第31話 海、鞠、罠

 蹴鞠、という競技は典雅なるものと語られている。

 ある面でそれは正しく、ある面において誤りである。

 

 一書に曰く――、

 蹴鞠の縁起は記紀より古く、蕨人なる者たちによって始まったという。

 同書によれば蕨人は鹿の臓物を抜き、蹴り飛ばしあって卜占をしたとされる。

 事実と仮定すれば、相撲より由緒がある競技であろう。

 もっとも、古武術の開祖神話のように一言一句すべてを信じていいものではないのだが。


 また一書に曰く――、

 蹴鞠の起源は海を越えて中国大陸にある、とする。

 夏王朝の時代、吉九王府きつくおうふなる役所があった。

 これは亀卜において相反する結果が出た際に役目を果たす部署、つまり呪術的政治の最終意思決定を行う組織である。

 決定の手順は以下のとおり。

 一つ、生贄の首を切断する。

 二つ、吉九王府の役人が首級を蹴る。

 三つ、首級が吉九王きつくおうの上に乗れば可、乗らざれば不可。

 しかしこれも甚だ怪しい情報と言わざるを得ないのが実情である。

 第一、吉九王が何であるか説明に乏しい。

 同じ文献の中でも門であったり東屋あずまやであったり柱であったりと、混乱甚だしい。

 吉九王という名ですら由来がはっきりせず、ただ験のいい文字を並べただけかもしれない。


 さらに一書に曰く――

 日本の蹴鞠はマヤ文明から伝わったとされる。

 兵庫県神戸市の摩耶山という言葉がその名残だという。

 事実、マヤ文明においても球技は存在している。

 これについては一考の価値は全くない。

 マヤ文明においては鞠はゴム製だったが、日本においては鹿の革を用いている。

 さらに、マヤの球技では足を使わず、腰、肘や腕で打たなければならなかった。

 第一、マヤ文明と日本の交流の記録が全くない点について、同書ではUFOの存在を用いて弁明がましい解説を行っているのは噴飯ものだ。


 このように、さまざまな書物において荒唐無稽な解説がなされている。

 今回見ていったものはまだ易しいほうだ。

 読書という豊穣の森には巧妙な罠めいて悪しき陰謀論、デマ、ガセネタが潜んでいるのを、賢明なる読者諸君はゆめゆめ忘れないでほしい。

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