第19話 沃地、夢、本屋

『駅前の本屋、そのありようが、その町の文化的および経済的指標である』とは、誰の言葉だったか。

また、おそらく同じ人物の言葉には『肥沃な大地が与えられようとも、千冊の本がなければやがて痩せゆく』というものもあった。

 けだし、これまでの社会を測る物差しとしては有用である。


 T駅付近の本屋がなくなると聞き、寂しくなった。

 再開発が進んでいる話は知っていた。

 その進捗が遅々として、却って振興を妨げているということも小耳にはさんだ。

 したがって、当然の流れではある。

 そうではあるのだが、やはり一抹の寂寥感は覚えずにいられない。


 思えば、古本屋でさえ本を置かなくなってしまった。

 スマホの台頭によるもので、時代の流れと言ってしまえばそれまでではある。

 しかし、ふらりと寄って偶然に頼った情報の選択……カタカナ語ではセレンディピティ? というのだったろうか、そういった機会が減ってゆくのは忍びない。

 T駅で下車する機会は少なくなる一方であり、欲しい物があるわけではないものの、あえてこの折に行ってみるのもいいかもしれない。


 三年年ほど前から、移転や引っ越しで勤務地からも住居からもT駅が遠くなった。

 物理的距離が精神的距離を生む、といった意味合いのことわざがあるのは、まさにこのことを指しているのだろう。

 T駅に向かう電車に揺られつつ、窓の外を見る。

 変わりのない様子……には見える。

 しかし、見知らぬ建物が増え、見知った看板が減り、だんだんと異国の地に近づくような気分になった。

 

 思わず、あっ、と声を出してしまったのはT駅が目に飛び込んできた瞬間だった。

 ない!

 何もない!

 再開発されているはずなのに、何もないのだ!

 駅の周辺は更地が増え、残る建物のほとんども取り壊されている最中だった。

 先に述べたように、開発が遅れているとは聞いていたものの、ここまでひどい有様だったとは!


 駅は無人である。

 降りた人間は私しかいない。

 今見ているのが夢か?

 それとも記憶の中のT駅周辺の様子こそが夢か?

 あまりにも空しい光景だった。


 記憶を頼りに本屋を探す。

 道中はどこも普請中である……それが本当かどうかは別にして。

 正確には破壊中ではなかろうか、と思いつつ、目的地に着いた。


 うすうす、起こりえるのではと思っていた。

 本屋はすでになかった。

 廃墟すら残らず、更地になっていた。

 件のニュースを聞いてからさほど間は空いていない。

 にもかかわらず、一切合切がなかった!


 しかたなく帰宅することにした。

 それにしても妙である。

 再開発をするならば、普請のほうも進んでいておかしくはない。

 だが見てきた光景は破壊にばかり振り向けられていた……。

 まるで、記憶そのものをかき消そうとせんばかりに。

 T駅に着いて、電車を待つ間、何かの唸り声のようなものが聞こえた気もする。

 かすかな、それでいて地の底から響いてくるような唸り声が。

 

 

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