第21話 猿、足、枠
八族が彼女を可汗へと推す以前より、亜貞は弓の名手として名を馳せていた。
しかして、亜貞が十六の秋を知った頃、太蘇の東の
燃える豹の年、十月に鬱欠の名において四種競技会が催され、太蘇の地の四方から腕に覚えある者が集う。
相撲を取る者あり、弓を引く者あり、馬上より毬を打つ者あり、詩を吟ずる者ある中で、亜貞は弓の部に出場し、見事五色の
鬱欠は亜貞を恐れた。
亜貞が女だから恐れたのではなかった。
かの女傑の弓は如何なる者より冴え、亜貞の弦が鳴る度に不吉な予感が鬱欠の心を襲ったからだった。
亜貞を殺さねばならぬ。
鬱欠は一度心を決めると速い。
すぐに近習を使い、亜貞を酒宴に参加せしめた。
亜貞は罠と見抜いてはいなかった。
彼女はまだ十六の冬を控えた身である。
世の悪を知り、これを避ける方便をようやく覚え始めたばかりの赤子である。
ただ彼女は鬱欠の招きを奇異に思いはした。
何の故あって己だけ招かれたのか、解せぬところが多かったのである。
鬱欠の顔を見たとき、亜貞は凶兆を感じ取った。
豪族の長の青白い顔に、
亜貞がひざまずいて礼をしたとき、鬱欠の近習の手にしている木枠を見た。
罪人の首枷である。
世の悪を知り、これを避ける方便は千も万もある。
しかして亜貞はただ一つしか知らなかった。
ただ胆力を平常なるままに保つことである。
亜貞は言った。
罪人がいるならば、すぐに捕らえるが良いと聞く。
鬱欠王よ、決されよ、と。
鬱欠は言った。
左様、罪人はすぐに捕らえよう。
亜貞に首枷をせよ、と。
かくして亜貞は
かくして鬱欠は亜貞を捕らえた。
しかして彼の心に喜びはない。
あまりにも亜貞が堂々として虜となったからである。
故に、鬱欠はもう一つ罠を仕掛けんとした。
鬱欠は亜貞に問う。
亜貞よ、我が命を成しえれば
しかして成さざるとき、汝を斬るが良いか、と。
亜貞は答えた。
鬱欠王よ、我が心は定まっている、ぜひ命ぜられよ、と。
鬱欠は猜疑心の塊ではあった。
しかしてその心を活かすに知恵は少なかった。
故に、彼は亜貞に命じたのは以下のようなものである。
木の枝に三つの結び目をつけた縄を吊るす。
亜貞は首枷に
しかして、当然使えるのは両足のみである。
鬱欠にとってこれは太陽を射落とすより難事に思えた。
鬱欠は亜貞に問う。
弓引くに向いた
亜貞は黙って
亜貞が左足を上げ、弓を構えた。
弓はかの女傑の親指と人差し指で固定される。
右足も同様の手順で矢を持ち、そのまま弦につがえる。
亜貞は言った。
この矢は軽く、よく飛ぶ、と。
そのまま弦は引き絞られ、射るを待つばかりとなった。
高い風切る音がした。
矢は最も下の結び目を切り落としていた。
鬱欠が無言でいると、亜貞はそのまま二つ目の矢を射ようとする。
同じ手順で矢をつがえ、亜貞は言った。
この矢は重く、よく貫く、と。
そのまま弦は引かれ、矢は飛んだ。
縄の切れる小さな音がした。
矢は二番目の結び目を切り落としている。
鬱欠が声を発する前に、亜貞は最後の矢を射ようとする。
平静なまま、矢をつがえて亜貞は言った。
この矢は程よく、よく
最後の矢が飛んでゆく。
弦の激しく唸る音がした。
矢は木の枝に結び目を一つも残さなかった。
鬱欠は声を発せなかった。
そのまま亜貞は言った。
鬱欠王よ、どうが我が願いを一つ叶えていただきたい、と。
猜疑の王は黙ってうなずいた。
亜貞は三ヶ月後に鬱欠の元へ戻ることを条件に、己の延命を願った。
あまりに妙技だったために、鬱欠は認めざるを得なかった。
かくして亜貞は鬱欠の絹と金の
亜貞が見えなくなってから、鬱欠は五体満足で返したことを悔やんだ。
しかして、鬱欠は西の豪族との戦ゆえに、亜貞のことを忘れざるをえなかったのである。
かくして三ヶ月後、鬱欠の元に亜貞は帰ってきた。
彼に謀反し彼女に従う五百騎を引き連れて。
このとき鬱欠の刑場に流れたのは、この猜疑の王の血だけだったという。
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