから連絡が来た。
「もしもし薫?お父さんが倒れたって今福井の実家から連絡があって、今から実家に帰ろうと思ってるの、だからしばらく会えないと思う、ごめんね」
「分かった、お父さんの事が心配だから、すぐに行って。様態がはっきり分かったら連絡して」
「うん、はっきりしたら、すぐに連絡するから、おいたしないで待ってるのよ」
「分かってるよ、おいたなんかするわけないだろ」
「分かったわ、じゃあね!」
お父さんの様態はどうなったのか気になったが、由紀ちゃんからの連絡を待っていた。
いつもなら、懐かしい実家とはいえ長時間の移動は飽きて来るものだが、今回だけはわずかな時間に感じられた。
「ただいま!お父さん大丈夫?」
「由紀が帰って来たわよ、お父さん」
「うむ」
「お父さんが倒れたって聞いたから、慌てて帰って来たんだけど、えっ、お父さん!、どうしてここにいるの?お父さん!大丈夫なの?」
「いや、これには訳があって」
「訳があるって、それじゃ倒れたっていったのは、嘘だったの?」
「実はね、私も年のせいか旅館をやっていくのがしんどくなってきてね、いろいろと考えていたんだ。三代続いたこの旅館を潰してしまうのも忍びないし、跡継ぎはいないし、どうするか悩んでいたんだ」
父親の言い訳じみた言葉を聞いた由紀は、
「それと、お父さんが倒れたって事とどう関係してるの?」
「お母さんともよく相談したんだが、由紀!この旅館をお前に継いでもらいたいんだ」
「何を言ってるの?私まだ二十二歳だし、旅館継ぐなんて言ってないわよ」
「それは分かってる。今すぐに継いでくれとは言わない。いずれでいいから、継いでほしいんだ」
「そんな事言われても、私には、私には」
「何かあるのか?」
「ううん、…何でもない」
「それと、ずっと断っていたんだけど、お前にお見合いの話があるんだ」
「お見合い?お見合いなんて、私、嫌よ!」
「分かってるよ、断っていいんだ。ただ会うだけでいいから会ってくれないか?」
「そんな事、急に言われても」
「お見合いそのものが、組合長の紹介で、どうしても断れないんだ。だから、会うだけでいいからしてくれないか?」
「私、お見合いなんてしたくない」
「由紀、気が進まないとは思うけど、お父さんの顔を立ててお見合いだけはしてくれないかい?」
「少し考えさせて」
そう言うと、由紀は立ち上がった。
「由紀!」
「由紀~!」
逃げるようにして居間を出て、自分の部屋に入り今回の事を考えていた。突然の話で、頭が混乱していた。
(お父さんが倒れたのは嘘、旅館の跡継ぎ、そしてお見合い、私には薫がいるのに…)
どうしたらいいのかわからない。考えようとしても何も考えられない。無性に薫の声が聞きたくなり、薫の顔が浮かんできた。
(薫に話してみよう!そしたらいい考えが浮かぶかもしれない)
縋る思いで携帯を手にした。
「もしもし、薫?私」
「あっ、由紀ちゃん、お父さんは大丈夫?」
「うん…」
「ん?どうしたの?何かあったの?」
帰ってからの流れを薫に話した。
「それじゃ、お父さんが倒れたのは嘘で、後を継いでくれって話と、君がお見合い?ちょっと待ってよ、それじゃ俺は、俺はどうすれば…」
「私にも分からないわ。自分の事だけを考えて、お父さん達の事は知らないなんて言えないし。お見合いなんて、私、したくない。それに、私には薫が…」
今迄考える事もしていなかった展開に、頭が動顛してうまくはなせない。賢い解決策も見つからない。何とかしなきゃ、沈黙の後やっとの思いで言葉を発した。
「分かった、俺行くから」
「行くって?、何処に行くの?」
「直ぐにそっちに行くから。それじゃ」
「あっ、ちょっと待って、もしもし?薫?ねえ、聞いてるの?薫?」
俺は明日あわらに行く。行ってどうかなるものかは分からなかったが、行けっ、兎に角行けっ、行かなきゃいけない。何を話せばいいのか分からないが、無性に由紀に会いたかった。会わなきゃいけない。会わなければ、もう会うことも出来なくなると、もう一人の俺がそう言っていた。これで最後なんて嫌だ、由紀とはこれからもずっと一緒にいたい、そばにいて欲しい。俺にとってかけがいのない存在なんだ。今心から、そう思えた。
普段なら、布団に入って瞬間に深い眠りに直ぐ落ちてしまうのに、その日はまんじりともしないで、朝が来るのを待っていた。
蘆原(あわら)温泉迄長時間かかり、朝早く出たつもりだったが、家に着いた頃には夜になっていた。
初めて訪問する時間としては遅いと思ったが、おもいっきって声をかけた。
「ごめんください、夜分恐れ入ります」
(うそ!直ぐ行くって言ってたけど、もう来たの?)
「あら、誰かしら」
母親が出そうになり、慌てて由紀が玄関に走った。
「本当に直ぐ来てくれたんだ、ありがとう」
「直ぐ来ないでいつ来るんだよ」
「嬉しい」
「由紀、何方?」
「東京から来てくれた、木村さん」
「東京から?」
母親は、不思議そうな顔をしながら、な~るほどと由紀を見ていた。
由紀に案内されて、両親の前に座った。
刺されるような視線だったが、耐えた。
「夜分に突然お伺いしまして、申し訳ありません。木村 薫 二十二歳です」
「突然やって来て何の用なんだ」
父親の邪魔ものが来たというような顔を見ながら、俺は受け答えをしていた。もっと、ビビるというか、緊張してまともに答えることも出来ないんじゃないかと思っていたが、不思議と落ち着いて堂々としていた。
「昨日、お嬢さんから連絡を頂きまして、居ても立っても居られず、ご迷惑を承知でお伺い致しました」
「今、娘とは大事な話をしているんだ。別の日にしてくれないだろうか?」
「はあ、それはわかりますが」
「じゃあ、今日はもう帰ってくれないか」
「お父さん!」
由紀が咎めるように父親に言った。
そして、母親が娘をかばうように
「お父さん、わざわざ東京からお見えになったんですよ、そんな言い方はちょっとひどいですよ」
「俺は、わざわざ東京から来てくれなんて頼んでないんだよ、この斎藤君に」
「木村 薫 二十二歳です」
由紀はバイトの時の、薫との出会いを思い出しぷっと吹き出していた。母親も面白いわねこの子という顔で薫をみていた。
「一体君は誰なんだ」
「お嬢さんとお付き合いをさせていただいております」
「付き合い?君に付き合いを許した覚えはない」
「はい、そうですが」
「そうですが、がどうしたんだ」
「はい、…」
「言いたいことがあるんなら、はっきり言いたまえ、斎藤君」
「木村 薫 にじゅうに」
「それは、もう分かった」
由紀も母親も同時に吹き出していた。父親も苦虫を噛み潰したような顔をしながら、呆れて薫を見ていた。
「もう今日は遅い、また後日にしよう」
(えっ、まだ何も話しをしていない。何か言わないとこのまま帰らされて、二度と会えないかもしれない。そう思った時、とんでもない言葉が薫の口から跳び出していた。
「僕は、僕はお嬢さんと結婚したいと思っています」
「結婚ん?…」
その薫の言葉に、由紀を含めた三人が呆れたように、茫然としていた。
父親が我に返り、
「結婚って、君はまだ学生だろうが、何を言ってるんだ」
「はい、そうですが就職の内定は既にもらっています」
「そんな事を言ってるんじゃないんだ。まず第一に君の親御さんは承知してるのか?」
「いえ、まだ何も話をしていませんが、お嬢さんに合えば大丈夫です」
「もっと真剣に考えたまえ、斎藤君」
「木村 薫 二十二歳です」
シリアスな状況のはずが、薫の言葉が由紀と母親を涙を流しながらの大笑いの場に変えていた。父親は相変わらず苦虫を嚙み潰したような顔をしていたが、薫は二人が何故笑っているのか分からず、二人に合わせて愛想笑いをしていた。
「お父さん、薫さん、今日はもう遅いから明日もう一度話ましょ!ねっ」
「薫、そうしましょ!時間はあるわ!」
「うん、分かった、じゃあ、また明日にします」
今日は、ここに泊っていきなさい。他の旅館もこの時間からじゃ泊まれないから」
「母さん、それは…」
「大丈夫ですよ、娘を信じなさいって」
「うーむ」
父親は無言のまま部屋を出て行った。残った母親が由紀に
「あなたの彼、面白い人だけど、素敵な人ね、大事にしなさい」
「うん、ありがとう、お母さん」
「じゃあ、おやすみなさい」
解決の糸口は何も見つからなかったが、とにかく今日のところは上手くいったみたいだ。
翌日、話し合いの場が設けられた。
「由紀、お前はこのさい、さい、いや、木村君と付き合っていきたいのか?」
うん、そうしたい」
母親は娘の気持ちを思い、
「お父さん、もう二人の事を許してあげたらどうなの」
「うーむ、しょうがない、付き合いは許すが、まだ結婚は許さんからな」
「まあ、お父さんたら何を言ってるの?まだまだ先の話よ。ねえ由紀」
「分かってはいるが、俺としては…」
「はいはい、分かってますよ。由紀、薫さん、お父さんの気持ちも分かってね」
「お母さん、分かってるわよ」
「はい、分かりました」
旅館を継ぐ話は消えはしなかったが、お見合いだけは断ると言ってくれた。何とか来た甲斐があったみたいだ。話が終わった途端どっと疲れが襲ってきた。見かねた由紀が、
「疲れたでしょう、薫が来てくれて助かったわ。でも、結婚の話なんてしてなかったでしょ?」
「うん、俺もそこまで言おうとは思っていなかったんだけど、思わず」
それを聞いた母親が
「あらあら、それじゃあ、さっきお父さんに言った話は、出まかせだったのかしら?斎藤さん」
「木村 薫 んじゅう いえ、出まかせではありません。今すぐと考えてはいませんでしたが、由紀さんしか考えられません。二人でゆっくり愛を育んでいければと考えていました」
「何だかこっちが赤面しそうだわ」
「お母さんったらもう」
「それじゃあ、二人きりにしてあげるわ、帰る時間までどうぞごゆっくり」
母親は嬉しそうな顔をして、部屋を出ていった。二人きりになって、やっと普段の自分が返ってきた。
「慌ててきちゃってごめん。連絡してからと思ったんだけど、夢中で…気が付いたら来てた」
「来てくれて嬉しかったけど、お父さんもお母さんもびっくりね」
「変な奴って思われたかな?」
「さあ、どうかな?」
「えっ、やっぱり変な奴って思われたか、まいったな」
「大丈夫じゃない?お父さんもお母さんも、
お付き合い許してくれたでしょ」
「ならばいいんだけど」
「大丈夫よ」
そんな話をしていると、父親が来て
「いいかね、さいとう、いや、木村君。付き合いは認めたが、いい加減な付き合いは困る。東京にいて目が届かないんだ、付き合いはゆっくりとだな…あれは…、結婚までは絶対に許さんからな!君、分かっているね」
「えっ、あは…い」
それを聞いた由紀は、
「お父さん、もう、何言ってるのよ」
奥で母親が大笑いする声が聞こえてきた。
「今のはどういう意味かな」
由紀が真っ赤な顔をしながら、
「さあ、私に聞かないでよ」
また奥で母親の笑い声か聞こえてきた。
「あ~いいわね!若いって!」
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